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私ではなくキリストⅦ(東洋からの風の便りIV)

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。Ⅱコリント4:18

初めの愛

日が昇って、辺りが明るくなりつつある。昨日より、神に捧げる愛が、私の中に、まるで潮騒のように優しい音楽となって鳴り響いている。旋律も和音もないのに、不思議なほど感動的な調べなのだ…。
 「初めの愛」に引き戻された。今はどんな斬新な話題も要らないし、緻密な分析も要らない。時事的な話題で人目を集める必要もないし、人の語る言葉の刺激によって自分を満たす必要もない。こうしてブログを書くことさえ億劫なほどに、主との語らいが、大きな安らぎとして身に迫ってくる…。

 静かなところへ身を避けて、主との一致の中で、安らかに、半生を振り返る。これまでの人生に起きた喜びと悲しみと、壮絶な苦悶の跡も含めて、すべての事柄をもう一度、主の視点で見ながら、語り合う。
 ああ、あの場面でも、主は私と共におられたのだな。この場所へ来た時も、やっぱり、一緒におられたんだろうか? 旅の道連れと心が通じず、破れた心を抱えて、自分は一人ぼっちで、見捨てられていると思っていたあの時でさえ、私は一人ではなかった…?
 全ての心の打ち傷について、主に率直に申し上げる。すると主は私の祈りに応えて、それを御言葉によって温かく包んで下さる。

 神は聖書の中で、キリスト者の夫になったり、親になったりと、結構、忙しい。やはり、私の中で一番、近しく感じられるのは夫から妻への呼びかけだが、戒めを語る時には、「わが子よ」という表現が多く用いられる。

 「わが子よ、わたしの言葉に心をとめ、
 わたしの語るところに耳を傾けよ。
 それを、あなたの目から離さず、
 あなたの心のうちに守れ。
 それは、これを得る者の命であり、
 あまたその全身を健やかにするからである。
 油断することなく、あなたの心を守れ、
 命の泉は、これから流れ出るからである。
 曲った言葉をあなたから捨てさり、
 よこしまな談話をあなたから遠ざけよ。<…>
 あなたの足の道に気をつけよ、
 そうすれば、あなたのすべての道は安全である。
 右にも左にも迷い出てはならない。
 あなたの足を悪から離れさせよ。」(箴言4:20-27)

 私の心はまるで海の色のように刻々と変化する。海のように荒れ、または穏やかに波打つ。その心を守れと主は語られる。自分の心を見張れ、と。この世の事象によって心騒がせるのではなく、御言葉によって心が導かれるようにせよ、と主はおっしゃる。それが私の健全さと、命の泉を保つための秘訣なのだと。その通りに従おう。

 近々、主は私が知らず、考えたこともないような新たな恵みへと導いて下さるのではないだろうかと思いを馳せる。世はますます混乱へ向かうかも知れないが、それに反して、キリスト者はますます主にあっての喜びと平安に満たされるだろう。

 格差とは、経済的なものではないのだ。このことに、どれほどの人々が今、真に気づいているだろうか。この先、神の御言葉に立つ者の豊かさと、御言葉に立たない者の貧困という、霊的格差はますます広がっていくだろう。御言葉に立たない者の貧困はあまりにも著しくなり、求めても、求めても、安らぎが得られなくなるかも知れない。御言葉を聞くことへの飢餓が始まるだろう。そして、よく言われるように、その飢饉はすでに始まっているのだ…。

 花嫁は婚礼へ向けて、身支度を始めなければならない。灯りと油を用意せねばならない。救いの確信に立ち、御言葉の光を保ち、霊によって導かれて生きなければならない。人生の時間はいつまでも永遠に与えられているわけではないのだから、限られた生の中で、神に召し出された花嫁としての身支度をクリスチャンは完全に整えなければならない。この峻厳なたとえ話を思い出し、愚かな花嫁になってはいけないと自分に言い聞かせる。

「私にできるでしょうか、主よ?」
 不安に駆られてそう尋ねるならば、主はきっとこうお答えになるだろう。
「あなたがするのではない、私がするのだ」

 聖書に出て来る花嫁の身支度の場面は、私にとって特別な意味を持っている。いつかまた語ることがあるかも知れないが…。主に召し出された花嫁の晴れ姿はいかばかりに美しいものだろうか? だが、そのきらびやかさ、美しさばかりに思いを馳せるのでなく、今、もう一度、心を厳かにして、私がいずれ臨もうとしている婚礼の厳粛な意味を考えてみる。何度、考えても、私はそれにふさわしい人間ではない。主が私を聖めて下さらなければ、どうしてその日に私は主の御前に恥ずかしい思いをせずに立ちおおせようか。

 主よ、どうして私のようなものをお選びになって下さったのですか?
 一瞬にしてこの地上を過ぎ去り、気づけばもう消えている道端の草のようなこの命の短い者を、永遠の存在であるあなたがお選びになることなど、どうして起こり得たのでしょうか?
 どうしてあなたが私を愛されるなどという奇跡が起こり得たのでしょうか?
 さらに、あなたがこの私のために命を捨てられたとは、何という信じられないほどの不思議でしょうか。
 人とは何者なのでしょうか。
 人が何者だから、あなたはこれほどまでに人に目を留めれるのでしょうか。

 神は、限りある命の、脆く弱い人間のために、小羊なる御子イエスの命を与えられた。その血によって人を罪から洗い清め、神にふさわしい聖なる花嫁となるようにされる。

 
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