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私ではなくキリストⅦ(東洋からの風の便りIV)

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。Ⅱコリント4:18

キリスト教界と反キリスト教界は同一である~KFCはどのようにキリスト教界と同一化したか~

キリスト教界と反キリスト教界は同一である

~KFCはどのようにキリスト教界と同一化したか~
 

1)嘲りと断罪~自らを神とする人間の陥る人格荒廃の事例~
2)KFCとDr.Lukeの表向きの魅力と、裏面の二重性
3)Dr.Lukeを含むローカルチャーチ出身者に特有な偽善的二重性
4)偽善に生きる宗教指導者の陥る人格荒廃
5)バビロンとは何か ~地上的宗教となったキリスト教~
6)杉本徳久氏とDr.Lukeの類似性
7)Dr.Lukeの印象操作と虚言癖
8)聖書に反してKFCを何でもありにの場にしたDr.Luke
9)キリスト教界を非難しながらキリスト教界と相通じたDr.Luke
10)盛んな呪いの言葉と罪定めによって支持を失ったDr.Luke
11)キリスト教界に反対する個人を支援するように見せかけて陥れたDr.Luke
12)杉本徳久氏とDr.Lukeの果たした役割は根本的に同一



1)離反者への徹底的な嘲りと断罪~自らを神とした人の陥る人格荒廃の典型的な事例~

 
引用の出典:Dr.Lukeのツイッターから


Luke Karasawa(唐沢治)@Doctor_Luke
 
@Yoshihiro_Sakai ま、杉本徳久氏の罠に乗ったのが運の尽き。二度までも悔改めの機会を与え、一度は笑顔を見せたその自分の言葉を自分で裏切り、主の血と御名も侮りましたからね。自身の罪もですが、杉本氏の罪は実に深いですよ。神の裁きがあるでしょう。
6:48 - 19 6 2013.

Answer@Doctor_Luke
 
19 6 2013.
Luke Karasawa(唐沢治) ‏@Doctor_Luke 
@Yoshihiro_Sakai しかも、相手の彼女にあれだけ暴露記事書かれて・・・哀れなものです。全体の流れからして誰が自分にとっての本当の敵なのか、見えていないのですね。ニッポンキリスト教の歴史に燦然と残るかも(苦笑)
 

20 6 2013.
坂井能大 ‏@Yoshihiro_Sakai
@Doctor_Luke 私は全く事情や経緯を知りませんでしたのであれには驚きましたが、今後の展開次第では、つまびらかに明らかにする必要があると存じます…どうせカミングアウトされている事柄なのですし。
 
20 6 2013 .
Luke Karasawa(唐沢治) ‏@Doctor_Luke
@Yoshihiro_Sakai そうですね、ただ、私も知らないことばかりですから。彼女の家族も大変だったでしょう。しかし10年粘着してきてますので、機会を見て。妄想もますます進んでいるようですし、ついに生活保護に落ちたとは・・・。知りませんでした。
 
20 6 2013 .
Luke Karasawa(唐沢治) ‏@Doctor_Luke
@Yoshihiro_Sakai まあ、最近のニッポンキリスト教では私怨で人を裁いている者が不治の病を得たり、突然死したりしてるようですから。神の主権を犯す者は自分が何をしているか知らないのですね。生ける神の手に落ちることは恐ろしいことです。
 
22 6 2013 .
坂井能大 ‏@Yoshihiro_Sakai
@Doctor_Luke あ、自分のことを棚にあげて、「和解の破綻者」 こと 「Dr.」崔森悦クンが韓国語で遠吠えしています(笑)  http://bit.ly/1c7c3Pl
 
22 6 2013 .
坂井能大 ‏@Yoshihiro_Sakai
@Doctor_Luke 税金のムダですね…本当に必要とされる方が生活保護を受けられますように祈ります。

 <以下略>

 

2)KFCとDr.Lukeの表向きの魅力と裏面にある二重性
 
もしノーベル賞作家のイヴァン・ブーニンの言葉を借りるなら、Dr.Lukeという人もまさに「才能と無道徳の結合」であったと言えるだろう。

私が初めて会ったとき、彼はすでに初老にさしかかっていたが、それでも若かりし頃の大きな才能の片鱗は残っていた。

圧倒的な情報量を思うがままに処理・引用して流暢に語る能力、メッセージや賛美を自在に導き聴衆を感動させる技術、そして、さまざまに異なる人々の性格を理解して受け止める包容力。

