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私ではなくキリストⅦ(東洋からの風の便りIV)

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。Ⅱコリント4:18

新たな冷戦という無意味な争いに巻き込まれず、真の自立に至りつくために

 

 閑話休題。 ロシアのサーバに試験的に格納していたブログが消えた。これまでにも様々な不気味な問題があり、まことに使い勝手が良くなかったのだが、ついに以下の反キリストの記事を挙げて以降、すべての記事が削除された。その日のうちに復旧させると今度はアカウントごとブロックされた。

 削除の理由の通知すらない。だが、”彼ら”が私のホームページを訪れている記録があることを見ると、内容を理解していなかったはずがない。

 これにより、ロシアという国がどれほど不自由な状態にあるか、その一端を垣間見たような気がした。かねてからの予感が的中した。ロシアはいかに発展しているように見えても、それでもどこで「地雷」を踏んでしまうか分からない国だという点は変わらない。

 実のところ、今年の初めまで、私は日本国内の絶望的な情勢を憂慮して、本気で外国へ行くことを考えていた。その時に、最も魅力的に見えていた国の一つがロシアであった。

 そんな私を思いとどまらせたのは、クリスチャンたちの言葉と、来日したロシアの友人が冗談のように投げかけた次の言葉だった。

「日本の情勢も厳しいと思うけど、ロシアはもっと厳しいよ。いい仕事はなかなか見つからないし。何より、プーチン政権に逆らったら社会的に抹殺される。」

 その時、私は笑いながら、「安倍政権に逆らった人々も(古賀茂明さんのように)次々と社会的に抹殺されてますよ」と答えたが、後になって、友人の言葉にはもっと重い意味があったのだと悟った。

 プーチン政権への支持率が80%を超えているロシア。多い時でも50%程度だった安倍政権下でこれほどのことができるなら、80%の支持率の下ではどれだけの統制が可能になるか。しかも、プーチン氏は安倍氏よりも賢明であり、安倍氏が目指しているのも、まさにプーチン氏の統治であるように感じられる。二人は単に気が合うのではなく、国家主義という点において、極めてよく似た思想の持ち主である。今、安倍氏率いる日本が向かいつつある危険な流れの完成形がすでにロシアにあるのだと言って良い。

 ウクライナ問題勃発時にクリミアを併合したプーチン氏の手際の良さと(むろん、それはクリミアの望んだことであるが)、衰退しつつある米国のロシアへの様々な不当な言いがかりのために、これまで私の目に覆い隠されていた様々な不穏なうわさが一挙に脳裏によみがえった。アンナ・ポリトコフスカヤ、ジリノフスキー、ホドルコフスキー、リトヴィネンコ・・・

 私のロシアの友人たちは、日本愛好家でありながらも、ずっとモスクワのプロパガンダ役をも果たして来た。これまではロシアヘの優しい愛情が私たちを結ぶ橋であった。日露の平和条約締結にこぎつけ、両国間の関係を改善したいという共通の願いがあった。

 自らの発言により、ロシアへの私の夢を壊してしまったことに気づいて、友人はそれ以上、その話題を続けることはなかった。

 ”もうこの話はやめよう。ぼくは西側のプロパガンダを助長する気はない、まさかきみはネムツォフの最期がクレムリンの仕業だと思ったりしてないだろうね。彼はとても不運な、すでに政治生命を終えた政治家だった、誰にも彼を暗殺する必要なんか全くなかった、リトヴィネンコは売国奴で裏切り者だ・・・”

 だが、その弁明がかえって私に不信感を抱かせたのだった。それはキリスト者であるがゆえの私の直観だったと言っても良い。暗殺が誰の仕業かなどという問題が重要なのではない。肝心なのは、どこにもユートピアを見出してはならないということだ。神の国は、あそこや、ここや、目に見える形で来るのではない。たとえ、あの人、この人が自分をキリストだと言っても、決して彼らに着いて行くな・・・。

 もし当時、準備していた留学を決行していたならば、ソビエト文学を礼賛しなければならなくなることも躊躇の理由となった。私の専門はソビエト時代の文学であるが、それは決してその内容を賞賛するために研究を始めたものではない。むしろ、社会主義時代という負の遺産が、作家を含め、人々の心にどれほどの影響を投げかけたのか、それを知るための題材として選んだのだった。しかし、ロシアではソビエト文学も国文学のうちに含まれているため、作家を公に批判することは受容されないものと思われる。その空気の中でやっていくためには、当然のごとく、ソビエト作家を礼賛する論文を書かねばならなくなるだろう・・・。それは今までの研究と良心への裏切りではないのか?
 
