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私ではなくキリストⅦ(東洋からの風の便りIV)

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。Ⅱコリント4:18

新たな冷戦という無意味な争いに巻き込まれず、真の自立に至りつくために

 

 閑話休題。 ロシアのサーバに試験的に格納していたブログが消えた。これまでにも様々な不気味な問題があり、まことに使い勝手が良くなかったのだが、ついに以下の反キリストの記事を挙げて以降、すべての記事が削除された。その日のうちに復旧させると今度はアカウントごとブロックされた。

 削除の理由の通知すらない。だが、”彼ら”が私のホームページを訪れている記録があることを見ると、内容を理解していなかったはずがない。

 これにより、ロシアという国がどれほど不自由な状態にあるか、その一端を垣間見たような気がした。かねてからの予感が的中した。ロシアはいかに発展しているように見えても、それでもどこで「地雷」を踏んでしまうか分からない国だという点は変わらない。

 実のところ、今年の初めまで、私は日本国内の絶望的な情勢を憂慮して、本気で外国へ行くことを考えていた。その時に、最も魅力的に見えていた国の一つがロシアであった。

 そんな私を思いとどまらせたのは、クリスチャンたちの言葉と、来日したロシアの友人が冗談のように投げかけた次の言葉だった。

「日本の情勢も厳しいと思うけど、ロシアはもっと厳しいよ。いい仕事はなかなか見つからないし。何より、プーチン政権に逆らったら社会的に抹殺される。」

 その時、私は笑いながら、「安倍政権に逆らった人々も(古賀茂明さんのように)次々と社会的に抹殺されてますよ」と答えたが、後になって、友人の言葉にはもっと重い意味があったのだと悟った。

 プーチン政権への支持率が80%を超えているロシア。多い時でも50%程度だった安倍政権下でこれほどのことができるなら、80%の支持率の下ではどれだけの統制が可能になるか。しかも、プーチン氏は安倍氏よりも賢明であり、安倍氏が目指しているのも、まさにプーチン氏の統治であるように感じられる。二人は単に気が合うのではなく、国家主義という点において、極めてよく似た思想の持ち主である。今、安倍氏率いる日本が向かいつつある危険な流れの完成形がすでにロシアにあるのだと言って良い。

 ウクライナ問題勃発時にクリミアを併合したプーチン氏の手際の良さと(むろん、それはクリミアの望んだことであるが)、衰退しつつある米国のロシアへの様々な不当な言いがかりのために、これまで私の目に覆い隠されていた様々な不穏なうわさが一挙に脳裏によみがえった。アンナ・ポリトコフスカヤ、ジリノフスキー、ホドルコフスキー、リトヴィネンコ・・・

 私のロシアの友人たちは、日本愛好家でありながらも、ずっとモスクワのプロパガンダ役をも果たして来た。これまではロシアヘの優しい愛情が私たちを結ぶ橋であった。日露の平和条約締結にこぎつけ、両国間の関係を改善したいという共通の願いがあった。

 自らの発言により、ロシアへの私の夢を壊してしまったことに気づいて、友人はそれ以上、その話題を続けることはなかった。

 ”もうこの話はやめよう。ぼくは西側のプロパガンダを助長する気はない、まさかきみはネムツォフの最期がクレムリンの仕業だと思ったりしてないだろうね。彼はとても不運な、すでに政治生命を終えた政治家だった、誰にも彼を暗殺する必要なんか全くなかった、リトヴィネンコは売国奴で裏切り者だ・・・”

 だが、その弁明がかえって私に不信感を抱かせたのだった。それはキリスト者であるがゆえの私の直観だったと言っても良い。暗殺が誰の仕業かなどという問題が重要なのではない。肝心なのは、どこにもユートピアを見出してはならないということだ。神の国は、あそこや、ここや、目に見える形で来るのではない。たとえ、あの人、この人が自分をキリストだと言っても、決して彼らに着いて行くな・・・。

 もし当時、準備していた留学を決行していたならば、ソビエト文学を礼賛しなければならなくなることも躊躇の理由となった。私の専門はソビエト時代の文学であるが、それは決してその内容を賞賛するために研究を始めたものではない。むしろ、社会主義時代という負の遺産が、作家を含め、人々の心にどれほどの影響を投げかけたのか、それを知るための題材として選んだのだった。しかし、ロシアではソビエト文学も国文学のうちに含まれているため、作家を公に批判することは受容されないものと思われる。その空気の中でやっていくためには、当然のごとく、ソビエト作家を礼賛する論文を書かねばならなくなるだろう・・・。それは今までの研究と良心への裏切りではないのか?
 