こうした人間的な非凡な才能と力量の残り香が、確かに彼が並々ならぬ人物であることを感じさせた。

だからこそ、KFCに一時は70人以上の信徒が集まり、リバイバル新聞に彼の寄稿が始まった時、キリスト教界に大きな衝撃を与えたことを、当時をよく知る証人から聞いても私は驚かなかった。実に多くのクリスチャンが未だかつてない何か新しい革新的な運動が始まろうとしていることを感じ、そこに参加したいとの願いを持ったのである。

ただし、それはむろんDr.Lukeの才覚や人柄によるものではなく、後で述べるように、彼がローカルチャーチの出身であり、そこで学んだキリスト教界にはない(失われた)真理を語っていたという事情も手伝っていたのではないかと私は推測する。

ローカルチャーチは「神と人とが混ざり合う」ことを教えている異端の教会である。しかし、同時にそこは、回復の教会と呼ばれているように、キリスト教界が初代教会の頃には知りながら、それ以降、はるかに忘れ、見失ってしまった聖書の真理の回復を目指している点で、通常のプロテスタントのクリスチャンの通常の教会生活ではおよそ知りえない真理の深い霊的な啓示や理解を保存する貴重な一面も持っていた。

ウォッチマン・ニーはそのような霊的な真理に基づいた生活を「キリスト者の標準」であると言った。だが、悲しいことに、現代のキリスト教界ではそれは全く標準でないどころか、すっかり忘れ去られ、例外にまでなってしまっている。

だから、ローカルチャーチから出て来た兄弟たちが、キリスト教界にいる普通のクリスチャンたちに向かって、見失われた真理を再び大胆に語り始めたときの衝撃は大きかったものと思われる。それは人間的な意味ではなく、霊的な意味で、クリスチャンにとってとても画期的で衝撃的な出来事だったのである。だからこそ、そこには大きな解放の魅力が伴った。


3)Dr.Lukeやローカルチャーチ出身者に特有な偽善的二重性

だが、Dr.Lukeは才能のある人であったが、誠実な人間ではなかった。私の知っている限りでは、残念なことに、Dr.Lukeに限らず、ローカルチャーチ出身の兄弟たちはいずれも同じ欠点を抱えていたように見える。
 
まず第一に、彼らには、自分たちは真理を特別に知っている人間であり、他の兄弟たちとは別格であるという思い込みに基づく途方もない高慢さがあった。次に、ほとんどの場合、彼らには自分では知っているはずの真理を守らず、人に正しい道を教えながら、自分自身は平然とそれと相反する言動を行うという二重性があった。

この二重性は聖書に言う偽善者の最たる特徴であるが、教団教派に関わらず、クリスチャンの教える立場にある人間が極めて陥りやすい誘惑であるものと思う。牧師も、説教者も、およそすべての指導者や教師と呼ばれる人間の中で、こういう偽善的要素を持たない人間を見つけるのは極めて難しかった。

私はローカルチャーチを知らないが、聞くところによると、そこでは、タラント(賜物)による徹底的な階層制が敷かれているという。そこで、生まれ持った才能や資質が大きければ大きいほど、また、組織の中で上位の立場にあればあるほど、高慢さが無意識に身についてしまうものなのかもしれなかった。

しかし、最も厄介なのは、偽善である。それはたとえば、ローカルチャーチ出身のこれらの兄弟たちが、こぞってウォッチマン・ニーを賞賛しながらも、では、あなたもニーと同じような投獄やら迫害やらの苦難をクリスチャンとして身に受ける覚悟がありますかと問われれば、当然のごとく、自分はそんな苦しみはお断りだねと答え、享楽的な生活を送っていた点にも表れている。

いわば、彼らの考え方は、「いいとこどり」なのである。他人だけを身代わりのように苦しませておきながら、自分は何の代価も払わずに、他人が苦しみによって得た教訓だけは頂戴したいという具合なのである。ウォッチマン・ニーのような生き方は間違っても自分はしたくない、でも彼が得た霊的な真理だけは自分もほしい、だから彼の著作を一生懸命に読んで、あたかもそれが我が物となったかのように考え、振る舞うという具合である。

