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私ではなくキリストⅦ(東洋からの風の便りIV)

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。Ⅱコリント4:18

東洋思想とは何か。その柱は何を再建しようとしているのか。

前々から東洋思想とグノーシス主義について書かねばならないと思っていたのだが、象徴的なニュースがあったのでちょっと取り上げておきたい。

1.神社の「神様」はなぜ自分の神殿と氏子を守らなかったのか?

諏訪大社
御柱祭 柱から10メートル転落、氏子が死亡
毎日新聞2016年5月5日 21時14分(最終更新 5月6日 00時08分)

5日午後4時半ごろ、長野県諏訪市中洲の諏訪大社上社本宮(かみしゃほんみや)で開かれていた御柱祭(おんばしらさい)で、氏子の諏訪市豊田、自営業、日下部幸寛さん(41)が、柱(高さ約17メートル)を垂直に立てる「建て御柱」の直後、柱から約10メートル下の重機の屋根に落下した。県警茅野署によると、日下部さんは頭などを強打し、同市の病院に運ばれたが約5時間半後に死亡が確認された。

 目撃者などによると、「本宮一」と呼ばれる柱に乗っていた日下部さんは、後片付けをしながら下りる途中だった。一旦は横に張ったロープにぶら下がっていたが、間もなく落下したという。
御柱祭では前回(2010年)も、下社の「春宮一」の建て御柱から2人が落下し死亡する事故があった。氏子の男性は「安全対策を徹底して臨んだだけに残念だ」と話した。【ガン・クリスティーナ、宮坂一則、湯浅聖一】

写真:落下事故があった「本宮一」の御柱=長野県諏訪市中洲神宮寺の諏訪大社上社本宮で2016年5月5日午後6時18分、宮坂一則撮影

ついこの間も、熊本の地震で、阿蘇神社が崩壊したというニュースも報道されたばかりである。

阿蘇神社、楼門も拝殿も倒壊 神職「パニック状態」
朝日新聞デジタル 2016年4月16日11時47分

阿蘇山の北側の熊本県阿蘇市では、国の重要文化財に指定されている阿蘇神社の2階建ての楼門が倒壊した。柱は折れてつぶれ、屋根は大きく傾いた。拝殿や3カ所の神殿も損壊したという。
神職の内村泰彰さんは16日午前1時25分ごろ、境内裏の宿舎で寝ていたところ、いきなり激しい横揺れに襲われた。揺れが収まり、身の危険を感じて外に出ると、目と同じ高さに崩れた拝殿の屋根などがあった。「揺れた時、境内も無事では済まないと直感した。パニック状態です」

 市内ではライフラインが寸断された。高齢者29人が入所する特別養護老人ホーム「ひのおか順心館」では、電気と水道が止まり、部屋からのナースコールができなくなった。ベッドをリビングに持ち込むなどして対応しているという。水はペットボトルが計120リットル分あるほか、小型のタンクもあるが、何日もつか分からないという。職員の山本博子さん(35)は「停電してラジオも聞けず、情報が入らない」と話した。

 阿蘇市永草の永草公民館には1家族5人が避難した。公民館で住民の対応をした高藤拓雄さん(69)によると、一帯では水道と電気が止まったが、公民館に水や食料の備蓄はないという。高藤さんは「市役所に何回か電話したが、つながらない。救援物資を早く頼みたいのに困っている」と話す。

 阿蘇市一の宮町手野にある温泉施設「一の宮温泉センター」の管理人の男性によると、周辺では古い民家などが複数倒壊し、ブロック塀が崩れたという。近くの後藤とも子さん(67)は、激しい横揺れで目を覚ました。揺れは30~40秒続いたように感じた。地域の人たちは公民館前に集まり、朝を待ったという。自宅は瓦が落ち、土壁がはがれ、ブロック塀が倒壊。停電が続き、水道からは泥水が出ているという。「食べ物も飲み物もない。携帯電話の電池ももうすぐ切れそう。どうしたらいいか分からない」