 こうしたことを考えていると、同年代のロシアの友人たちが、ソビエト時代に生まれ、社会主義時代の影響を深く受けていることに改めて気づいた。彼らは多分、ソビエト時代の方が良かったというノスタルジーに心を支配されているものと思われる。市場原理主義の混乱を厭い、拝金主義を嫌う潔癖さ、親切心、深い同情心、愛国心、知識人らしさといったものが、とても私の心の共感を呼んでいたのだが・・・。

 そうした心の潔癖さ、人助けの精神はすべて人の心の美徳であるように見られる。カルト被害者救済活動に携わる人々も、そういう類の人たちが多いことはすでに述べた。今の世の中の不正や腐敗を嫌い、人助けに余念がない人たち。だが、私は度重なる失敗の末に学んだ。人助けをしようという心の中に潜む傲慢さについて。うちにキリストをいただく人々は決して誰からも助けていただく必要がない。キリストのみにより頼んで生きることが真の自立への道だ。もし誰かに助けていただこうと考えるなら、その瞬間に、私たちは心の支柱を失ってしまう。

 だから、自分を取り巻く情勢が厳しく思われるときにも、神こそすべての助けであることを確信し、決して目に見えるどんなものも、心の偶像としてはいけない。どこかへ移動し、アクションを起こすことは、大いに気晴らしにはなるだろうが、本当の解決とは、そういうことの中にはないのだ。

 危ない危ない、またもやあの世行きのバスに乗り込みそうになるところであった。

 ある兄弟はこの話を聞いた後、言った。
「あなたがロシアに行っていたら、多分、大変なことになっていたと思いますよ」
 
 さて、ロシアのブログ削除の話題に戻ると、日本語で書いていたことが問題でブログが削除されたようにはあまり思われない。今までのところ、かなり批判的な内容の記事も問題なく掲載できていたし、いつの間にか検索にも登録されていた。タブーに触れたのは、多分、「反キリスト」と「神々への宣戦布告」、「天皇」、「選民思想」、「男尊女卑」、「ウクライナ」といった単語だったのではないかと思われる。

 しかも、私は決してロシアに批判的なことを書いていないのに、削除されたことがなおさら不気味だった。このことが、それまでの確信をより一層強めるきっかけとなった。何かが急所に触れたに違いない。

 そのようなことがあってから、特に、反キリストとの関係において、改めてロシアという国を見直す必要があると思われた。さらに、天皇について・・・。一見、バラバラなワードだが、背後に一つの流れがあるように感じられてならない。

 今、日本政府が多くの点で健全な理性を失い、自滅へ向かっているように見えるため、一定の日本人は、米国に対する期待を捨てて、ロシアに希望を託そうとしている。米国を悪、ロシアを善とする摩訶不思議な新たな冷戦論のようなものが登場して来ており、日本政府の健全な統治能力の欠如に絶望するあまり、ロシアの外圧によって日本を変えてもらい、諸問題を解決してもらい、米国隷属のくびきを断ち切ってもらいたいと切望する流れがあるように見受けられる。

 だが、ロシアにその知恵を求めるのは無理というものである。それはロシアという国の実情を知らないからこそ、抱くことのできる希望である。さらに、百歩譲って、ロシアに仮にその知恵と力があったとしても、外圧により自国の諸問題を解決してもらうことが我々にとって本当の解決ではない。自国でどんなに深刻な問題が起こっていようとも、その解決をよその国に期待し、よその国に委ねるほど愚かなことはない。そんなことでは何度でも制圧されるだけであり、どうして国としての主権を取り戻せようか。

 今、必要なのは、各自が真の自立を成し遂げて主権を取り戻し、自分の問題を自分で解決できる知恵と力を持つことだ。自国の問題さえ解決できていない国が、他国の戦争に加担して他国を救済するどころの話ではない。解決とは、いつでも私たちが自分で考え、自分で実行しなければならないものであって、他者の問題は他者が解決すべきであり、共依存関係になることは望ましくない。だから、米国であれ、ロシアであれ、他国がいつか世界をよくしてくれると考えるのは全くの幻想であり、現に目の前に見ている解決困難な様々な問題からの新たな現実逃避策に過ぎない。