だが、真に代価を払わなかったものは、本当は何一つその人のものにならない。すべて頭だけの知識にとどまってしまう。だから、大変、高邁な真理を口先で語ることはできても、結局、すべてが「借り物」に過ぎないのである。それでも、たとえ口先であっても、飢え渇いている人々にとっては、それさえも大きな恩恵をもたらした側面があることは確かであるが。


4)偽善に生きる宗教指導者の陥る人格荒廃について

クリスチャンはどうにも聖書の真理から逸れていくほどに、人格が荒廃することを運命づけられていると私は思う。そこで、偽善を重ねていくと、正常な意識のままではあり得なくなる。考え方も行動もすべてが異常になる。それが聖書から逸れて行ったクリスチャンに逃れようなく待っている結末である。

そこで、偽善がまし加わるにつれ、Dr.Lukeに備わっていた類まれな才能と人間的な包容力も枯渇して行ったように思う。Dr.Lukeは自ら私のような他のクリスチャンに向かって、健全な信仰に戻るようにと唱道していたにも関わらず、時を追うごとに、自分自身はますます寛容さや優しさや思いやりを失って、争いと憎しみへ没入していった。冒頭に引用したような彼のツイートは、離反した信者に向けられた呪いの言葉であるが、まさに人格の荒廃をよく証明している。しかし、Dr.Lukeは当初、面倒見の良い人間としても知られており、自分に対する批判に憤りをもって立ち向かうようなこともなかった。そこで、時間をかけて人格の荒廃へと至りついたのだと言える。聖書から逸れ、真理を知りながらその道に生きることをやめると、人は当初、持っていた魅力や資質までも失ってしまう。

2009年8月、関東に来てはや翌日、Dr.Lukeをよく知る年長の兄弟から、私はDr.LukeとKFCがいかに危険であるかという忠告を受けた。この年長の兄弟もやはりローカルチャーチ出身であったが、「KFCはバビロンである」と主張して、KFCには決して関わらないようにと厳しく私を戒めた。そのため、私は関東に来はしたものの、翌年になるまでKFCには一度も出向くことはなかった。
 
公平に断っておくならば、バビロンというのは、何もKFCに限らず、囲いの中に囲まれたキリスト教界の礼拝すべてを指している言葉である。当時、Dr.Luke自身も、「囲いの呪縛から出よ」、と主張して、己の栄光を築き上げるだけが目的となって自己目的化し、腐敗したキリスト教界の呪縛から脱出するようにと人々に呼びかけていた。しかしながら、そう呼びかけているKFCのDr.Luke自身が、兄弟たちの上に立って人を教えることやめられず、兄弟たちを自分にひきつけ、自分に拘束する指導者になってしまっている矛盾を、他の兄弟たちは鋭く指摘して警告していたのである。
 
 


5)バビロンとは何か~地上的宗教となったキリスト教界~

"エクレシア、コイノニヤの時空における現れは
臨機応変、伸縮自在、そして神出鬼没であるべきです。
何故でしょう、それは復活したキリストが正にそうであるからです。

そのような現在のキリストと聖徒達を、
この世の何者も(そして多くの
キリスト者でさえも)捕らえることは出来ません。
そしてまた決して誰も自分のものとして所有することも不可能です


このような エクレシア、コイノニヤの姿には神の無限の知恵が
隠されています。この最後の時代 神はそのような復活の中の
隠された知恵を隠された方法で行使されるでしょう
そのような有様のエクレシアのみが 遂には次の時代 
極めて圧倒的かつあからさまな王国の到来を招致出来るのです。

あなたがある固定された箱の中へ、固定された時間に行って見る時、
もしも 決まってある同じ人物が登場し、その人を見るために「お客」が
集まって来ると言う風景に固定的に出会うのであれば、そこには復活、
不死、無限の性質はなく、健康な人間性も見ることは出来ません。

