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私ではなくキリストⅦ(東洋からの風の便りIV)

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。Ⅱコリント4:18

神への冒涜に対するとりなしの祈り

今日は我が家の書棚から、『祈りの石垣を築け』という本を取り出します。著者はバジレア・シュリンク(カナン出版、1995年)。この著書にはとりなしの祈りがおさめられています。
 そこから、今日は「神への冒涜に対するとりなしの祈り」を紹介したいと思います。

 アメリカを含め、世界の聖霊派の名だたる指導者たちの幾人もが、あからさまに「私は神だ!」と宣言しているビデオを見られて、空恐ろしく感じられた人も多いかも知れません。私たちは肉なる人間に過ぎない者であるのに、その私たちのうちから誰かがこのような言葉を叫ぶ時、クリスチャンは、それを他人事としてただ傍観したり、嘲笑したりするのでなく、肉に過ぎない者の犯したその大いなる罪を、主の御前にひれ伏して嘆かなければなりません。

 旧約聖書時代の預言者がしたように、衣服を引き裂き、荒布をかぶり、断食して、灰の中に座ることまでは、私たちにはできないかも知れません。しかし、主を悲しませ、傷つけ、冒涜する言葉や行為をし続けている人の罪に対して、とりなしの祈りを捧げることは重要です。


2016年6月5日:追記
筆者は、長年に渡り、己を神とする異端の教えの偽りを追及して来ましたが、その結果、今、言えることは、「この種類の冒涜は決して赦されない罪である」、従って、とりなしてはいけないし、とりなしても無効だ、ということです。

主イエスは言われました。


「まことに、あなたがたに告げます。人はその犯すどんな罪をも赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。」(マルコ3:28-29)

むろん、聖書の神を知らない人が、聖書の神を罵倒したり、否定したりする罪にはまだとりなしの余地がありまし、クリスチャンが過ちを犯して神を軽んじ、罵倒してしまったり、悲しませるようなことをした罪にもと、まだとりなしの余地があります。

しかしながら、クリスチャンの指導者を名乗り、聖書の御言葉を十分に知りながら、神と人との境界線を踏み越えて、「私は神だ!」と宣言する人々には、とりなしの余地はなく、もはや後戻りの道はありません。従って、このような人々の罪を赦すようとりなしによって要求することは、悪魔の思想に加担することと同じです。

神が唯一であるという事実は、聖書の根幹であり、動かすことのできない事実です。ところが、クリスチャンでありながら、神と人との境界を故意に踏み超え、汚れたものを神聖と宣言し、自ら神と宣言する者は、神の地位を奪う悪魔的な思想を信じているのであり、そのような教えを信奉した結果、己を神と宣言した者は、必ず、裁かれ、彼らに後戻りの余地はありません。

一連の記事で示しているように、ペンテコステ・カリスマ運動は、必ず、信じた人に己を神とさせるという特徴がありますが、そこには「聖霊を冒涜する教え」があります。この運動の背景には、聖霊を「母なる霊」とし、「神秘なる母性」を崇拝する偽りの信仰があります。これは東洋思想とキリスト教とが合体してできた混合物であり、意図的に作り出された背教なのです。

聖書は、大淫婦バビロンが「混ぜ合わせた杯」(黙示18:6)を持っていることを示していますが、これは混合の教えを意味します。キリスト教そのものを否定するのではなく、聖書の御言葉と別のものと合体させて、混合物を作り出し、これをキリスト教のように見せかけて人々に信じさせようとするのです。


むろん、知らずにペンテコステ・カリスマ運動に欺かれていた信者にはまだ後戻りの道があります。しかし、故意に御言葉に反してこのような混合の教えを作り出し、これを広めることに加担した結果、ついには自らを神と宣言するに至った者には、決して後戻りの道はありません。それが「聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。」という意味である、と筆者はみなしています。当然ながら、そこには「母なる聖霊」論を唱える人々も含まれます。

従って、このような教えを信じている人々にとりなしの祈りなどしても意味がありませんし、彼らをかばうことで、同じ罪にあずかってもなりません。このような汚れた教えとそれを信奉している人々からは、全力で早急に遠ざかり、永遠に訣別することです。


わが民よ。この女から離れなさい。その罪にあずからないため、また、その災害を受けないためです。なぜなら、彼女の罪は積み重なって天にまで届き、神は彼女の不正を覚えておられるからです。」(黙示17:4-5)

