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私ではなくキリストⅦ(東洋からの風の便りIV)

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。Ⅱコリント4:18

恐れるな、小さき群れよ。御国を下さることは、父のみこころなのです(3)

夜明けと共に外へ出て小鳥たちのさえずりを聞く。まだ人が起き出していない時間帯は、空気が澄んで冴え渡っている。雀が喜びに満ちて空を飛び交い、我が家にも可愛らしい挨拶をしに来る。新しい朝と共に、何とも言えない感動が溢れて来る。神が創造されたこの世界は美しい。

「そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。」(創世記1:31)

非常によかった。この言葉を思い出す。主が造られたものは、神の創造の不思議を余すところなく体現しており、何の欠けたところも、不足もなかった。その時、世界は神の目からどう見えていたのか、今見えるものを見つめながら、思う。

何の変哲もない毎日の風景の中に、主が、確かに共におられ、力強く生きて働いておられることを感じる。私たちのただお一人の守り主、救いの岩、やがて来るべき王、王の王、主の主。神は御子によって全ての御わざを完成されたのである。たとえこの目に見える被造物全体が、贖いを待っているにしても、ここに確かに、キリスト者と共にすでに新しい秩序が到来している。キリストはすべてのわざを十字架において完了され、それは私たち信じる者たちのものである。

「いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」ルカ17:21)
 
海の向こうから聖徒らが贈り物を携えて主の宮に集まって来る足音が聞こえるような気がする。神はアダムのためにエバを造られたように、愛する御子キリストのために花嫁エクレシアを召し出された。召し出された者たちが、収穫を携えて、喜びの涙と共に集まって来る。

「主に贖われた者たちは帰って来る。
 彼らは喜び歌いながらシオンに入り、
 その頭にはとこしえの喜びをいただく。
 楽しみと喜びがついて来、
 悲しみと嘆きとは逃げ去る。」(イザヤ51:11)

それは遠い未来の日のことではない。神は信じる者のために全てを達成された。すべては十字架において御子によって達成されたのである。私たちはそこからすべてを引き出す。この古き世界に身を置きながら、私たちはすでに新しい秩序の中を生きているのである。

神の愛が私たちを取り囲んでいる。恐れるな、強くあれ、雄々しくあれ、神の子供たちよ。主が共にいましたもう。万軍の主が共におられる。聖徒らを御前に訴え出ることのできる者はどこにもいない、神は彼らを義とされたのである。

神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。

 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた型であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。

 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
 「あなたのために、私たちは一日中、
 死に定められている。
 私たちは、ほふられる羊とみなされている。」
 と書いてあるとおりです。

 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(ローマ8:30-39)

召し出された者たちに対する神の愛が、圧倒的な波のように押し寄せて来る。私たちがこの地上において遭遇するどんな出来事をも、神の愛は、はるかに高く超えて行く。地上で起きるどんな出来事も、どんな状況も、神の愛から聖徒らを引き離すことはできない。

私たちのために御子をさえ惜しまずに与えて下さった方は、この方の命によって、ご自分の子供たちのすべての必要を満たし、豊かに生かして下さる。御国は、すでに来ている、聖徒らの只中に。キリストのお与え下さった命によって、聖徒らにはすべてが与えられているのである。

だから、恐れるな、強くあれ、雄々しくあれ、神の子供たちよ。神が私たちを愛し、私たちのために御子を遣わして、その命をお与え下さったように、私たちも命ある限り、主を愛し、その愛の中にとどまり、御言葉の中にとどまる。この目に見える世が終わり、来るべき世が来て、主と共に栄光にあずかるそのときまで、私たちは変わらず主の復活の証人である。

「小さな群れよ。恐れることはありません。あなたがたの父である神は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。」(ルカ12:32)
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