 阿蘇市の阿蘇医療センターには16日午前6時すぎ、家が倒壊した南阿蘇村の現場から、若い男性2人が救急車で搬送されてきた。2人は重傷だが、意識はあるという。



それにしても、不吉な事件である。むろん、私は神道の信者ではないので、神社に神が祀られているとは考えてはいないが、それでもあえて問うならば、なぜ彼らの「神様」は、自分の神殿や、自分に仕える氏子を守らなかったのか。しかも、諏訪大社では前回の御柱祭にも死亡事故が二件も起きていたというから、この祭りも随分、大変な命がけの危険な行事だったようである。


2.「天地の人」 天と地をつなぐ梯子
 
さて、諏訪神社の御柱祭とはどのような起源を持つのか調べてみた。
長い歴史を持つこの祭りについては幾多の解釈が存在し、断定的なことは言えないようであるが、興味深いのは次の説である。

 

信州遠山郷 秘境の旅 から抜粋

天地を支える柱説

 さらに視野を広げてみると、世界各地には「世界は四本の柱によって支えられている」という神話が見られます。

  • ビルマ北部のカチン族の神話では、創造神が天地を鉄のように鍛えて一つの塊にし、それを二つに割って大地を下に置き、四本の柱でその上の天を支えたといいます。
  • インドネシアのセラム島タトゥリ地区の村々には、「聖なる村の石」と呼ばれるモニュメントがあります。平石を四つの石が支える形のもので、これは天が四つの柱で支えられているという世界観を象徴しています。
  • 南アメリカのマヤの神話では、世界の四隅には四本の巨大なバオバブの木が生えているとされています。
  • 中国神話によれば大昔、天を支える四本の柱が倒れてしまったため、女カ(女咼)という女神が亀の足を切ってそれに代えたといいます。
 日本でも、中国のそれによく似た神話が長崎県壱岐地方に伝えられています。神が壱岐の島を作ったとき、潮に流されないよう八本の柱で島を支えました。
  その柱が折れてしまったので今度は縄でつなぎ止めましたが、これもまた切れてしまいました。そのため、壱岐は今でも少しずつ流されているのだといいます
(※注4)

 御柱が世界の四隅を支える柱を象徴しているとすれば、その巨大さも、四本という数の意味も理解できます。
 事実、建立の終わった御柱が倒れたり傾いたりすると、世の中に不吉な出来事がおきる、という言い伝えが諏訪にはあるそうです。その証拠に、第二次世界大戦の時も御柱が少し傾いていたといいますから、御柱を建てる氏子の人達は責任重大です。

壱岐を支える柱の一つといわれる猿岩 (郷ノ浦町)

しめくくり

 折口信夫は、柱(ハシラ)は階(キザハシ)などと語源を同じくし、天と地とを結ぶ橋(ハシ)であり、神は柱を目指して降臨する、と唱えました。
 日本では、神を数えるとき「一柱、二柱」と数えます。国生み神話では、伊邪那岐命と伊邪那美命が天之御柱をめぐって結ばれます。
 伊勢神宮には「心の御柱」、出雲大社には「岩根御柱」という神秘的な柱が、本殿の中央に存在します。
 諏訪の御柱の起源が何であれ、それがこんにちまで続いてきた背景には、こうした柱にまつわる日本人の神観念が横たわっているのでしょう。

 御柱とは何か。この問いは、諏訪信仰を研究する人々にとって永遠のテーマです。おそらくは未来永劫、結論の出ない問題なのかもしれません。
 けれど当の氏子の人達にしてみれば、祭りの起源などたいした問題ではないはずです。大切なのは祭りを受け継ぐ固い意志と、その充実感なのではないでしょうか。
 皆で力を合わせて山から曳いてきた御柱が、天を衝いてそそり立つ。それを見上げたときの達成感なくしては、御柱祭もこれほどまでに大きな行事として発展してこなかったでしょうし、遠山谷の人々も、それを地元に呼ぼうとは考えなかったことでしょう。

