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私ではなくキリストⅦ(東洋からの風の便りIV)

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。Ⅱコリント4:18

キリストにあって一つの身体

 不思議なほどの安らぎ。言葉は要らない。
 血肉にあっての人々との絆がどうなろうとも、周囲の状況がどう悪化しようとも、何も気にならないほどの心の静けさ。主によって与えられた兄弟姉妹たちへの消えることのない、穏やかな愛情。

 兄弟姉妹たちがまるで数珠のようにどこまでもつなぎ合わされているその糸が見えるようだ。あらゆる状況を越えて、上から与えられる不思議な安らぎが、私の心を悪から守っている。これはきっと、聖徒たちの祈りのおかげなのだろう。

 だが、祈りだけではない。キリストのくびきを負って、キリストに学ぶこと、そこにこそ、私たちの魂の安息の秘訣がある。キリストの十字架こそが、私たちの避難所。十字架こそが、安らぎの源。キリストを見上げること、そこに全てがある、主こそ恵みの全てである。
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11:28-30)

 キリスト者は、主にあって、一つのからだである。偽りのない愛情で結ばれている一つのからだなのだ。これは何と素敵なことだろう。キリストを信じている限り、誰一人として、一人ぼっちになる者はいないのだ。
 「わたしたちも数は多いが、キリストにあって一つのからだであり、また各自は互に肢体だからである。<…>愛には偽りがあってはならない。<…>兄弟の愛をもって互にいつくしみ、進んで互に尊敬しあいなさい。<…>喜ぶ者とともに喜び、泣く者と共に泣きなさい。互に思うことをひとつにし、高ぶった思いをいだかず、かえって低い者たちと交わるがよい。<…>だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。」(ローマ12:5-18)

 楽しい時も、苦しい時も、共に一つのからだとして、支え合って、生きていきたい。

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