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私ではなくキリストⅦ(東洋からの風の便りIV)

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。Ⅱコリント4:18

谷川の流れを慕う鹿のように

神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、
 わが魂もあなたを慕いあえぐ。
 わが魂はかわいているように神を慕い、
 いける神を慕う。

 いつ、わたしは行って神のみ顔を
 見ることができるだろうか。
 人々がひねもすわたしにむかって
 『おまえの神はどこにいるのか』と言いつづける間は
 わたしの涙は昼も夜もわたしの食物であった。

 わたしはかつて祭を守る多くの人と共に
 群れをなして行き、
 喜びと感謝の歌をもって彼らを神の家に導いた。
 今これらの事を思い起して、
 わが魂をそそぎ出すのである。

 わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。
 何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。
 神を待ち望め。
 わたしはなおわが助け、
 わが神なる主をほめたたえるであろう。(詩篇42:1-5)

* * *
 
 「谷川の流れを慕う鹿のように…」、この賛美をよく友人と歌った。友人が外国にいた時、私が彼がギターで演奏できるようにと、この曲のコード表を作って、メールで送ったこともあった。共にこの賛美を人々の前で歌った。友人は声のきれいな人で、「永遠の都エルサレム」も、人前でよく歌ったものだ。
 だが、この友人は、あまりにも悲しい事件のために、もう私のそばにはいない。彼から送られた何百という手紙が、私の手元に残っているが、生きて二度と声を聞くことはないであろう。

 主は、孤独になった私のために、別の友人たちを備えて下さった。初めのうちは分からなかったが、それは、友人よりももっと深い絆で結ばれた兄弟姉妹であった。「互いに愛し合いなさい」と言われた主は、私が孤独のうちに暮らすことをお望みにならなかった。まだ直接、会ったことのない人々の中にも、私の兄弟姉妹がおられることが分かっている。この方々にお会いできる日を、私は待ち望んでいる。

 考えたこともなかった。たとえ一度も、会ったことがなくとも、あるいは、一度しか会ったことがなくとも、まさかこれほどの愛情を抱くことができるとは。想像もしていなかった。こんなにも遠く離れた地に住み、言葉を交わす機会さえ奪われていながら、これほどまでの愛と慈しみの絆によって、人と人とが結ばれることができるとは。

 こんなことができるのは、主よ、あなただけです。主が私のために、決して失われることのない心の友を与えて下さったことに、私はどれほど感謝しているでしょう。けれども、こうして与えられた宝である生きた友人のすべてにまさって、私の心は、恵みの源であるあなたに向けられ、あなたを愛し、あなたを慕ってやみません。

 厭世的な世界観はとうに捨てました。絶望の日々は過ぎ去りました。私は日々与えられる恵みと祝福を喜んで受け取っています。それでも、あなたの御許へ行き、あなたの御顔を拝することができるその日を、私の心は求めてやまないのです…。

 主よ、人とは何者なのでしょうか。完全であられるあなたが、このように低く惨めな者をお求めになるとは。何と不思議なことでしょうか、この私が、あなたに求められているとは。どんな光栄を賜って、私があなたの御用に携わることができるのでしょうか。
 主よ、人とは何者なのでしょうか。あなたがこれに目を留められるとは…。

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