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私ではなくキリストⅦ(東洋からの風の便りIV)

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。Ⅱコリント4:18

私は山に向かって目を上げる。私の助けは、天地を作られた主から来る。

さて、このところ日々、深い平安の中で、主の御業を見る。
あまりにも些細な日常の出来事なので、詳しく書き記すこともないが、実に面白い小さな日常の出来事の中に、いつも主のわざを見る。

物流、天候、人の反応、動物たちの行動…、どんな出来事の中にも、主が共にいて下さり、力強く働いて下さっている目に見えない臨在を見る。

昨日は、またしても必要が整えられたので、満月のような丸く赤い月が空に浮かんでいるのを見ながら、広々した空間で、天を見上げ、主に感謝の願いを捧げた。

公生涯を始められてから、主イエスは誰にも頼ることなく、父なる神だけを頼りとして地上で生活された。人の子には枕するところもないと言われた通り、自分の家を構えることもなく、自分の技術や知識により頼んで身を立てることもなく、地上では完全に寄留者として、一切、父なる神以外の庇護者を持たなかった。

それにも関わらず、暗闇の勢力の前で、父なる神の絶大な愛と御力を証された。十字架の死という究極の弱さを通られても、なお、復活の命によって悪魔を打ち破られた。キリストこそ、造られた世界のまことの統治者なのである。

キリスト者も、同じでなければならないことを思う。

いや、同じでなければならないというだけでなく、どんな目に見える庇護者よりも、神がはるかに強く、信頼できる方であることを、キリスト者は生きて味わい知り、また証明する必要がある。

筆者は、これまでたくさんの人々との関わりの中で、信者であっても、とかくリーダー格になりたがったり、人助けにいそしんでは人前に栄光を受けたがる人々もいることを知ったが、決して、主イエス以外のリーダーは必要ないのだと心から確信している。

リーダーだけではない。助力者も、助言者も、教師も、弁護者も、医者も、カウンセラーも、すべてが主イエスご自身だけなのだ。私たちの助け主は、天にも地にも、ただお一人しかいない。

人はこれを見て「寄る辺ない状態」と言うかも知れないが、ところが、神ほど強力な助け主はない。キリスト者は、一切の人知による助けに頼らず、ただ神に栄光を帰すれば帰するほど、ますます強く、勇敢になって行くのである。
 
主イエスが地上で歩まれたように歩もうと、心に決めた。父なる神だけを頼りとして、どれほどのことが信者に可能であるのか、神の愛と憐れみに満ちた御心とご計画のダイナミックさと不思議を生きて味わい、証明するために、何よりも栄光をただお一人の神だけに帰するために、大胆に、歩みを進めて行こうと思った。

神の子供たちよ。強くあれ、雄々しくあれ。キリストはすでに世に勝利された。主の愛がキリスト者を四方から取り囲んでいる。神の愛が津波のように信者に押し迫っている。
 
「私は山に向かって目を上げる。
私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を作られた主から来る。」(詩編121:1-2)

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