 もしかしたら縄文時代の人達も、祭りの後のどんぐり酒(?)が飲みたい一心で、声をそろえてトーテムポールを引っ張っていたのかもしれません。



「地の四隅」という表現は、興味深いことに、聖書にも度々登場する。

「この後、私は見た。四人の御使いが地の四隅に立って、地の四方の風を堅く押え、地にも海にもどんな木にも、吹きつけないようにしていた。」(黙示7:1)

「柱」とは神道において神を数える数とされており、亡くなった人は神になるという観点から、戦没者などの亡骸も「柱」と数えられる。

だが、なぜ他でもなく「柱」なのか。上記の記事に記されている折口信夫の解釈によれば、「天地にまたがるハシ」に由来するのだという。

これも非常に興味深い説である。真っ先に、思い出されるのは、私がクリスチャンの兄弟達との交わりの中で、幾度となく、「天地の人」について語り合って来たことだ。
 
そのため、神道の解釈とは全く別に、「天地の人」という表現を聞くだけで、私は心を掻き立てられる。むろん、「天地にまたがる人」とは、我々から見れば、キリストのことなのである。そしてまた、天の御座におられるキリストをかしらとして、地に足をつけてサタンを踏みにじっている信者らの総体としてのキリストの御身体のことであり、エクレシア(教会)を意味するのである。

旧約聖書で、兄エサウを出し抜いて長子の権を奪ったヤコブが、兄の怒りを恐れて逃亡している最中、幻の中で天と地にまたがる梯子を見るくだりがある。

「ある所に着いたとき、ちょうど日が沈んだので、そこで一夜を明かすことにした。彼はその所の石の一つを取り、それを枕にして、その場所で横になった。
 

そのうち、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けられて立てられているその頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている 
そして、見よ。が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。

あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、来た、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。 
見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」

ヤコブは眠りからさめて、「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった。」と言った。 
彼は恐れおののいて、また言った。「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ。」

翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上に油をそそいだ。
そして、その場所をベテルと呼んだ。」(創世記28:11-19)

これも象徴的な意味で、神の民を予表している。今日、キリスト者自身が、神の御旨を天から地に引き下ろす存在として、天と地をつなぐ梯子だと言えるのである。だから、キリスト教においては、天と地をつなぐ真の梯子は、キリストご自身であり、また教会のことである。キリストは天地をつなぐただ一人の人であり、その御身体である教会に御霊として住んでおられ、満ちておられるのである。


3.神社本庁が国家神道の復活と改憲へ向けて主導する改憲へ向けての危険な政治運動 

さて、話を戻そう。上記の諏訪大社の御柱祭には、神社のみならず、社会に安定的な柱を据える、という意味がこめられていたようである。そこで、「事実、建立の終わった御柱が倒れたり傾いたりすると、世の中に不吉な出来事がおきる、という言い伝えが諏訪にはあるそうです。その証拠に、第二次世界大戦の時も御柱が少し傾いていたといいますから、御柱を建てる氏子の人達は責任重大です。」という言い伝えさえあったようだ。

それでは、残酷なようだが、柱を立てた氏子が亡くなった場合、それは何を意味するのであろうか。大変、不吉な前兆ではないのだろうか。しかも、二度連続して、複数の氏子が亡くなっているのである。どうにも、その背景には、人の命の安全よりも、祭りのスリルやダイナミックさの演出の方が大切だという考えがあるように思えて仕方がない。「人の目を喜ばせ、神様を楽しませ、世にご奉仕するためには、多少の人的犠牲も不可欠だ」という危険な考えを肯定するような兆候が見られるのではないだろうか。

だが、それにもまして、ここで思い出されるのは、ヨシュア記である。

「ヨシュアは、そのとき、誓って言った。「この町エリコの再建を企てる者は、主の前にのろわれよ。その礎を据える者は長子を失い、その門を建てる者は末の子を失う。」」(ヨシュア6:26)