そこで見られるのは
四隅を区切られた時空の中の限りある朽ち行く物質の性質です。
なぜなら その固定、制限、区別と言う箱(時空)によって限定された
ひと時内でのみ活動を許されている王は かつてのルシファー、
永遠の苦悩と恥辱と破滅の運命が既に固定確定されている
今現在のサタンであるからです。

私達は
敢えて時空内に留まり 時空の中で勝ち誇って 
復活の中の永遠のリアリティを「彼」に見せつける、
と言う「宇宙最高の」役割を楽しむためにこそ
今ここで生きているのです。 "

------------------------------------------------------------------------------------

"
人は「キリストに似て非なる あるセンター」を持ちたがります。
先ずは ある人間を中心とする「自分達のワンセット」をある場所に固定し 
その上に安定的で堅固なものを建て上げようとします。

即ち人にある宗教性には ある時間と場所を定め 
そこに「立派な礼拝」を構築したいとする強い願望があるのです。


更に言えば そこには
「神への礼拝」を獲得した上で 
この地上に自分達を根付かせ自分達の名を高く掲げたいと言う 
人本来の宗教本能
が働いている
のです。


その達成の時には あの「大バビロンと言う名の女」は安心し誇って
言うでしょう、
私は乏しい「やもめ」ではない、
拠り所がある 安定があると


<中略>

これこそが、全聖書が首尾一貫糾弾するバベルでありバビロンなのです。

そして現代 全世界のキリスト教宗教はかつて無かったほどの
「大いなるバビロン」構築に向かってまい進していると言ってよいでしょう。

そこにあるのは 神の言葉・黙示録が再三にわたって警告する
「地に住む」(原文では「地に座る」)と言う
人の奥底に居座る根深い 願望なのです。

それは今この瞬間でさえ私達の心にも存在し得るのです。


教会はただ「迫害の中、ゆくえ知れない旅のさなかに」初めて
出現するのです。あなたが死に向かう その途上にのみ現れるのです。

教会がこの地に居座ることなどありません。
教会に安定や固定などあり得ないのです。
私達は単に 寄る辺無き 何も持たない「やもめ」でなければならないのです。

わが民よ、この女から離れなさい。」(黙18の4)
「あなた方はシオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、
無数の御使い達の大祝会に近づいているのです。」(ヘブル12の22) "
 
ここで言う「女」とは、あるべきエクレシアとは対極のものとなって、腐敗した教会のことであり、金と自己満足と地上的な栄光が目的のすべてとなって、組織的な宗教に堕してしまったキリスト教界全体を指している。そして、キリスト教界を非難しながらも、KFCも結局、牧師制度と変わらない指導者制度を敷いて、同じ道を辿っていたのである。


6)杉本徳久氏とDr.Lukeの類似性
~キリスト教界を脱出した信徒らの指導者になりたかった二人のネット上の争い~

  
  
こうした忠告を受けていたにも関わらず、私がKFCに出向かざるを得なくなった理由は、私が関東に来たのはDr.Lukeの庇護を受けるために違いないと勝手に誤解した杉本徳久氏が、自身のブログにおいて私とDr.LukeとKFCを一緒くたにしてバッシングを行ったことへ対処するためであった。

ちなみに、ウォッチマン・ニーの著書を私に勧めたのも、当時、杉本氏が考えていたように、Dr.Lukeではない。上記の年長の兄弟であり、その他、複数の兄弟姉妹で開かれていた交わりの中で、ニーの著書は読まれていた。ブログでは交わりで分かち合ったものを引用していた。こうしたことは一切、KFCとは無関係であった。

従って、杉本徳久氏が主張するように、Dr.Lukeが私の「カウンセラー」だったことは一度たりともなく、彼が私を「保護」したり「ケア」していた事実も存在しない。それは当時もその後も同じである。従って、そうしたことは杉本氏の作り上げた幻想に過ぎない。

だが、杉本氏のみならず、Dr.Lukeも一緒になってこうした嘘を助長して来た。二人がこのように虚偽の主張をしているのは、二人ともがおそらく、より多くの「カルト被害者」やら、キリスト教界から脱出したクリスチャンの指導者になることを目指していたからに違いない。ネット上では、2009年以前から、両者による信徒の取り合いのような現象がすでに起きていたものと見られる。両者の間では以前から、一種の縄張り争いが繰り広げられていたのである。