 私はこう考えている、今、日本にとって最も必要なのは、あらゆる面から見て、自立である。そして、自立するためには、個人がきちんとその代償を払って、自分の問題を自分で考え、どう解決すべきか、決めていくことができるかどうかがすべての鍵となる。実際のところ、この国の命運を決めているのは首相ではなく官僚でもなく、国民なのである。国民が自立していないからこそ、このような現状が生まれている。日本人一人一人に本当に自立する気があるのかどうか、代価を払ってそれを追い求め続ける意思があるかどうか、それがこの国の命運を決める。常に長い物にまかれることで自分を殺してその陰に隠れようとし、自分では何も考えないで常に誰かに物事を決めてもらい、自分の問題を常に誰かに解決してもらいたいという願望とさよならできなければ、これまでと大差ないか、これまで以上の暗黒の未来が待っているのみだろう。

 それはクリスチャンについても同じである。多くの信仰者は「キリスト教界からエクソダスせよ」という呼びかけに共感し、一旦は、教会を離れることを真剣に考えた。キリストご自身以外に庇護者を持たず、真に自立して歩むことを一度は決めた。ところが、ほとんどの人たちは、キリスト教界を離れて、ただ自分一人で神を仰いで自立した信仰生活を構築する力がなく、それを獲得するまでの困難に耐える覚悟もなく、失敗と、居場所を失うことや、孤立して嘲笑されることを恐れたので、まだ温もりをとどめている胎内のような「その出て来たところ」へちゃっかりと逆戻って行き、まるでキリスト教界を離れようと考えたことなど一度もなかったかのように、前よりもさらに従順な羊となってしまった。

 誰しも初めから完全な自立を成し遂げるのは無理である。それは闘いぬいて徐々に獲得して行くものでしかない。最初から試行錯誤の苦労なしに、失敗なしに歩みを進めるなどほとんど誰にとっても無理な相談である。だが、たとえ困難に突き当たっても、目指していた自立に真に到達するまで、決してあきらめないことのできる人が多少なりともいれば、この国は速やかに変わるだろうと私は思う。

 ロシアの話題に戻ると、Dr.Lukeがプーチン氏や三島由紀夫を礼賛していたことを思い出すにつけても、こうしたことの背後にある思想について、いずれ記事を書かねばならないと思う。

 最後に、天皇の責任について。これまで、日本の学校での歴史の授業などにおいては、「先の大戦は軍部の独走によって引き起こされた」と言われるのが定説で、昭和天皇の戦争責任論はほとんど言及されることがなかった。ところが、多くの公開されている資料によると、昭和天皇は決して軍部にそそのかされたわけではなく、自らの意志と統率力によって積極的に戦争を望み、積極的に戦争を導いたのだということが明らかになっている。

 さらに、戦争責任だけでなく、敗戦後の日米安保体制の構築にも、昭和天皇が強い影響を果たしたする産経新聞の記事について、天木直人氏のブログから転載する。天木氏の主張は、(たとえば、翁長知事をほぼ無条件に擁護している点など、私には必ずしも賛同しかねる部分もあるが、)少なくとも、天皇が昭和史に担った負の責任について、多くの日本人がこれまでと違ってタブーと思わずに言及し始めたという目覚ましい変化を示す証拠の一つである。

新党憲法九条 天木直人のブログ 
いまさら「日米安保体制を望んだ昭和天皇」を強調する産経新聞
 
 きのう7月19日の産経新聞が国民必読の大スクープ記事を掲載した。

 その記事の要旨は、鈴木九萬という外交官の日記の発見によって証明された、戦後の日米安保体制構築に及ぼした昭和天皇の強い影響力だ

 遺族や親族のもとに保管されていた鈴木氏の日記から分かった事は何か。

 それは「戦力を保持しない日本の安全保障は駐留米軍に委ねるべきであると最初に打ち出した」いわゆる芦田メモが米国にわたっていた事がこの日記で明らかにされたことだ。

 なぜ、このことが重要なのか。

 芦田外相の下で作られたこの芦田メモは、1947年9月につくられ、戦後の日米安保体制の原型とされている。

 すなわち、独立後の日本の安全保障は米国との特別二国間協定より米国に委ね、日本の基地を米軍に提供するのが「最良の手段」と位置付けたメモだ。

 このメモが当時終戦連絡横浜事務局長であった鈴木氏からアイケルバーガー米陸軍中将(マッカーサーにつぐ占領軍ナンバー2)に私信として手渡されていたことはわかっていたが、それが米国政府にどう活用されていたかはこれまで確認されず、研究者の間でも米国政府要人には見せなかったのではないかという見方が定説だったという。