人が亡くなったのに何と不謹慎なと言う人もあろうかも知れないが、この事件を警告と読むことはできないであろうか。

目下、神社本庁がすでに単に世俗化した宗教団体ではなくなり、独特の危険な政治的思想を持って、改憲に向けて積極的に宣伝活動を行なっていることは、かなり前から知られていることである。これは時計の針を逆戻し、平和憲法を廃止して、戦前の大日本帝国憲法を復活させて、国家神道を復活させようという思想的な目論見があってなされている運動である。

以下に、この運動を危惧する二人の弁護士の記述を引用するが、これを読んでも、筆者には、諏訪大社で建てられようとしていた「柱」は、単に伝統行事の域を超えて、今や神社全体が再建しようとしている危険なイデオロギーを象徴的に示していると理解しないわけにはいかない。

つまり、今、まさに再建されようとしている「柱」とは、軍国主義の復活であり、人権の否定であり、従って、人柱なのである。従って、それはエリコの再建よりももっとひどい体制の再建を意味する。人命が失われたことは、今後起きるであろう事柄への警告であるように思われてならない。

澤藤統一郎の憲法日記

本日(5月4日)の毎日新聞社会面に、憲法記念日関連報道の一つとして「改憲署名 賛成派700万筆集める 氏子を動員」という記事。

「憲法記念日の3日、…憲法改正を目指す団体『美しい日本の憲法をつくる国民の会』は東京都内でイベントを開き、全国で同日までに700万2501筆の改憲賛同署名を集めたと発表した。署名活動の現場を取材すると、地域に根づく神社と氏子組織が活発に動いていた。」

 「国民の会」がアベ政権の別働隊として1000万筆を目標に改憲推進署名を行っていること、その署名運動の現場の担い手として神社かフル稼働していることが、予てから話題となっている。

記事は、その現場のひとつを次のように報じている。
 「福島県二本松市の隠津島神社は毎年正月、各地区の氏子総代を集めてお札を配る。だが2015年正月は様子が違った。神事の後、安部匡俊宮司がおもむろに憲法の話題を持ち出した。『占領軍に押しつけられた憲法を変えなくてはいけない』。宮司は総代約30人に国民の会の署名用紙を配り、『各戸を回って集めてほしい』と頭を下げたという。」

「安部宮司は今年3月、取材に『福島県神社庁からのお願いで県下の神社がそれぞれ署名を集めている。総代が熱心に回ってくれた集落は集まりが良かった。反対や批判はない』と話した。隠津島神社の氏子は約550戸2000人で世帯主を中心に350筆を集めたという。氏子たちの反応はさまざまだ。

「今年正月には東京都内の神社が境内に署名用紙を置いて話題になった。全国で氏子組織が動いているのかなどについて、全国の神社を統括する宗教法人「神社本庁」(東京都)は取材に『国民の会に協力しているが、詳細は分からない』と説明。

隠津島神社の氏子総代(の一人)は言う。『地元の人が選挙に出ると地縁血縁で後援会に入らざるを得なくなる。署名集めもそれと似ている。ましてや神様からお願いされているようで、断りづらい面があったと思う』」。

この記事には興味が尽きない。神社が改憲運動に大きな役割を果たしているのだ。「神様からお願いされては、改憲署名は断りづらい」という氏子のつぶやきは、まことに言い得て妙。

元来、神社は地縁社会と緊密に結びついてきた。国家神道とは、神社の村落や地縁との結びつきを、意識的に国家権力の統合作用に利用したもの。村の鎮守様を集落共同で崇める精神構造をそのままに、国家の神を国民共同で崇める信仰体系に作り替えたものと言えよう。

いま、国家神道はなくなってはいるが、その基底をなしていた「地縁に支えられた神社組織」は健在である。その神社組織が日本国憲法を敵視して、改憲運動を担って改憲署名運動の中心にある。