当時は今と異なり、キリスト教界の腐敗や堕落に気づいた多くのクリスチャンが個人として声を上げていた。ブログも多数、開かれており、こうしてキリスト教界を脱出した信徒たちはどこへ行くのかということが注目されていた。そこで、おそらく、Dr.Lukeも杉本氏も(あるいは杉本氏の背後にいた村上密牧師も)、より多くの「被害者」や信徒を獲得して、権勢を拡大することを望んでいたのであろう。

口では「キリスト教界からエクソダスせよ」と言って、「神の御前での単独者」を主張していたDr.Lukeもその点では同じであった。彼は一見、被害者運動に共感を示していなかったものの、教師として信徒を指導し、賛同者を増やそうとすることをやめられず、従って、杉本氏もDr.Lukeも、リーダーのいない、指導者に全く依存しない信仰生活、真に自立した、キリストご自身だけに頼る信仰生活など考えることさえできなかったのであろう。だから、二人にとって、信徒には必ず指導者やカウンセラーがいなくてはならず、そういう枠組みを外れた発想は不可能だったのである。


7)Dr.Lukeの印象操作と虚言癖について
   
上記のように、私がニーを読んでいた当時、Dr.Lukeは一切私との交わりがなかったので、その様子を知るはずもないのだが、勝手によく知っていたかのようにブログに記載することにより、彼はその当時から私が親しい仲間であったかのような印象を読者に抱かせようとした。

こうしたDr.Lukeの印象操作や虚言癖については、彼を20年以上に渡って知っていた年長の兄弟がかねてから嘆いていた。この兄弟は自分のブログがDr.Lukeのお友達のリンクに勝手につけ加えられていることに憤慨していた。彼はDr.Lukeの主張にすでに賛同も共感もできなくなっていたにも関わらず、自分が賛同者のように見せかけられていることに不満だった。

このように、Dr.Lukeは必ずしも自分の仲間でもなく、賛同者でもない人々を、あたかも自分の仲間や、彼が面倒を見てやっている人間であるかのように見せかけることが巧みであった。当時のDr.Lukeが義理堅く、人間的な魅力や愛嬌を備えていたことも手伝って、多くのクリスチャンがこうした接近に逆らえず、このやり方で彼の仲間に取り込まれてしまった。いつの間にか、誰もがDr.Lukeのペースに巻き込まれ、彼の親しい賛同者のようにされ、彼の世界観に巻き込まれ、責任を負わされてしまうのである。どんなに彼の歩みに異論があっても、関わっている限り、最終的には賛同者にされてしまうのである。

そのことが分かって、年長の兄弟を含め、一定の人々はある時期にDr.Lukeと完全に関わりを絶った。しかし、こうした断絶をしなければならないことについて、兄弟姉妹は彼を惜しみ、悲しんでもいた。

杉本氏がウォッチマン・ニーをバッシングした際、私が当時属していた交わりはまるで機を同じくしてニーや私を擁護するどころか散会してしまったので、私は仕方がなくKFCに出向いて行くはめになったが、こうした出来事自体が一つの罠のようであったと今は考える。その後、何が起きたかについては別の機会に後述する。


8)異論を排除し、忠告を退け、聖書に反してKFCを何でもありにの場にしたDr.Luke

Dr.Lukeと私とは様々な点で意見が合わなかった。まず、なぜ彼が聖書の言葉を守らず、ブログにおいて自分の快適な生活をしきりに自慢するのかという疑問から始まって、彼の主張には多くの点で、私が決して賛成できない内容が含まれていた。幾度、そのことで口論になったか知れないが、彼は決して二重性ある言動を変えることはなかった。彼がサンダー・シングの教えを取り入れた時にも、私は抗議を行ったが、彼は全く聞き入れず、それはサンダー・シングを紹介した(これまた別の)AG信徒の姉妹に対する私の人格的狭量さの表れに過ぎないかのように考えて、私の主張に腹を立てていた。