 ところが鈴木日記でマイケルバーガー中将が、「自分は日本の将来の安全保障を扱ったその文書を大いに活用した」と述べ、アイゼンハワー参謀総長(のち米国大統領)らに伝えていた可能性があることがわかったというのだ。

 そして産経新聞のその記事は次のように続ける。

 昭和天皇はマッカーサーとの会見で、駐留米軍で日本を共産主義から守ってくれと頼み、戦力の不保持を謳った憲法9条と国連が日本を守るのだと逆にマッカーサーから諭されたと言われている。

 その昭和天皇は、米国が沖縄および他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望し、そのことが米国の利益になり、日本を保護することになる、という考えを示した(いわゆる天皇メッセージ)

 アイケルバーガー中将は、共産主義勢力に対する日本の治安維持能力に危機感を抱き、マッカーサー元帥の安保構想に批判的だった。

 そのアイケルバーガーが1948年7月に離任・帰国する際、戦後初の外国人の賓客として昭和天皇に皇居で午餐に招待されている.

  この昭和天皇の安全保障観は、豊下楢彦教授の名著「日米安保条約の成立ー吉田外交と天皇外交」(岩波新書)で書かれた吉田茂の天皇外交への恭順と見事に照合する。

 吉田茂もまた芦田と同じく外務官僚だった。

 もういいだろう。

 この産経新聞の大スクープ記事がいわんとするところは、戦後の日本の安全保障体制は昭和天皇と外務官僚によってつくられ、米国にそれを要望してできた国策であるという事だ。

 なぜ産経新聞はこのタイミングでこのようなスクープ記事を大きく掲載したのか。

 それは安倍首相の掲げる日米同盟強化も、集団的自衛権行使容認も、安保法制案の採決も、昭和天皇の外交以来の国策であるということだ。

 それに反する者は国賊であるといわんばかりなのだ。

 しかし、時代は変わった。

 昭和天皇から明仁天皇の時代となり、国民の意識も、国際情勢も、米国の影響力も、なにもかも大きく変わった。

 いまこそ日本の安全保障政策も、歴史の大きな流れを読み間違えることなく、正しく変わらなければいけない時である(了)


 

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神々への宣戦布告 「神々の時代」から「反キリストの時代」へ~神は唯一であり、神と人との仲保者もただ一人キリスト・イエスのみ~

   神々への宣戦布告 
「神々の時代」から「反キリストの時代」へ

~神は唯一であり、神と人との仲保者もただ一人キリスト・イエスのみ~








「神は唯一です。また、神と人との間の仲保者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。」(Ⅰテモテ2:5)

「だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。

彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。」(Ⅱテサロニケ2:3-4)


 

1.「神々乱立の時代」から「統一的な反キリストの時代」へ
 
 これから起きうることについて記しておきたい。多くの人は、安保法制への反対の声が強まり、内閣の支持率が低下しているがゆえに、安倍政権はもうすぐ終わるだろうと考えている。ちょうど安保条約強行採決後に、岸信介内閣が倒れたように。

 私もそうであってくれたらと願ってはいるが、実のところ、楽観視はしていない。なぜなら、真の闘いが起きるためには、敵の正体を極みまで明確に理解し、これを見抜き、立ち向かって退けなければならないからだ。「日本会議」に支えられる安倍内閣は、宗教色を隠しており、まだその正体を十分に現してはいない。

 意味が分かりかねるという人々もいるかもしれない。それは彼らの宗教の根本がまだ極みまで明らかにされていないということだ。現内閣は何でもやりたい放題にしているように見えるだろうが、彼らはまだ自分たちの信念を大っぴらに公言できる段階には達しておらず、本当の目的を隠している。彼らの本質は、彼らの信じているイデオロギーが私たちに強制される段階になって初めて露呈する。だが、そうなるまでただ手をこまねいて待つのではなく、彼らが何をしようとしているのか、事前に見抜いて反対することが肝要である。
 
 今は「神々の時代」である。私は聖書に基づき、まことの神はただおひとりであって、他に神はいないと信じている。だから、「神々」などというものはすべて自称であって、むなしい偶像の類、もとより存在しない虚偽である。人の拝むべき対象はただおひとりの神のみである。だが、今は背教の時代であり、「(自称)神々」の乱立している時代である。