見過ごせないのは、次の記事。この神社中心の改憲署名運動は、極めて戦略的に憲法改正の国民投票までを見据えているというのだ。
 「署名活動で神社関係者の動きが目立つが、『国民の会』を主導するのは保守系の任意団体『日本会議』だ。」「長野市内で昨年9月に開かれた日本会議の支部総会。東京から来た事務局員は、1000万人を目標とする改憲賛同署名の狙いを説明した」「会場には、長野県内の神社関係者が目立った」「これは請願署名ではない。国民投票という大空中戦で投票を呼びかける名簿になる」「憲法改正は衆参両院3分の2以上の賛成で発議され、国民投票で決まる。国民の会は国民投票の有効投票数を6000万人と想定。署名した1000万人に2人ずつ声かけをさせれば、改正に必要な過半数の3000万票に届くと計算する」。

以下は、毎日新聞3月18日付の記事。いったい、神社界はなぜかくも改憲に熱心なのか。
全国8万社を傘下に置く宗教法人・神社本庁の主張は「大日本帝国憲法は、民主主義的で誇り得る、堂々たる立派な近代的憲法」「帝国憲法の原点に立ち戻り、わが国の国体にふさわしくない条文や文言は改め、…全文見直しを行うのが本筋の改憲のあり方」(神社本庁の政治団体・神道政治連盟発行誌「意」、14年5月15日号)として、憲法1条を改めて天皇を元首とするほか、戦力不保持を定めた9条2項、国の宗教的活動・教育を禁じた20条3項の削除・改正に主眼を置く」という。

毎日は、「神社本庁の一部には、神社存続のために、国家神道の仕組みに戻りたいという心情があるのでは」という識者の意見を紹介している。

日本国憲法の「政教分離原則」とは、政治権力と宗教団体の癒着を許さないということだが、政治権力の側に対する規範と理解されている。「天皇や閣僚はその公的資格をもって靖国神社を参拝してはならない」「県知事は、護国神社に玉串料を奉納してはならない」「市が、地鎮祭を主催してはならない」という具合に、である。その反面、政教分離原則が宗教団体の側に対する規範という意識は希薄だった。神社が署名活動をすること自体は世俗的な政治活動であって、宗教的行為とは言いがたい。しかし、神社がここまでアベ政権と癒着し右翼勢力の中心にあって改憲に熱心であると、「政と教のどちらから歩み寄るにせよ、両者の癒着は防止しなければならない」と言いたくもなる。

憲法20条3項は、次のような書きぶりである。
 「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」
つまり、「国及びその機関」に対する命令となっている。「国及びその機関」に対して「宗教的活動を禁止する」という形で、宗教との癒着を防止しているのだ。

しかし、20条第1項の第2文は、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」と、宗教団体を主語にした書きぶりになっている。

改憲署名運動が、「国から特権を受け、又は政治上の権力を行使」に当たるものとはにわかには言いがたい。しかし、「帝国憲法の原点に立ち戻ろう」とする宗教団体が、時の権力にここまで擦り寄る政治性の高い改憲署名活動は、戦前の神社の特権と政治的権力を恢復しようという、反憲法的な目的と効果を有するものと捉えうるのではないか。

 宗教団体の側からの政教分離違反の問題として考え直してみる必要がありそうではある。
 (2016年5月4日)


次の記事は上記の主張をさらにもっと先鋭化したものである。神社に祀られている「神」が、「死神」だと結論づけているのは言い得て妙である。

弁護士 猪野 亨のブログ

神社の氏子を動員 神社は宗教の仮面を被った死に神だった 軍国主義日本の精神的支柱
2016/05/04  23:23

日本国憲法を目の敵にしている日本の右翼改憲勢力ですが、何と神社の氏子を動員して改憲署名700万筆を集めたそうです。
改憲署名 賛成派700万筆集める 氏子を動員」(毎日新聞2016年5月4日)
「憲法改正を目指す団体「美しい日本の憲法をつくる国民の会」は東京都内でイベントを開き、全国で同日までに700万2501筆の改憲賛同署名を集めたと発表した。署名活動の現場を取材すると、地域に根づく神社と氏子組織が活発に動いていた。
 地元で「弁天さん」と呼ばれ親しまれている福島県二本松市の隠津島(おきつしま)神社は毎年正月、各地区の氏子総代を集めてお札を配る。だが2015年正月は様子が違った。神事の後、安部匡俊(まさとし)宮司(62)がおもむろに憲法の話題を持ち出した。「占領軍に押しつけられた憲法を変えなくてはいけない」。宮司は総代約30人に国民の会の署名用紙を配り、「各戸を回って集めてほしい」と頭を下げたという。」