Dr.Lukeには聖書に照らし合わせて踏み越えてはならない一線というものが存在していなかった。二重性を帯びた言動についても、一切、良心の呵責がないようであった。だから、その点についてどんなに説得を試みても、彼の心に訴えかけることは無理なのである。彼は他人が真心から自分に忠告しているということも理解できなかった。彼にはあたかも良心の痛みそのものが存在していないか、それがあったとしても、決して生き方を変えることのできない何かの理由があるかのようであった。

こうして、Dr.Lukeは常に二重性のある言動を続け、しかも、常に自分こそが他人よりも物事をよく理解していると自負していたため、人の忠告や抗議に耳を傾けなかった。批判されないようにうまく立ち回ることには長けていたが、根本的に、人からの忠告を受け入れて変化するということがなかった。また、自ら心砕かれて変化するということもなかった。まして、自分よりもはるかに若輩者、指導者でもない者から何かを指摘されるということはプライドが許さなかったのだろう。

だが、だからと言って彼は意見の異なる人をすぐに退けようとはせず、のらりくらりと時間を稼ぎながら、その人にあたかも多くの点で同調しているかのように装い、失望を長引かせるのであった。あたかも人にいたずらな希望を持たせては苦しめ、失望させることを目的に関わっているかのようであった。そうこうしているうちに、すでに述べたように、いつの間にか、人は自分が賛成していないことに対してまでも、彼に賛成しているかのように扱われ、連帯責任を負わされ、聖書から逸れた道に巻き込まれていくのである。

公に名誉を傷つけることがためらわれたので、当時、ネットを通じてDr.Lukeに反駁しようという気にはならなかったが、そうした義理人情を重んじる心境も、大いに利用されていたことが分かる。だが、こうした見解のあまりにも大きな相違があったので、実際には、私は多くの時間、KFCとは関わらないで過ごした。


9)キリスト教界を非難しながら、キリスト教界を積極的にKFCに招き入れたDr.Luke

 
年月が飛んで、2012年、以下に述べたように、KFCでAG信徒が身元を隠してメッセージをしていることに改めて疑問を抱いた私は、Dr.Lukeに向かって、なぜキリスト教界と縁を切れと言いながら、もう一方では、キリスト教界を積極的に招き入れるような矛盾する言動をするのかと問い尋ねた。それは彼の信念そのものに反しているのではないかと。また、AG信徒を信頼すれば、必ず裏切られてKFCは乗っ取られるだろうとも私は警告した。

事実‫その通りになったのだが、Dr.Lukeはその当時もそれまでと全く同じように、私の忠告には耳を貸さなかった。そして私の忠告を退けるにあたり、今までもずっとそうして来たように、こうした忠告はAG信徒やメッセンジャーへの嫉妬に基づく讒言であると解釈した。彼は常にそのような理屈をつけては、真心から自分へ忠告してくれた人々の言葉や、耳の痛い意見や批判を自分への「ねたみ」だと言って退けて来たのである。

彼は元来、自分には誰からの忠告も必要ないという考えの持ち主であったが、その当時は、さらに、AG信徒と一緒になって、すっかり自分は神の代理人としてメッセージを語る崇高な牧師のような自負に落ち込んでしまっていた。というよりも、自分は神だと思っていたと言って過言ではない。そこで、単に人の忠告に耳を貸さないばかりか、自分たちのメッセージに逆らう信徒は神に逆らっているのだと言って、当時、KFCの在り方に疑念を抱いていた別の信徒の兄弟と共に、私に対してもほぼ同時に、イゼベル、ユダとの汚名を着せてKFCから追放した。

自分たちの身元が明らかにされることを恐れたAG信徒夫妻と、KFCの悪評が外に知れることを恐れたDr.Lukeが結託して、私や彼らに反対した兄弟を神に逆らった者であるから破滅すると宣告して、KFCから追放したのである。


10)日本やクリスチャンへの盛んな呪いの言葉と罪定めによって支持を失ったDr.LukeとKFC
 
当時、私はKFC以外の場所で、同時期に追放されることになった兄弟や、その他のKFCの歴史をよく知る複数の兄弟姉妹と共に、KFCの在り方の問題について話し合っていた。そして、KFCの教説は完全に異常なものであるから聖書に反しているとの結論に達していた。特に、当時、「2012年は破壊と制御不能の年となるだろう」とDr.Lukeが主張していたことについて、そんなことは聖書に照らし合わせて絶対にあり得ない予言であり、それが神から来たものでない以上、KFCの未来も混乱した暗いものとならざるを得ないだろうとの予測に私たちは達していた。そういう破滅的な予言は、当時、流行していた終末思想の受け売りに過ぎないものと見られた。