 これは、今という時代が、聖書に逆らってキリストの十字架を否定し、人間の原罪を否定し、生まれながらのアダムを神とする思想(グノーシス主義)があらゆる場所に乱立している時代だということを意味する。彼らが大好きなのは、聖書の次の文句である、「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。」(創世記1:27) 彼らはこの箇所を都合よく抜き取って、その後のアダムの堕落という聖書的事実を否定して、キリストの十字架を抜きに、自分たちが神の子孫、いや、神々だと主張するのである。

たとえば、自らキリスト教徒を名乗りながら、多くの教会と信徒を迫害した杉本徳久氏のブログが「神々の風景」と題されているのも偶然ではない。また、「神と人とが混ざり合う」と教えるローカルチャーチ出身で、自分のメッセージに逆らう者は神に逆らっているのだと述べたDr.Lukeや、「キリストを信じれば、属性ごと(神に似て)変えられる」と主張したAG信徒らも根本的に同一である。また、牧師制度もその中に含まれ、ベック氏が自らを神のような地位に置いているのもみな同じである。これらの人々はすでに神と人との唯一の仲保者であるキリストの地位を奪い、自らが「神々」になってしまっている。

 このほか、キリスト教界を一歩外に出れば、「神の国」を自称する戦前回帰志向の人々の皇国史観の台頭がある。さらに、人間を神として祭り上げている統一教会、創価学会、また、生長の家、あるいは、日ユ同祖論をもとに日本民族は偉大な選民だと宣伝している人々などがある。これらの人々もみな(自称)「神々」である。こうした人々の力の源は、すべて自分たちは生まれながらに神の子孫であって選民だという自負(出自)にある。

 キリスト教界においても、かねてよりしきりにイスラエルと日本を重ね合わせ、一つに結びつけようとする流れがあった。これらは最終的には、日ユ同祖論・皇国史観と合流するであろうと見られる。つまり、ユダヤ人の選民思想に何とかして自分たちも乗っかりたい人々がいるのだ。イスラエルやユダヤ人をひどく批判している勢力も(彼らの思想の基本は「偽ユダヤ人」批判であるから、裏を返せば、「本物のユダヤ人」が存在しており、それには彼らも頭が上がらないことになる。)間もなく自分たちが本物と考える選民思想を持ち出して、「日本人も選民の血を引いているから世界を救う偉大な民族だ」などと言い始めることが予想される。


2.自らを神々とする人々が日本流の選民思想を振りかざす日

 いずれにせよ、これらの(自称)「神々」と化した人々が、一斉に、何か日本流の選民思想を持ち出して来て、統一的な象徴にひれ伏して、「日本人万歳!」、「俺たち万歳!」と叫び出す日が来るのではないかと私は予想する。その時、安倍政権はすでに終わっているかもしれないし、場合によっては、現政権が打倒されるということも起きうるかもしれないが、いずれにしても、見かけだけ今とは反対で、本質的にはあまり変わらない政権が立っている可能性もある。だとしたら、極めて絶望的な風景である。

 その統一的な跪拝の対象がもし天皇であるとすれば、それまでに皇位継承をめぐって何かひと悶着起きるかもしれない。まず、現在の天皇陛下は戦争など願っておらず、皇国史観の復活にも反対である。だから、この人を跪拝の対象として担ぎ上げるのは困難である。さらに、戦前回帰志向の人々は基本的に男尊女卑のため、女性天皇を好まない。だから、皇国史観の人たちの好みの天皇を作りだすには、今の状況に不自然な手を加えなくてはならない。これも考えるだに恐ろしいことである。

 「神々の時代」の次なる段階として、「反キリストの時代」の到来が予想される。「神々」が根こそぎにされ、あらゆる宗教が一網打尽に廃止されて、いつか公の宗教が「反キリスト」一色に統一される時代が来ることを聖書が予告している。敵の本当の狙いはまさにここにあるものと思われる。政権奪取もこのためであり、彼らの「神」(偽りの神)を国民に拝ませることが真の目的である。だが、反キリストの登場の前に、背教の時代、神々の乱立という時代がなければならず、今はこの時点である。

 今のようなペースで物事が進むと、この流れを劇的に変える何かが起きない限り、来年には現政権が自らの宗教イデオロギーを公に持ち出している可能性があると思われる。なぜなら、戦争を始め、戦争を遂行するためには、犠牲を肯定する何かの宗教思想がなければならないからだ。ただ「外敵の脅威」を煽るだけでは不十分である。国民が一丸となって怒りに燃えて立ち上がり、戦争に正義を見出すための強力なイデオロギーがなくてはならない。しかも、人々の自惚れを強烈にくすぐり、魅了させるようなもの、それに反対する者を容易に排除し、追い込んでいく口実になるようなもの、それが結局、「人が神になる」という思想なのであるが…。


