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私ではなくキリストⅦ(東洋からの風の便りIV)

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。Ⅱコリント4:18

音楽の楽しみ

家から徒歩5分もかからないところにあるNPO法人の建物へ行って、グランド・ピアノを弾いて来た。時々ふらりと出かけては弾くのだが、今日は聖歌を持って行って、覚えている限りの曲を弾いた。

 NPO法人には子連れのママさんたちが沢山集まっており、最初は私をうさんくさそうに眺め、迷惑そうにぴしゃりと部屋の扉を閉めて行った人もあったのだが、しばらく弾いていると、なじみのある曲に警戒心を解いてくれたのか、誰も音楽を気にしなくなった。

 この年になると、子供の頃のように、ピアノを弾いても、何やかやと話しかけてくる人は滅多にいない。日本人はロシア人ほど音楽好きではないから、音楽を介してすぐに人と仲良くなれるということもない。ロシアにいると、人々はたとえ地下道の演奏であろうと、音楽の前で立ちどまらずには置かないし、女性達が2,3人集まれば、すぐに合唱が始まる。ロシア人の音楽好きの国民性はよく知られている。

 それに比べて、日本では、何かしら音楽の聴き方が素直でないと昔から感じてきた。曲の内容を聴かずに、ただ技術だけを品定めするような皮肉な聴き方をする人が大変多いのだ。興味を持つ人がいたとしても、「何年やってるの?」「どの先生に習ったの?」とか、大抵、そういう質問をかけられるのが常だった。

 だが、今となっては、子供でないので人からそのような質問をされることもなくなった。その代わりに、誰からも注目されることもなくなった。人からおかしな目で見られていないのがまだしも幸いだが、それでも、自分でも一体、何のために弾いているのか分からない時がある。専門家でもなく、それでお金を稼いでいるわけでもなく、いずれステージに立つわけでもないし、その力量があるとも言えない状態なのに、何を目ざして、毎日、何時間も練習に費やしているのだろうか?

 特に、我が家では、昔から誰一人として私の演奏を喜んでくれた人はいないので、むなしいと言えばかなりむなしい。だが、プロの音楽家にはそれとはまた別の悩みがあって、それは聴衆から難曲ゆえに理解されないということなのだが、その話は置いておこう。
 たとえ誰からも必要とされていなくとも、練習をやめることはできない。一旦、覚えた曲をただ忘却に任せるなどというもったいないこともできないし、毎日、鍵盤に向かう度に得られる新たな喜びを手放すこともできない。(とはいえ、演奏するという行為を私は何度も手放し、主に捧げてきた。)もしかすると、NPO法人のグランド・ピアノは、主が私のために備えてくれたものかも知れないと、今でも思う。

 関西にいて最後に教会に通っていた頃、私は礼拝堂においてあるグランド・ピアノに、毎週のように、かじりついていた。一体、日曜礼拝に来たのか、ピアノを弾きに来たのか、それすら分からないほどであった。きっとそれを快く思っていなかった人もいただろうと思う。
 その頃、派遣会社に勤め、へとへとになって帰宅した後、毎日、3時間以上、家で練習をしていた。にも関わらず、一旦、でくの棒のようになってしまった指は、まるで動かなかった。子供時代から、教会の奏楽を含め、少しも真面目に練習をしなかった上に、大学院時代にピアノを投げてしまい、何年間も、まともに鍵盤に向かわなかったブランクがたたって、私の指はただバイクのハンドルを握るためだけのものになってしまっていた。

 それでも、無謀にも、かつて『大洋』も弾けないままに終わったショパンのエチュードを改めて全曲マスターすることを当面の目標にして、最も正確で完成されたピアニストとして名高いマレイ・ペライアのCDを買って、曲と楽譜を頭の中に叩き込んだ。ショパンのエチュードが全曲弾ければ、大抵の曲は弾けるはずだと解説書に書いてあったからである。全曲弾ければ、と簡単に言うが、ショパンのエチュードのCDへの全曲収録は、プロのコンサート・ピアニストでさえためらうほどの偉業だそうだ。私には生涯かかっても、マスターしたなどと言えるかどうか。

