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私ではなくキリストⅦ(東洋からの風の便りIV)

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。Ⅱコリント4:18

少年法改正と憲法改正 〜少年A君のために③〜

暗闇の力が迫っている。

私がこのブログを試験的に書き始め、神戸連続児童殺傷事件のことを取り上げてから、まだほんの十数日ほどしか経っていないというのに、何十年の沈黙を破って、「元少年A」が手記を発表した。『絶歌』である。

神戸の事件によって息子を殺害された遺族は、この手記の出版には事前に何の承諾も得ておらず、この手記によって深刻な2次被害を受けたとして、弁護士を通じて出版差し止めに向けて抗議文を出した。(少年Aの手記「今すぐ出版中止を」遺族が訴える 神戸連続児童殺傷事件ハフィントンポスト)

にも関わらず、太田出版社は出版を強行、出版からわずか数日で手記はベストセラー入りし、早速、少年法改正の議論さえ出てきているというのだ。

何かおかしくないだろうか。この急速な流れ。

神戸連続殺人事件を人々の脳裏に思い起こさせることにより、またもや少年法改正、厳罰化を是認しようとしているこの流れを疑問に思わない方がおかしい。これはどう考えても、自然発生的な現象ではなく、「上から作られた流れ」ではないだろうか。手記は計算されたタイミングで上からの承認を得て発表されたのではないかと推測される。


***

まず、最もおかしいのは、こんなにも何十年間も沈黙していたはずの元少年Aが、なぜいきなりこのタイミングで手記を発表したのかということだ。

私はこの少年Aは神戸連続殺人事件の真犯人ではないと見ており、これは少年法を改正して厳罰化することを可能とする世論誘導のために、そもそも権力側によって捏造された自作自演事件であったと推測している。少年Aは権力側によって都合よく犯人に仕立て上げられたに過ぎない可能性が高く、その疑いを裏づける数々の主張が、知識人らによって指摘されていることについて、すでに記事に記した。

今、起きていることは、前回の繰り返しではないだろうか。

仮に百歩譲って、元少年A君が真犯人だと仮定してみたとしても、犯人がどんなに文才巧みな人間であれ、重罪を犯している以上、そんなにも簡単に手記の出版に漕ぎ着けられるはずがない。何の前科もない市民にとっても初出版は大変な作業であり、売れ行きが確実でないと、出版社も応じない。当然、細々と自費出版を行うことになるのである。

そんな状況で、一度も書物を公刊した経験がなく、恐らくは名前も変えて、世間から隠れるようにして生きている人間、しかもあまりにも反社会的な犯罪を犯したという過去を負っている「元犯罪者」がどうして簡単に出版ができようか。どうして自分の身元が割れるかもしれない危険を自ら背負おうと望むだろうか。出版社が炎上商法を狙うにしても、あまりにも常軌を逸している。

そこで、これには必ず出版を影で支え、可能とした上からの大きな力があり、ゴーストライターもいると見るのが適切であろう。その見えない力の後押しがあってこそ、わずかな間で、これだけ短期間で売り上げを伸ばすという「不自然な実績」もできたのである。

ネットではこの手記については否定的な意見が大半で、不買を呼びかける人も多く、世間はこの邪悪な事件を脳裏に思い浮かべることを拒否しており、誰かがそれを読んだとしても、感想を述べるのさえためらわれる空気がある。世間はこの事件を決して典型的な少年犯罪事件とは考えておらず、極めて特異で稀な事例であると認識している。この書物に今、大勢が多大な関心を持っているとは私にはどうしても思えないのだ。

ネットの意見が国民の大半の意見を反映しているとすれば、この異常な売り上げは、自然なものでなく、事実なのかどうかさえ分からない。再び、少年法を改正して、厳罰化を可能とする下地として、あたかも世論がこの手記に関心を示しているかのような空気を作り上げ、少年犯罪への人々への関心を再び盛り立てるために、『絶歌』の架空の売り上げ実績を作ろうとして、書籍を大量に買い上げた影の存在があるかも知れない。