3.背教を受け入れた末の国内情勢の泥沼化~日本とウクライナの類似性~
 
 昔から、ある国がよその国を征服しようとする時には、まずは宣教師を斥候として送り込み、宗教を広めるという名目でその国を調査し、徐々に配下に置いて行ったと言われる。アメリカのキリスト教、特にプロテスタントが近年、どうにも異常な変節ぶりを経ていることは、すでに十年以上も前から指摘されているが、実際、アメリカでは保守的なプロテスタント教会がこぞってイラク戦争を支持したことでも、米国キリスト教の異常さが明らかになった。

 米国はこうして異常化したプロテスタントから、ペンテコステ運動を装った腐敗した霊的ムーブメントを世界に向けて積極的に送り出した。1999年、私がウクライナを旅行した際には、宿泊した家の壁に(確かピーター・ワグナーや、ラインハルト・ボンケや、カルロス・アナコンディアといった各国の著名人の名が記された)明らかにペンテコステ系の聖会のポスターが貼られていたことを思い出す。こうした霊的ムーブメントが極めて怪しい宗教運動であったことは今日、日本でもよく指摘されているが、それから約15年でウクライナは今のような極右政権の下に置かれ、泥沼化した争いの中に落ち込んだ。

 一見、聖霊派の怪しい霊的ムーブメントとネオナチ・極右政党は、何の関係もないように思われるかもしれないが、私から見ると、これらは本質的に同じ霊的腐敗であり、ともにその国を内側から荒廃させ、瓦解させるために仕込まれた毒薬のような役割を果たしたように見受けられる。私はこれまで異端思想が人の人格を変え、荒廃させる効果を持っていることを述べて来たが、自らを神とする人々が国内に溢れるようになると、必ず、その国は堕落し、破滅へ向かう。だから、ある国を堕落させて征服するためには、偽りの宗教(政治)思想を仕込むのが最良の方法なのである。こうしたことの結果、憎悪を煽りたてられたウクライナは、兄弟国ロシアへの当て馬とされてしまった。そして、今、日本が辿ろうとしている道も、極めてこれに近いだろうと思われる。あたかも日本のプロテスタントのクリスチャン同士が裁判等で争いを続けているように、兄弟同士であるアジアの諸国が血で血を洗う争いの中に投げ込まれようとしている。一体、何のために? ターゲットとされた国に破滅と荒廃をきたらせるためである。私たちはこの運命を拒絶しなければならない。


4.対策は偽りの神々を拝まず、武力で立ち向かわないこと

以上はかなり絶望的な展望であるが、私はこれを不可避のものとして受け入れているわけではない。敵のやり方を見抜き、退けることにより、私たちはこうした時代の到来を遅らせ、これを防ぎ、巻き込まれないことができるはずだ。こうした絶望的な前途を拒む有効な対抗策は、まことの神を汚す偽りの宗教の言い分に耳を貸さないこと、これを拝まず、支持せず、憎しみに煽り立てられて争いに巻き込まれないこと、剣を取って(武力行使や裁判を含め、この世の力を用いて争うことにより)敵を打倒しようと考えないことである。黙示録の指す「獣」が具体的に何を指すのかは不明であるが、聖書の原則はいつの時代にもあてはまる。偽りの宗教の言い分に煽り立てられて決して武力による争いに巻き込まれるべきではないということだ。

「この獣は、傲慢なことをいい、けがしことを言う口を与えられ、四十二か月間活動する権威を与えられた。そこで、彼はその口を開いて、神に対するけがしごとを言い始めた

すなわち、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで、打ち勝つことが許され、また、あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた

地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる

耳のある者は聞きなさい。とりこになるべき者は、とりこにされて行く。剣で殺す者は、自分も剣で殺されなければならない。ここに聖徒の忍耐と信仰がある。」(黙示録13:5-10)

 

5.「反キリスト」の登場へ向けて~次第に宗教色を表し始めた現政権~

 現政権はまだ宗教色を隠してはいるものの、それでも、「日本会議」は次第にその宗教的な理念を表し始めた。 たとえば、以下の記事などは「日本会議」への批判と思うべきではない。むしろ、彼らが次第に自らの宗教理念を隠さなくなって来たことの表れである。この先はそれがさらに鮮明化して来るであろう。