姉妹は私に早くKFCを去るように忠告していたが、私は結末を知りたいと願い、追放されることを知っていてわざとそこに残った。その後起きた出来事はすべて予想通りの結果であったが、彼らから向けられた敵意と悪意だけは予想を超えていた。その後、「KFCはバビロン」としていた年長の兄弟を含め、数多くのクリスチャンにこの事件について話し、意見を聞いてみたところ、その中の誰一人として、Dr.LukeやKFCが以前からまともであると考えていた人はなかった。中には学歴・職歴の点で十分にエリート層に属している人々もいたが、彼らもまたDr.Lukeを仲間として擁護することを拒否した。

それどころか、クリスチャンの多くがDr.Lukeについて語る際に、何かしらの憎しみめいた敵意をあからさまにすることに気づかされた。おそらく、Dr.Lukeがメッセージにおいて再三、キリスト教界のみならず、クリスチャンやニッポンそのものに対しても「ビョーキ」や「破滅」などの呪いの宣告を下していたことや、彼の享楽的で上から目線の自慢話などが、人々の心に非常な嫌悪と敵意を催させていたのであろうと考えられる。

ある時期まで、私はDr.Lukeは純粋に自立した信仰を模索している兄弟だと考えていたし、周りの兄弟姉妹もそう考えており、読者もそのように理解していた。多くの人々がDr.Lukeに期待し、また賛同や応援もしていた時期があることを私は知っている。そういう流れが明らかに変わったのは、次の機会に述べるように、グレゴリウス氏と杉本氏への彼の対応がきっかけであったと見られる。

さらに、杉本氏によるバッシングが起こって後、ネットで書かれていることが実社会に与える影響はどの程度かということについても、合わせて私は調べてみたが、それもゼロに等しかった。インターネット上の事実と現実とは乖離しており、ネット上で支持者を誇り、勢力を伸ばしているように見える人々が、現実にどれほど支持されているのかを調べてみると、そこにはあまりにも大きな乖離があることだけが分かった。特に、KFCは当初とは大きく違って、すでにほとんど誰からも支持されてはいなかったし、敵意の他には関心さえも払われていなかった。


11)キリスト教界に反対する個人を一見支援するように見せかけて裏で陥れたDr.Luke

私は上記のような事件に辟易して長くネットから離れていたが、ある時期、ふと見てみると、あろうことか、Dr.Lukeが私や他の反対者の信徒をKFCから自分で追放したにも関わらず、そんな事件が全くなかったかのように、彼が坂井能大氏に接近して、「杉本徳久氏からKFCの信徒に対する数々の野蛮な行動」に対抗して立ち上がるように影響を及ぼし、坂井氏を焚き付けて杉本氏に裁判で対抗させることに成功していたことが分かった。

策略と知らずに坂井氏はDr.Lukeの身代わりに杉本氏に対峙させられ、敗訴させられたようである。表向き、杉本氏に向かって主張していたのは坂井氏なので、彼が責任を問われるのはやむを得ないが、背後でそれをさせていたのはDr.Lukeであることが私にはよく理解できる。冒頭に挙げた二人の上記ツイートからも、Dr.Lukeが坂井氏の心に巧みに杉本氏への憎しみを煽っていた様子が十分に伺える。それはDr.Lukeが杉本氏に敵意を抱きながらも、自分は傷つかないために、坂井氏を身代わりにして杉本氏に代理戦争をしかけたことを意味する(Dr.Lukeは常に自分は直接他人とガチンコしないのだと吹聴していたが、それはただ自分の身代わりに常に誰かを前面に押し出して犠牲にして来ただけのことである)。