 もし聴覚の衰えを計算に入れるなら、私がピアノを弾き続けられるのはあと30年程度だろう。楽しみのために残された時間は限られている。特に基礎的な能力に関しては、今のうちに、できる限りのことをマスターしておかなければ、一生、私は思うようにピアノが弾けないままに終わるだろうことは目に見えている。ただの夢で終わって良いのか。下手の横好きと笑いながら、冗談で終わって良いのか。その程度のものなのか。そうはなりたくない。

 下手なりにも、ピアノを弾いていると、私も弾きたい、教えてくれという人が必ず現れる。そこが面白いところでもある。そこで、私は関西の教会で楽譜の読めない一人の青年に無料でピアノを教えていた。筋の良い人で、覚えが早かった。無料で教えたのはその教会へのせめてもの恩返しのつもりであった。

 だが、その時、教えられたのはかえって私の方だった。楽譜が読めなくても音楽をやりたいという情熱を持っている人にピアノを教えることが、いかに楽しいことであるかを私は感じた。ピアノを弾かなくても、ギターを弾いていたりするとそこに知識が蓄えられているから、面白い。3年間で、ベートーヴェンのソナタくらいは必ず弾けるようになろうね、そうなればカッコいいよねと互いに話して盛り上がっていたが、その教会とは、不本意な形で、別れなければならなかった。

 関西を去った後、私の最大の懸念事項の一つが、どこでグランド・ピアノを弾くことができるかということだった。私は庶民の出身なので、もちろんのこと、家にグランド・ピアノなど置いているはずもないし、そんなスペースもない。だが、ある程度の曲を練習し始めると、どうしてもアップライトのピアノでは対応できない部分が出てきてしまうのだ。

 それでも、まずは家にある親のアップライト・ピアノを弾き続けることから練習を再開した。私の持っている電子ピアノは弾きすぎて壊れてしまったせいでもある(修理費がどれくらいかさむか恐ろしいので見積もりもしていない)。当時は、色々な事件のために、精神的に打ちのめされていたが、ピアノだけはほとんど毎日、弾き続けた。一種の執念のようであった。
 こうなったのには深い理由があるのだが、それはまた今度説明することにして、一つ言えることは、音楽の専門家でなかった私は、それまで一度も、本気で練習に取り組んだことがなかったということだ。しかし、専門家でないから、いい加減で結構と言われ、その程度で終わりになるのはあまりにも悔しかった。ある人が私の演奏を聴いて「下手な音大生よりはずっとマシ」と言ったが、それはちっとも誉め言葉には感じられなかった。

 私の愚かしい執念のような取り組みだったが、それにも、主は道を開いて下さった。その頃、全ての夢が砕け散って、私にはピアノ以外にすがりつくものもなかったのだが、そのように惨めな状態にあった人間にも、神は憐れみを豊かに注いで下さり、私の心に秘めた最後の願いをかなえて下さったのだ。そしていつしかそれはやがて執念でもなくなり、すがりつく唯一のものでもなくなり、何かしら自然な形で、私から流れ出て、人に影響を与えるものへと変わった。

 取り組んでいるうちに、無理なく指を動かすためには、弾き方を根本から変えなければならないことに気づいた。私がそれまでに教わって、いい加減にやり続けて来た弾き方では、一曲もまともに弾きこなせず、ただ腱鞘炎になって終わるのが落ちだということが分かった。ミス・タッチの多さも無理な運動から来ている。椅子の高さ、指の角度、ひじの角度、力の入れ方、全てを変えなければならないことに気づいた。特に腕の使い方が問題だった。自然な弾き方に変えるために、使っていなかった筋力を開発しているうちに、1年近くの月日が過ぎた。

 これら全ては独習であった。そしていまだにエチュードの一曲さえマスター仕切れてはいない。『エオリアン・ハープ』のあの流麗な美しさを思うように出せるようになる日はいつ来るのだろうか。だが、そうこうしているうちに、家の近所にNPO法人があって、そこに村の会館からおさがりで預けられたグランド・ピアノが置いてあるという話を耳にした。尋ねてみると、時々、コンサート等で使われる以外には、ほとんど使用されることもなく、誰が弾いても良いピアノなのだという。