 いずれにしても、これはすべて背教の類であって、やがては反キリストへと至りつく流れである。現政権は統一教会や創価学会と縁が深く、もはや新興宗教のデパート状態であるが、「日本会議」の母体も、学生運動に対抗するために生長の家の組織した「学生会全国総連合」であるというくだりを読んで笑ってしまった。筆者の親類にも生長の家の信者がいるが、以下の記事を読んで一体、その教えの何がおかしいのか、今まで以上に納得がいった。

 生長の家とは、仏教、儒教、キリスト教問わず、あらゆる宗教の寄せ集めの「いいとこどり」の思想であり、キリスト教の要素を強く取り込んではいるが、原罪も認めておらず、十字架の贖いも認めてはいない。キリスト教の装いをした異端思想のお決まりとして、原罪を否定して、「人間は生まれながらに神の子である」と教えている。要するに、「人が神になる」という偽りの思想の一種である。以下の記事にも詳しく記されているように、結局のところは、戦前の国家神道に、多少、別な宗教的な色付けをして、戦後バージョンの装いをかぶせて別の宗教のように偽装しただけである。

 なぜ生長の家が政治活動を行っていたのか、詳しいことはよく分からないが、いずれにしても、本当のところ、学生運動(全共闘)も生長の家もコインの表と裏に過ぎない。どちらもが生まれながらの人類による地上天国の実現を標榜している点では同じである。今は政治から遠のいていると言っても、生長の家は「日本会議」の母体として強く影響を残しているというのだから、いずれはすべてが一つに合流する日が来るのではないか。「人が神になる」という異端思想の重婚によって、やがて偽りの一大宗教が生み出されることが予想される。この偽りの宗教を全国民に強要し、自前の「チェーカー(監視機構)」や「異端審問」によって、自らに跪かないすべての者たちに対する「魔女狩り」を行い、反対者をことごとく迫害・追放することが、この政権の最終目的なのであろうか。彼らはすでに報道機関に対してそれを実行していると言える。
  
 だが、この人々の計画がどうあろうと、まことの神はただ一人であり、神と人との仲保者もキリスト・イエスただ一人であって、人はどんなことをしても神にはなれない。いつの時代も、己を神とする人々の末路は滅びであり、神は彼らの計画をあざ笑われるだろう。
 

安倍内閣を牛耳る「日本会議」とは。閣僚の約8割が所属。戦前志向の政策を目指す

安倍内閣を牛耳る「日本会議」とは? 閣僚の約8割が名を連ね憲法改正を画策!
週プレNEWS 7月9日

憲法学者から「違憲」と指摘され、国会審議が難航する安全保障関連法案(以下、安保法制)。しかし、安倍政権は今月16日の衆議院本会議通過を目指して「強行採決」も辞さない構えだという。

そんな与党の背後で蠢(うごめ)くのが、日本最大規模ともいわれる右翼団体「日本会議」の影だ。

国政から地方政治まで、日本全土に幅広いネットワークを形成し、政界、宗教界、経済界を結びつけて日本の政治に大きな影響を与えるその正体とは?

***

「安保法制を合憲としている3人の憲法学者は皆、『日本会議』に属している。その意味や日本会議の影響力をどのように見ているか?」

6月15日、安保法制を違憲と断じた小林節(せつ)慶應義塾大学名誉教授と長谷部恭男(やすお)早稲田大学大学院教授による外国人記者クラブでの記者会見の席上で、イギリスの経済紙『エコノミスト』の記者からこんな質問が飛び出した。

ちなみに、安保法制を合憲としている3人の憲法学者とは、長尾一紘(かずひろ)中央大学名誉教授、百地章(ももち・あきら)日本大学教授、西修駒澤大学名誉教授のこと。

この質問に「日本会議にたくさんの知り合いがいるので私が答えます」と応じたのは小林氏。

「日本会議の人々に共通する思いは、第2次大戦で負けたことを受け入れ難い、だから、その前の日本に戻したいと。彼らの憲法改正案も明治憲法と同じですし、今回もそうですが、日本が明治憲法下で軍事5大国だった時のようにアメリカとともに世界に進軍したいという、そういう思いを共有する人々が集まっていて、かつそれは自民党の中に広く根を張っているように見える」

かつては、自民党のブレーンを務める改憲派の憲法学者として知られ、日本会議のメンバーとも縁浅からぬ小林氏はこう語った。

そして、海外メディアも注視する、安倍政権の急激な右傾化と日本会議との関係…。一体、日本会議とは、どんな組織なのか?