 2015年正月からこのような活動をしていたのですか。
 今年の正月には、北海道神宮でもこのようなことがツイッターで流されていましたので、今さら驚くという話ではありませんが、2012年12月に安倍政権誕生後、その活動を活発化させていたということです。

北海道神宮が日本会議の署名集めをしていた! 憲法「改正」を推進する宗教団体 お賽銭は御利益どころか、平和が破壊される



 神社といえば、日本軍国主義の精神的支柱であり、神聖にして侵すべからずとされた天皇を仰ぐ存在ですが、戦後は世俗化し、七五三などの儀式や地域で庶民の集う場になっていました。
 しかし、神社に仕える勢力は、天皇を象徴制に貶めた日本国憲法を決して認めることなく、天皇を元首とすべく虎視眈々とその機会を狙っていたということです。

 ここまで時代錯誤な勢力が日本の中にあったかと思うと嘆かわしいというだけでなく、よくよく考えてみると非常に恐ろしいことです。
 靖国神社もそうですが、あのアジア・太平洋戦争によってアジア諸国の人々を殺戮の限りを尽くし、また同時に日本国民に対しても多大な死を強要した日本軍国主義に対する反省など全くありません。

 靖国神社は露骨に聖戦美化する異常な人たちということは共通認識だからよいのですが、身近な神社までがということになると、この問題を放置することは許されません。
 神社は、日本の軍事大国化を目指す右翼勢力と結合し、改憲勢力の最前線に躍り出てきたのですから、世俗の仮面も投げ捨てたのです。

 神社勢力は、平和を敵視し、再び戦争ができる国、天皇を神に祭り上げていた暗黒時代に日本国民を導こうとする死に神以外なにものでもありません。
 神社への賽銭は、平和を破壊する資金源です。


恐ろしい神社の本質 憲法改悪に向けて日本会議と二人三脚

 「私は違う!」という神社関係の方々へ
 それならば、この神社勢力の行動を、名を名乗って批判の声を社会に向けて発して下さい。黙りは卑怯です。





4.神と人との断絶を認めない東洋思想は、「和の精神」という名目の下、個人を全体の所有物とみなし、全体を離れての個人の普遍的な価値を否定する

このような主張を読むとますます諏訪大社の御柱祭で起きたことが象徴的な警告に感じられる。

ただ軍国主義が危険なイデオロギーであり、これを復活させようという邪心が糾弾されるべきだという観点だけから言うのではない。まことの神はただお一人であり、神は生きておられる。侮られる方ではない。

戦前の国家神道には、明らかに、キリスト教に対抗するという思想的目的が込められていた。従って、それはクリスチャンの目には、日本が自ら神に反逆し、敵対する道を選んだ時期であった。そして、信仰を持たない人の目にも、その結果がどれほど悲惨なものであったかは否定できないほどに明白である。

従って、大日本帝国憲法時代に逆戻りを促すことによって、再び、我が国が偽りの神を提示してまことの神に敵対し、偽りの思想によって、多くの人の命を奪うことを正当化するならば、この国には以前よりももっと厳しい裁きが下るだろうと予想しないわけにはいかないのである。むろん、神はご自分に忠実な民を守られるであろうが、偽りのイデオロギーを信じる人々の末路は悲惨なものとなるであろう。

サイバーカルト監視機構とさわやか読者に関する分析でも、追って詳述する予定であるが、以下に示すように、神と人との断絶を認めない東洋思想こそ、キリスト教に敵対するグノーシス主義思想の集大成なのであり、この思想が、個人の尊厳を認めず、個人を全体(社会や国家)の道具とみなして、容赦なく犠牲にしていく精神を生んだのである。

