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私ではなくキリストⅦ(東洋からの風の便りIV)

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。Ⅱコリント4:18

官僚制度の闇 〜なぜ日本政府は憲法と国民を敵視するのか〜①

以下の記事で、私は神戸連続児童殺傷事件の真犯人は少年Aではなく、これは少年法を改正して厳罰化を行う目的で、政府がしかけた自作自演の犯罪であり、公権力による捏造された殺人事件である可能性があると書いた。

少年Aは国民の中から選ばれて都合よく犯人に仕立て上げられただけであり、加害者とされた少年も被害者も、本当はともに公権力の被害者の可能性がある。選挙権が18歳まで広がった今、突如、長い沈黙を破ってタイミング良く出版された元少年Aの手記に後押しされるように、与党において早くも少年法改正の議論が起きているのを見ても、これは今に至るまで国民を欺くためにずっと続けられている政府主導の見えない「ゲーム」なのであり、公権力が正体を隠して国民へのステルス支配を行うために作られた自作自演劇の一環ではないかという疑いをどうしても拭い去れない。

まさか政府がそんな凶悪なことをするはずがないと、あなたはお思いだろうか。政府は国民を守るもの、役人は国民を助けるためにいるとあなたは思っているかも知れない。まさか政府が率先して無実の、しかも弱い立場にある子供を殺し、それを他の少年の仕業に見せかけて、それを契機に都合よく少年法を改正して厳罰化したりするはずがないと、あなたは思うだろうか。そんなのは異常者の仕業であって、知的エリートたる官僚がそんなことを考えるはずがないと。

もしあなたが本気でそう考えているならば、失礼ながら、政府というものについてのあなたの考えを改める必要があるかも知れない。まず、太平洋戦争中に政府の行為によってどれほど大勢の国民が死に追いやられたかを思い出してみる必要がある。次に、今、国会で審議されている「戦争法案」はどこから来たのか。違憲の疑いが極めて濃厚にも関わらず、それを押して、若者たちから将来を奪い、日本国民を再び戦場に送りこみ、残忍な死を遂げさせることを是とするような、この法案を作り上げたのは、内閣法制局、外務省、防衛省など、政府のすべての官僚組織にいる職員たちではなかったろうか。また、派遣社員に限らず、残業代もなしにすべての労働者をとことん働かせて疲弊させる「派遣法改正案」の作成に深く関わったのは厚労省ではなかったろうか。

なぜ国家役人たちはこうした一連の国民を締め上げるような、国民の誰も望まない恐ろしいサディスティックな法案を次々考案し続けているのであろうか。しかも彼らは法が施行される前から、すでに自分たちの「裁量権」がより大きくなるように、法律の文言を曖昧に骨抜きにし、彼らの「さじ加減」でいくらでも都合よく決めていけるように、抜け穴探しに余念がない。むろん、そこには安倍首相という人間のカラーも相当に影響を与えているに違いないが、首相の判断を背後で支えているのは、役人集団であり、政財界などの支配者たちである。国民の圧倒的大多数の反対をものともせず、国民を徹底的に苦しめ、疲弊させる恐ろしい法案の数々を、ほとんど国会を無視して審議すらせず、ただ審議したという見せかけのポーズのもとに、次々閣議決定し、強行採決し、委員会議長判断で緊急上程し、勝手に決めているのは官僚たちである。その法案の向こうに透けて見えるのは国民への憎しみと殺意であって、こんな人々が本当に国民に仕えているはずがないことは明白である。

官僚組織がこうして国の一部の支配者層の手足となり、国政の権利を国民から奪って、日夜、国民を欺いて、国民を苦しめることを主たる目的とするような、恐ろしい抑圧的な政策を次々考案し続けているのでは、まるで凶悪なサディストや、詐欺師や殺人マニアの精神性と変わらないではないかと思うかも知れない。これはどうしたことなのか。あなたは官僚組織がまさか詐欺師や凶悪犯罪者と何ら変わらないような犯罪者集団だという考えを拒むかも知れない。 だが、よく考えてみて欲しい。なぜ首相の周りにはあれほど厳重な警備が敷かれているのか。なぜ毎年日本武道館で行われる全国戦没者追悼式にはあれほど大量のSPが導入されるのか。なぜ辺野古の海上保安庁職員は市民を痛めつけるのか。この警護は、国民を守るために導入されているのではなく、政府を守るために導入されているのだ。誰から守るのか?国民の手からである。もう一度言う、国民の「暴挙」から政府を守るためにこうした警備があるのだ。真実に鋭く気づいて政府を糾弾してその殺人的な施策を止めるために勇気を持って立ち向かう「反逆的な」国民のあらゆる非難や攻撃から、政府が身をかばうために敷かれた厳重な警備なのである。従って、この警戒の厳重さだけを見ても、裏切り者の政府が、内心ではどれほど国民の反乱を恐れているかが伺えよう。自分たちが何をやっているのか、真実が明らかになった日には、決して許されるはずがないほど罪深い犯罪行為に手を染めていることを、彼らは内心ではよくよく分かっているので、警戒し、恐れずにいられないのである。