こうして、Dr.Lukeは坂井氏を計画的に欺いて陥れたのである。私を含め、兄弟たちの人権を踏みにじって交わりから追放したのはDr.Luke自身であるから、彼は杉本氏による人権侵害など言い立てられる筋合いには全くなかったにも関わらず、彼は私たちが杉本徳久氏の一方的な「被害者」であるかのように描き出し、「被害を受けたKFC信徒を助ける」という文脈で、坂井氏を焚き付けて、杉本氏に対決させていったのである。


KFCを長きに渡って知っている複数の信徒に長期間、聞き取りを行った結果、Dr.Lukeはこれまでそのようにして、幾度も自ら手を下さずに、他人を身代わりの犠牲にして自分の願いを首尾よく成し遂げて来たことが分かった。その際、信じやすい若い信徒や、未熟な年少者らを大いに利用して来たのである。そして、弱い者を犠牲にしたことに対して、彼には罪悪感がなかった。


12)杉本徳久氏とDr.Lukeの果たした役割は根本的に同一である
 
なぜそういうことをDr.Lukeは人を欺いてまで行ったのだろうか。私は、杉本氏とDr.Lukeとがうわべは対立しているように見えても、実際にはほとんど同じ役割を果たしていたことに注目する。二人が果たして来た役割とは、キリスト教界に属さず、自立した信仰を持って自主的に歩もうと決意していた信徒を、正義感や同情心を刺激することによって、裁判その他の無意味な争いの中に引きずり込み、神の御前で単独者として歩むことや、自立した信仰と福音を宣べ伝えるという最も重要な課題から目をそらさせ、それが公にできなくなるように追い込んでは口を封じることに貢献したことである。それによって、彼らは信徒がキリスト教界から真に自由になることを妨げ、真に自主性に基づいた個人同士の交わりをも分断し、個人の連帯を阻止したのである。

こうしたことの結果、ネット上には、キリスト教界による公認の活動だけが残っていき、組織されない個人の主張は分断され、駆逐された。キリスト教界から自由になろうとする個人は、無駄な争い事に巻き込まれて精力を浪費させられた挙句、敗北して潰されて行った。キリスト教界に反旗を翻しているように見えた被害者運動さえも、教界によって組織・管理された公の運動にすり変わって行ったのである。

杉本氏はすべての被害者運動の庇護者を買って出て、被害者を村上牧師の傘下に集めることにより、被害者運動がキリスト教界と対立するものでなくなり、キリスト教界の管理下に置かれるのを助けた。他方、Dr.Lukeは周りのキリスト教界に属さない個人を自分自身もしくは杉本氏との争いの中に引きずり込むことによって、結果的に、キリスト教界の管理下にない個人が自由な意見をネット上で述べられないように、彼らをことごとく排除するのに役立った。

両者はともにクリスチャンが決してキリスト教界から自由にならないように追い込み、ネット上の公の空間がただキリスト教界に公認された情報と活動だけによって占められるようになることに寄与したのである。
 
だから、私は改めて言う、キリスト教界と反キリスト教界は同一であり、Dr.Lukeも杉本氏もコインの表と裏に過ぎない。両者が対立しているように見えるのはほんのうわべだけに過ぎず、本質的に両者は互いに補完し合っているのである。Dr.Lukeは一見、杉本氏と対立しているようなポーズをとりながらも、次々と「獲物」を捕まえてきては、杉本氏のもとへ運んで行ったのである。
  
さらに、この二人はともに裁判を通じて信仰の問題を解決する道を選んだ点でも歩みを一つにしている。だが、裁判に正義を見出すことは不可能であることを私は再三、主張して来た。信仰の問題は、裁判によってではなく、ただ聖書に立ち戻ることによってしか解決しない。それは決して人が自分だけは間違わない神のように正しい存在として、他人だけを一方的に罪に定めて裁き、罰し、矯正しようとし、他人に君臨する行為を意味しない。むしろ、己自身がまず罪人として神の御前に立ち、神に真摯に赦しを乞い、救いを求める立場に立つことからしか始まらない。

指導者であってもそれは全く同じである。Dr.Lukeは自分の言葉を自分に適用すれば良いだろう。悔い改めがあって初めて血潮が適用される余地があるのであり、自分をかたくなに義とする者に憐れみは必要なく、血潮も必要ない。自分が罪人であると認めない人間には、赦される余地そのものがないと言えよう。

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