国家神道も、その思想的構造を見るならば、明らかにグノーシス主義の一変種だと言えるのであり、それは徹頭徹尾、キリスト教に対抗する思想に貫かれている。

以下は、戦前の軍国主義時代に旧文部省から出された「国体の本義」の一部であるが、これを読めば、当時、日本人の義務とされ美徳として讃えられていた「和の精神」なり、「忠君愛国」の精神なり、伝統的な家族制度なりが、すべて、人が罪によって堕落したために神と断絶したという聖書に記された事実を否定することによって肯定されている様子がよく分かるであろう。この「和の精神」こそ、キリストの十字架の否定であり、個人を全体に包含されるものとして、全体の所有物として絡め取るものであり、十字架の切り分け、分離の否定なのである。

「我が国においては、神は恐ろしきものではなく…神と人との間は極めて親密である」などという美辞麗句にごまかされてはならない。以下の抜粋では、我が国がいかに他の国に比べて優れた思想を持っているかという愚かしい自慢話が延々と続いているが、そこで述べられているのは、要するに、神と被造物との断絶を一切認めず、神と人とが生まれながらに和合しており、全宇宙は調和によって一つに和合しているという思想である。

だが、それは人の耳に聞こえは良くとも、内実は恐ろしいものであり、このような考え方に立てばこそ、この思想においては、個人は全体(共同体)の所有物とみなされて、そのヒエラルキーの中で「分をわきまえて」自分よりも強い者に奉仕することが義務とみなされ、そのヒエラルキーから離脱することが許されず、全体を離れての個人としての尊厳というものが否定され、個人の意思などまるであってはならないないがごとくに、ただ全体の「空気」に従順であることだけが要求され、個人が異論を提示することも許されない不自由の中に閉じ込めてしまったのである。そのようなものが、理想的な「和」であるとして、全国民に強制されるに至ったのである。

国体の本義 
四、和と「まこと」
神と人との和 より抜粋

「更に我が国に於ては、神と人との和が見られる。これを西洋諸国の神人関係と比較する時は、そこに大なる差異を見出す。西洋の神話に現れた、神による追放、神による処罰、厳酷なる制裁の如きは、我が国の語事とは大いに相違するのてあつて、こゝに我が国の神と人との関係と、西洋諸国のそれとの間に大なる差異のあることを知る。このことは我が国の祭祀・祝詞等の中にも明らかに見えてゐるところであつて、我が国に於ては、神は恐しきものではなく、常に冥助を垂れ給ひ、敬愛感謝せられる神であつて、神と人との間は極めて親密である

  又この和は、人と自然との間の最も親しい関係にも見られる。我が国は海に囲まれ、山秀で水清く、春夏秋冬の季節の変化もあつて、他国には見られない美しい自然をなしてゐる。この美しい自然は、神々と共に天ッ神の生み給うたところのものであつて、親しむべきものでこそあれ、恐るべきものではない。そこに自然を愛する国民性が生まれ、人と自然との和が成り立つ。印度の如きは自然に威圧せられてをり、西洋に於ては人が自然を征服してゐる観があつて、我が国の如き人と自然との深い和は見られない。これに対して、我が国民は常に自然と相和してゐる。文芸にもこの自然との和の心を謳つた歌が多く、自然への深い愛は我が詩歌の最も主なる題材である。それは独り文芸の世界に限らず、日常生活に於ても、よく自然と人生とが調和してゐる。公事根源等に見える季節々々による年中行事を見ても、古くから人生と自然との微妙な調和が現れてゐる。年の始の行事はいふに及ばず、三月の雛の節供は自然の春にふさはしい行事であり、重陽の菊の節供も秋を迎へるにふさはしいものである。季節の推移の著しい我が国に於ては、この自然と人生との和は殊に美しく生きてゐる。その外、家紋には多く自然の動植物が用ゐられてをり、服装その他建築・庭園等もよく自然の芙を生かしてゐる。かゝる自然と人との親しい一体の関係も、亦人と自然とが同胞として相親しむ我が国本来の思想から生まれたのである。