 これは大きな幸運だった。それから、気が向いた時に、そこへ出かけるようになった。すると、やっぱり、楽譜は読めないが、ピアノを弾くのが夢だったという人が現れた。その人は私に教えて欲しいと願っているようだったが、その時は、それを商談に結びつけようという発想が私の側に全くなかったので、ただのよもやま話に終わった。だが、今、考えると、あの時、レッスンを申し出れば良かったのだ。楽譜が読めないが、ピアノはどうしても弾きたいと願っている人たちは、案外、数多くいるかも知れず、私にできることがあるのかも知れない。

 私の実家の隣家がピアノの先生をやっているので、その人に失礼なことはできないが、ピアノを教えて生計を立てることができれば、趣味が実益をかねてまことに生きやすくなるのになあ、と最近、かなり本気で願うようになった。しかも、音大志望の子供たちとかでなく、老後または壮年の趣味としてぼちぼちやって行きたい大人たちと、気楽につきあえればなあ。楽譜の読み方から丁寧に教えて行ければなあ。

 最近、近くの街にあるショッピング・モールでピアノの展示会が行われた。買い物ついでにふらりと立ち寄ってみると、何でも、ジョン・レノンが所有していたとかいうスタインウェイのアップライト・ピアノが目玉商品として置いてあった。
 「お客さん、何だか嬉しそうですねー」
 と、展示場に案内してくれたヤマハの店員さんが私を見て言った。
 花のようなピアノに囲まれて、どうしようもなく顔がにやけているのを目撃されてしまったか。
 店員さんはジョン・レノンのピアノを目の前にして、挑戦的に言った。
 「弾いてみますか?」
 「え? 私なんかが弾いてもいいんですか?」
 「いいですよ、さあ、どうぞ」
 椅子まで持って来られて、引き下がることはできない。

 何だか妙に緊張してしまったが、ラフマニノフの断片を弾いてみる。おお、アップライトでここまで美しい音色が出せるのかと驚いた。音が少しも濁らない。やはり楽器のレベルというものは馬鹿にできないものだと実感。店員さんも驚いたようだった。もちろん、私の無きに等しい腕前にではなく、ラフマニノフと、そのピアノの音色の美しさに、だが。
 ジョン・レノンの×百万円のピアノなど、初めから購入予定にも入っていないので、そのピアノとはそこでさよならしたが、以来、その店員さんは私を覚えてくれたようだ。

 このまま行くと、あと15年もする頃には、私はきっと、ピアノきちがいおばさんと呼ばれているかも知れない。若く美しい娘がピアノを弾くならば、さまになるけれど、おじさん、おばさんがどんなに上手く弾いたとしても、誰が喜ぶんだか…と皮肉な思いにもなるが、それが何だろう、一旦、知ってしまった音楽の楽しみは、どこまでも人を魅了してやまない。

 すでに賛美歌についての私のうるさい好みを色々と書き連ねたので、独善的な好みを押し付けていると、読者のひんしゅくを買ったことだろう。この手の話題を掘り下げていくと、いつか喧嘩になりそうなので、このあたりでやめておくが、それにしても、音楽がどれほど私の生活を豊かにしてくれただろうか! たとえ独りよがりと言われようと、何であろうと、楽器を演奏できるという素晴らしい趣味を与えられたことは、尽きせぬ喜びである。音楽がどれくらい私にとって、逆境を乗り越える助けになっただろう。このような表現手段を与えられたことは、どんなに神に感謝してもし足りないくらいの恵みだ!

 ところで、楽譜が読めなくても、ピアノの演奏については、決して、あきらめることはないということをお断りしておきたい。3~5年もあれば、誰でもベートーヴェンのソナタの一つくらいは弾けるようになるだろうと私は確信している。でなくとも、ショパンの簡単なプレリュードや、マズルカくらいならば、数年も経たないうちに、誰でも弾けるようになるだろう。
 クラシック音楽は高尚で難解でとっつきにくく退屈なだけだと思って敬遠している人の数は多いが、もしも自分で楽器を弾けるようになれば、二度と誰もそんなことは言わなくなるだろうに、といつも私は思って残念だ。感覚にばかり訴えかけてくる現代の騒がしい音楽よりも、はるかに深い、静かな味わいがこの世界にはあるのに、どうして人々はそのことを忘れてしまっているのだろうか。最近、この世界の素晴らしさを一人でも多くの人たちに知ってもらいたいと思うようになった。仮にピアノきちがいおじさん、おばさんと呼ばれたとしても、大いに結構ではないですか。その人の人生が美しく彩られるならば!

 
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