あなたはそれでもまだ抵抗するかも知れない。まさか我が国の政府がそんなとんでもない犯罪行為をするとは思えないと。でも、考えてみて欲しい、袴田事件のような冤罪は今も起きている。少年を犯人にしたて上げることは警察にはたやすい。真に罪を非難され、罰せられるべきは、本当にどこにでもいるありふれた14歳の中学生の少年だったのだろうか。親や社会や学校が悪かったので、そのような怪物を生んでしまったのか?それは国民の罪として私たちが反省すべきことなのだろうか? いや、むしろ、本当に悪いのは、エリートを自称して、いかにも上品そうに情け深く国や国民のためを思っているふりをしながら、その裏では徹底的に国民を欺いて、自分は見えないように姿を隠しながら、日本全体をステルス支配し、国民を影から操って互いに分断対立させ、国民には何も知らせず考える暇さえ与えずに、ひたすら官僚の思うがままの道具として圧迫され、なぜ苦しまなければならないか理由さえも分からないまま消耗して死んで行き、最後の血の一滴まで国家のために捧げ尽くす道具となるようにと、サディスティックな方策を日夜練り続けている公権力なのではないだろうか。

* * *

それでもまだそんなはずがないと主張する人がいれば、次の記事で紹介する動画をよく見て欲しい。

官僚制度というものにどういう起源があるのか、それをよく表す二つの動画だ。

これを見れば、国家公務員という「エリート」にどんな正当な根拠があるのかないのか、分かるはずだ。実のところ、この「エリート」には何の法的根拠もないばかりか、これは最初から憲法に違反して作られた詐欺的制度なのである。そのことを官僚が指摘され、うろたえている様子がおさめられている。

日本人はいい加減に目を覚ますべき時に来ているのではないか。自分たちを虐げ、踏みにじって君臨し、国民を殺すための鞭を構えて振り下ろそうとしている人々をエリートだと賞賛してもてはやしている場合ではない。自分は愚かだから考えることもできないし、彼らに叶うはずがないというコンプレックスなど持つべきではない。そうやって彼らは自分たちがあたかもあなたの及びもつかない選ばれた少数のエリートで、雲上人であるかのように見せかけることで、あなたの心を打ちのめし、抵抗する気力を奪うことを目的にしている。官僚は内心、あなた方の気づきを恐れている。彼らは本当には思っているほど頭の良い人々ではない。もし本当に賢かったなら、嘘と抑圧と犯罪に頼って、自分を守ろうとはしなかったろう。嘘はいつか必ずバレるからだ。 だから、何となくエリートという空気に騙されることなく、あなた方を苦しめ、虐げている彼らは一体、何者なのか、その地位にどんな根拠があるのか、ちゃんと確かめることが必要である。日本人の多くが優秀なエリートの選抜方法だと思い込んでいる官僚制度が、実は憲法に違反して、政治家の地位を奪い取って成り立っているに過ぎない詐欺集団であることが分かれば、今政府内で起きている国民への抑圧の意味も分かるはずである。 官僚は戦前から何も変化しておらず、変化することを拒んで古い制度にしがみついている。役人らは内心では今も大日本帝国憲法下を生きており、敗戦も受け入れていなければ、日本国憲法の主権在民を認めるつもりがなく、今の憲法を遵守するつもりなどあるはずがないのである。

さて、役人たちの裏切りと反乱はいつ始まったのか。それは敗戦の直後から、日本国憲法が制定された翌年にはすでに始まっていた。一般国民は、戦後、敗戦を受け入れて戦争中の過ちを深く認めて反省し、戦争を永久に放棄することにより、戦前とは全く異なる新しい平和な一歩を踏み出して今日があるのだと思っている。国際的にもそのような建前になっている。ところが、政府は例外である。官僚たちは戦後から今に至るまで70年の長きに渡り、国民を欺いて、すでに敗戦直後から、戦前と変わらない体制を合法に見せかけてひそかに国政に滑り込ませるべく画策した。それは自分たちから特権が失われ、もはや国民に君臨することができなくなって、単なる下僕にされてしまうことが我慢ならなかったからである。こうして本来、裁きを受けて解体されるべきものが、一度も裁かれたことがなかったかのように、罰を受けることも、権利を制限されることもなく、自らを温存しおおせた。彼らは敗戦という自らが犯した罪を率直に認めるにはプライドが高すぎたのだ。従って、官僚組織の中は戦前のまま時が止まっている。

敗戦前で時計が止まったままの政府は、今も戦前の人殺しの思想を何の反省もなく受け継いでいる。彼らにとって嘘と収奪と殺人は忌むべきことどころか、一億玉砕というスローガンを唱えていた頃から、目指すべき崇高な目標でさえあったのだ。この犯罪的な政府の思いは、今も国民への憎しみと殺意に貫かれており、自らの犯罪行為の真実な証人である国民を厭い、この望ましくない証人が全滅するまで、ずっと苦しめ、支配し続けるつもりなのである。生きている限り奴隷にし、ついには根絶やしにすることが目標なのである。

そう考えると、今日の官僚がますます新たな殺人的法案を作り出し、棄民政策に血道をあげていることも、全く不思議ではない。それでも、そんなはずはないとあなたは反論されるだろうか? よろしい、そこまで疑いの心がないのなら、犯してもいない罪のために刑場へ引かれて行って初めて考えればよろしい。

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