  この和の精神は、広く国民生活の上にも実現せられる。我が国に於ては、特有の家族制度の下に親子・夫婦が相倚り相扶けて生活を共にしてゐる。「教育ニ関スル勅語」には「夫婦相和シ」と仰せられてある。而してこの夫婦の和は、やがて「父母ニ孝ニ」と一体に融け合はねばならぬ。即ち家は、親子関係による縦の和と、夫婦兄弟による横の和と相合したる、渾然たる一如一体の和の栄えるところである。

  更に進んで、この和は、如何なる集団生活の間にも実現せられねばならない。役所に勤めるもの、会社に働くもの、皆共々に和の道に従はねばならぬ。夫々の集団には、上に立つものがをり、下に働くものがある。それら各々が分を守ることによつて集団の和は得られる。分を守ることは、夫々の有する位置に於て、定まつた職分を最も忠実につとめることであつて、それによつて上は下に扶けられ、下は上に愛せられ、又同業互に相和して、そこに美しき和が現れ、創造が行はれる。

  このことは、又郷党に於ても国家に於ても同様である。国の和が実現せられるためには、国民各々がその分を竭くし、分を発揚するより外はない。身分の高いもの、低いもの、富んだもの、貧しいもの、朝野・公私その他農工商等、相互に自己に執著して対立をこととせず、一に和を以て本とすべきである。

  要するに我が国に於ては、夫々の立場による意見の対立、利害の相違も、大本を同じうするところより出づる特有の大和によつてよく一となる。すべて葛藤が終局ではなく、和が終局であり、破壊を以て終らず、成就によつて結ばれる。ここに我が国の大精神がある。而して我が国に現れるすべての進歩発展は、皆かくして成される。聖徳太子が憲法十七条に、
   和を以て貴しとなし、忤ふることなきを宗と為す。人皆党有り、亦達れる者少し。是を以て或は君父に順はずして、乍隣里に違ふ。然れども上和ぎ下睦びて、事を論はむに諧ひぬるときには、則ち事理自らに通ず。何等か成らざらむ。
と示し給うたのも、我が国のこの和の大精神を説かせられたものである。」

このように、人が罪によって堕落したがために、神と断絶したことを認めない思想は、キリストの十字架の贖いの必要性をも否定する、神に敵対する思想なのであり、それが「神と人との和」という美しいスローガンとは裏腹に、どんな悲惨な結末へ我が国を導いたかは、今更、繰り返す必要もない

「神は恐しきものではなく、常に冥助を垂れ給ひ、敬愛感謝せられる神であ」
ったはずが、そのように、人にとって脅威とならない、恐ろしくもないはずのその慈悲深い「神」が、数えきれない人々の命を残酷に奪ったのである。一体、どこに「神と人との和」などあったのだろうか。生きて収奪され、死んで神と和合するのが人の理想だとでも言うのだろうか。

もし我が国の「和の大精神」なるものが、ここで賛美されているほどに美しい、真実性を伴うものであったとすれば、それがあれほどおびただしい犠牲者を生み、無責任体制を作り上げ、我が国を亡国の淵まで追いやるということは起きなかったであろう。従って、ここで謳われている「神と人との美しい和合」、「人と自然との美しい調和」、「人と人との美しい和合」なるものが、すべてうわべだけの虚偽であり、それはまことの神を否定し、人間の本質に逆らい、神の事実に敵対する思想であればこそ、悲惨な結末しかもたらさなかったのである。

従って、このような思想を再び建て上げようとする者は、エリコ以上の忌むべき城壁を再建しているのであって、その柱は、神が降臨するどころか、悪魔の降臨(反キリスト)を体現するものとなるだろうことは、クリスチャンの目に明白である。それによってもたらされるものは、人間の序列にがんじがらめにされて、個人の意志や自由が認められず、異論も唱えられない不自由な社会であり、再び、累々たる屍、すなわち、終わりなき人柱だけなのである。
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