今、その推理を裏付けるような様々な法改正が国会で進行中である。

まず、期を同じくして、選挙権の引き下げがあった。今までは成人とみなされていなかった18歳に選挙権が認められるようになった。こうして、今まで子供とみなされていた者たちが選挙権を付与されたと同時に、大人としての責任も一緒に負ってもらべく、少年法も改正し厳罰化を導こうとする議論がすでに起きている。
(少年法改正に折衷案、適用年齢下げても一部保護 自民)

さらに、今、文部省が国立大学から文系の学部をなくそうという動きをしていることも思い起こしたい。(その学部、本当に必要? 全国立大に見直し通知、文科省(朝日))

かつて、「酒鬼薔薇聖斗」は犯行声明文の中で、義務教育への深い恨みを述べていたことを思い出そう。

「ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として、認めていただきたいのである。それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れていはいない。」

犯人は、この殺人が単なる個人の異常な趣味の領域を超えた、義務教育と社会そのものへの「復讐」の理念に貫かれていると述べているのである。

そこから見ても、これはすでに極めて特異な性癖を持った人間の猟奇的な殺人事件というよりも、むしろ社会へのテロ、義務教育へのテロ、社会への宣戦布告のような意味合いを持つ事件であったと見ることができる。これは単なる猟奇的な殺人事件や、異常な性癖を持った少年による犯罪という枠組みにもともとおさまらず、もっと広大で深遠な理念のもとに計画的に行われたテロリズムの思想に基づいた犯行だったのである。そこで、こうした犯罪を少年犯罪の枠組みの中でひとまとめにして扱い、このような深いテロリズムの思想を持った特異な事件をきっかけに少年法そのものを改正して厳罰化しようとするのにはあまりに無理がある。

今、義務教育への復讐としか受け取れないような、「教育へのテロ」を行っているのは誰だろうか。それは生徒らや国民の側から行われているのではなく、政府の側から、権力者の側から行われているのである。教育現場での国家斉唱、国旗掲揚の義務化、歴史修正的な記述のある教科書の採択の押し付けから始まり、補助金を盾に取った国公立大学潰し、大学への支配、大学での自民党サークルの結成、等々に至るまで、義務教育から大学教育に至るまでの一貫したこれら教育の破壊としか受け取れないような教育現場への介入は、公権力の側から行われているのである。

酒鬼薔薇聖斗は犯行声明の中で、この犯罪は「ゲーム」であるとして、「ボクはこのゲームに命をかけている。捕まればおそらく吊るされるであろう。」と述べた。

もし元少年Aが犯人であったなら、彼は少年ゆえに捕まっても「吊るされない」ことを認識していたはずである。しかし、犯人は「本命」がバレれば、自分は必ず「吊るされる」とはっきり書いているのである。それを見ても、真犯人が当時未成年の中学生であったとは到底、考えがたいのである。

***


神戸連続殺傷事件は今も続いている。それは公権力が仕掛けた見えない「ゲーム」として、国民へのステルス支配として今も続いている。謎がきちんと説かれない限り、私たちは何から攻撃されているのか分からず、この目に見えない悪意を込めたゲームはずっと続くのである。加害者も、被害者も、ともに国民の中からスケープゴートとして選ばれた人間に過ぎず、真の犯人でない可能性が高い以上、どんなに国民が「加害者」なる人間を非難し、また、罰則を強化することによって、こうした事件の再発を防ごうとしても、犯人はその捕獲の網の間を笑いながらすり抜けて行き、結局、国民が自分で自分の首を絞める効果しか生まれないのだ。

だからこそ、「復讐」なのである。自分が誰であるか見えないように正体を隠し、ステルス支配を続けながら、真犯人は世論の後ろに隠れて世論を操り、国民を支配し、誰が本当の犯人であるか分からない暗中模索の混乱を引き起こし、その中で、国民同士が互いに憎み合い、裁き合い、戦い合うように仕向けている。

それが、「今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるだろう」と言って、国民の後ろに正体を隠し続けながら、国民を嘲笑い、踏みにじっている公権力なのである。この事件については、そう考えるのが最も自然であり、その流れは今後ますます明確になって来るだろう。

「隠されているもので、明るみに出されないものはなく、秘密にされているもので、ついには知られ、明るみに出されないものはない。」(ルカ8:17)

「本命」はいつか必ず明らかになり、吊るされる」日が来る。しかも、それはそんなにも遠い日のことではないかも知れない。私はそう考えている。

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