今年2月からウェブメディアの『ハーバー・ビジネス・オンライン』で日本会議についての連載「草の根保守の蠢動(しゅんどう)」を執筆する、菅野完(たもつ)氏に聞いた。


第3次安倍内閣の主要閣僚19人のうち15人、実に8割近くが『日本会議国会議員懇談会』という日本会議の議員連盟のメンバーです。

また、安保法制を『合憲』とした憲法学者の長尾氏と西氏は、日本会議のフロント団体『美しい日本の憲法をつくる国民の会』の代表発起人で、百地氏は幹事長を務めています。

他にも教育問題に関する安倍内閣の諮問機関『教育再生実行会議』や政府の様々な審議会にも日本会議の関係者が多くいます。安倍政権は事実上、日本会議に乗っ取られていると言っても過言ではありません

さらに、菅野氏が続ける。

「日本会議が設立されたのは1997年。母体となったのは、70年代中頃、右派の宗教団体を中心につくられた『日本を守る会』と81年に結成された保守系文化人の組織『日本を守る国民会議』です。

日本会議の事務局を中心となって動かしているのは、『日本青年協議会』という右翼団体。この組織のルーツは70年安保の時代に民族派学生運動で活躍した『全国学協(全国学生自治体連絡協議会)』及びその母体である生長の家学生会全国総連合』のメンバーです。

70年安保で“学園正常化”の名の下に、左翼の学生運動に対抗して大きな成果を挙げた彼らは、右翼・保守陣営の“大人たち”からも一目置かれる存在になった。

そして、左翼から学んだ市民運動の手法を生かして、方議会に法制化を求める働きかけを行なうなどして79年の元号法制化でも大きな力を発揮し、成功を収めるのですこうした運動手法は今の日本会議にも共通しています」(菅野氏)

「生長の家」とは戦前、谷口雅春によって創始された新興宗教。谷口は敗戦後も「大東亜戦争(太平洋戦争)に敗れたのは『偽の日本』であって、本当の『天皇國日本』は敗れたのではない」、「日本国憲法はGHQが日本を弱体化させるために日本に押しつけた無効の憲法であるので、日本国憲法を即時に破棄して大日本帝国憲法(明治憲法)に復元しなければならない」などと主張して、積極的な政治活動を展開してきた。

近年、生長の家は3代目の谷口雅宣(まさのぶ)総裁の下、左傾化といわれるほどの方向転換を行ない、政治からも距離を置いている。そのため現在、生長の家は日本会議の構成団体ではない。

しかし、菅野氏が「生長の家・原理主義者たち」と呼ぶメンバーが日本会義の事務局の中枢を占めており、日本会議の主張には創始者・谷口雅春の考え方が色濃く反映されているという。

「日本会議の主張を簡単に要約すると、『皇室中心』『改憲』『靖国参拝』『愛国教育』『自衛隊海外派遣』といったもので、それ自体はよく目にする『街宣右翼』の主張とそれほど大きな違いはありません。

ただし、安倍内閣における日本会議の存在感からもわかるように、その影響力は一般の人たちが想像するよりもはるかに大きい。しかも非常に組織的かつ大規模な『市民運動』の形をとっているのです。

衆参両院で実に280人近い議員を擁する『日本会議国会議員懇談会』を始めとして、県議会、市町村議会でも着々と勢力を伸ばし、『新しい歴史教科書をつくる会』および『教育再生機能』の教科書採択や憲法改正運動を草の根から進める『日本会議地方議員連盟』、憲法改正に向け1千万人の改憲賛成署名を集めることを活動目標に掲げる『美しい日本の憲法を作る国民の会』など、本体である日本会議以外にも数多くの関連団体、フロント組織を立ち上げて、国政と地方の両面から大きな影響力を発揮している。

安倍政権がこれまで実現してきた数々の政策を支えたのは、日本会議の持つ強力な動員力ともいえるのです」(菅野氏)

気がつけば、その日本会議が自民党最大の支持母体になっていた…。そして来年夏には衆参同時選挙で改憲をゴリ押し、叶わなければクーデターもありうるという。 その詳細は発売中の『週刊プレイボーイ』29号にて続きをお読みいただけます!

(取材・文/本誌「日本会議とは何か?」取材班)

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