* * *

 

 主なる神よ、あなたは天地と全人類の創造主で、永遠かつ不滅の神であられます。にもかかわらず、今日あなたは御自分がお造りになった人間によって冒涜を受け、拒絶され、死んだ神と宣告されています。あなたの戒めは、クリスチャンからでさえ軽んじられ、踏みにじられています。

 私たちはなんということをしてしまったのでしょう。
 どうして、私たちの裁き主である生ける神をあえて攻撃することなどができたのでしょうか。

 私たちの罪を赦してください。
 主イエス・キリストよ、あなたの尊い血潮のゆえに私たちを憐れんでください。

 主イエス・キリストよ、あなたこそ神の独り子、高くいまし威厳に満ちた方です。あなたは、神の右の座に着いておられる私たちの主であり、贖い主です。にもかかわらず、今日、あなたはおびただしい出版物や興行で冒涜され、さげすまれるばかりか、キリスト教会内でさえも道化役にまでおとしめられています。

 国家として、教会として、私たちはあなたに対してなんと嘆かわしい罪を犯したことでしょう。あなたは私たちの罪のために死んでくださったというのに、私たちはあなたに再びいばらの冠をかぶせ、侮辱と冒涜をもってそれにこたえました。
 私たちの罪を赦してください。主イエス・キリストよ、あなたの尊い血潮のゆえに私たちを憐れんでください。

 あなたを私たちの救い主として告白する私たちは、自分たちの罪、教会と国の罪のゆえに恥じ入って自らを低くします。
 自分達の過ちを真剣に受け止めなかったことを赦してください。あなたが嘲笑され、さげすまれた時の私たちの無関心と鈍感をお赦しください。

 私たちはあなたに対してどれほど罪を犯したことでしょう。私たちは、今日のあなたの苦しみの中に、あなたを見捨て、そればかりかあなたの悲しみを増し加えさえしています。
 私たちは個人として、また国家として、私たちの罪について祈り、嘆願することを怠りました。私たちは過ちのことごとくを悔い改めないばかりか、それを大目に見ました。

 私たちの罪を赦してください。主イエス・キリストよ、あなたの尊い血潮のゆえに私たちを憐れんでください。

 眠りから目覚め、祈り戦い始めようではありませんか。

 現代に蔓延している神に対する冒涜を目の当たりにして、イエスよ、贖い主であるあなたを、また聖なる方であり、裁き主である神を証しすることができますように。私たちは、たとえそれがどんなに大きな犠牲や苦しみであっても、喜んですべてを捧げます。

 聖霊よ、あなたの助けによってそうすることができますように。
私たちの心を燃え立たせてください。罪を嘆き、悔い改めに満ちて熱心に祈ることができますように。
 侮られている主イエスのために犠牲を献げ、苦しみを耐え忍びたいという願いで私たちの心を駆り立ててください。

 主イエスよ、私たちは今日憎まれているあなたを愛することを切に願わずにはいられません。
 
 主イエスよ、私たちは立ち上がり、あなたの役に立てることを願っています。
 どうか私たちが冒涜に対して抗議するあらゆる機会を逃さないように助けてください。

 映画や出版物、とりわけキリスト教会内においてあなたが受けておられる中傷に対して立ち上がることができるように助けてください。

 神の小羊よ、あなたの血潮の力によって悪の勢力の前進を押しとどめてください。魂を罪深い生き方と神に対する冒涜から救ってください。

 祈りと悔い改めを通して、私たちが備えられますように。あなたの大いなる裁きが地上に臨む時、あなたが私たちを救うことができますように。 
 アーメン。


 わがイエスは今日涙し嘆かれたもう
 あざ笑われ さげすまれ その御姿は恥をまとう
 その心ほど我らを慈しんだ愛はなし
 されどかかる傷を受け 苦しみを負われた君

 我らは過去にまさり汝を高く上げん
 ああ 愛する主よ 我らの耳を開いて聞かしめたまえ
 汝の嘆き 心の痛みを
 この日 我らに汝への慰めをささげさせたまえ

 我ら今汝を愛し 汝のために生かしめたまえ
 我ら今心を尽くし
 汝の御苦しみにあずからせたまえ
 我ら声高らかに汝はわがすべてと告げ知らせん
 諸人汝 主イエス・キリストを知るべし


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