 こうしたことを考えていると、同年代のロシアの友人たちが、ソビエト時代に生まれ、社会主義時代の影響を深く受けていることに改めて気づいた。彼らは多分、ソビエト時代の方が良かったというノスタルジーに心を支配されているものと思われる。市場原理主義の混乱を厭い、拝金主義を嫌う潔癖さ、親切心、深い同情心、愛国心、知識人らしさといったものが、とても私の心の共感を呼んでいたのだが・・・。

 そうした心の潔癖さ、人助けの精神はすべて人の心の美徳であるように見られる。カルト被害者救済活動に携わる人々も、そういう類の人たちが多いことはすでに述べた。今の世の中の不正や腐敗を嫌い、人助けに余念がない人たち。だが、私は度重なる失敗の末に学んだ。人助けをしようという心の中に潜む傲慢さについて。うちにキリストをいただく人々は決して誰からも助けていただく必要がない。キリストのみにより頼んで生きることが真の自立への道だ。もし誰かに助けていただこうと考えるなら、その瞬間に、私たちは心の支柱を失ってしまう。

 だから、自分を取り巻く情勢が厳しく思われるときにも、神こそすべての助けであることを確信し、決して目に見えるどんなものも、心の偶像としてはいけない。どこかへ移動し、アクションを起こすことは、大いに気晴らしにはなるだろうが、本当の解決とは、そういうことの中にはないのだ。

 危ない危ない、またもやあの世行きのバスに乗り込みそうになるところであった。

 ある兄弟はこの話を聞いた後、言った。
「あなたがロシアに行っていたら、多分、大変なことになっていたと思いますよ」
 
 さて、ロシアのブログ削除の話題に戻ると、日本語で書いていたことが問題でブログが削除されたようにはあまり思われない。今までのところ、かなり批判的な内容の記事も問題なく掲載できていたし、いつの間にか検索にも登録されていた。タブーに触れたのは、多分、「反キリスト」と「神々への宣戦布告」、「天皇」、「選民思想」、「男尊女卑」、「ウクライナ」といった単語だったのではないかと思われる。

 しかも、私は決してロシアに批判的なことを書いていないのに、削除されたことがなおさら不気味だった。このことが、それまでの確信をより一層強めるきっかけとなった。何かが急所に触れたに違いない。

 そのようなことがあってから、特に、反キリストとの関係において、改めてロシアという国を見直す必要があると思われた。さらに、天皇について・・・。一見、バラバラなワードだが、背後に一つの流れがあるように感じられてならない。

 今、日本政府が多くの点で健全な理性を失い、自滅へ向かっているように見えるため、一定の日本人は、米国に対する期待を捨てて、ロシアに希望を託そうとしている。米国を悪、ロシアを善とする摩訶不思議な新たな冷戦論のようなものが登場して来ており、日本政府の健全な統治能力の欠如に絶望するあまり、ロシアの外圧によって日本を変えてもらい、諸問題を解決してもらい、米国隷属のくびきを断ち切ってもらいたいと切望する流れがあるように見受けられる。

 だが、ロシアにその知恵を求めるのは無理というものである。それはロシアという国の実情を知らないからこそ、抱くことのできる希望である。さらに、百歩譲って、ロシアに仮にその知恵と力があったとしても、外圧により自国の諸問題を解決してもらうことが我々にとって本当の解決ではない。自国でどんなに深刻な問題が起こっていようとも、その解決をよその国に期待し、よその国に委ねるほど愚かなことはない。そんなことでは何度でも制圧されるだけであり、どうして国としての主権を取り戻せようか。

 今、必要なのは、各自が真の自立を成し遂げて主権を取り戻し、自分の問題を自分で解決できる知恵と力を持つことだ。自国の問題さえ解決できていない国が、他国の戦争に加担して他国を救済するどころの話ではない。解決とは、いつでも私たちが自分で考え、自分で実行しなければならないものであって、他者の問題は他者が解決すべきであり、共依存関係になることは望ましくない。だから、米国であれ、ロシアであれ、他国がいつか世界をよくしてくれると考えるのは全くの幻想であり、現に目の前に見ている解決困難な様々な問題からの新たな現実逃避策に過ぎない。

 私はこう考えている、今、日本にとって最も必要なのは、あらゆる面から見て、自立である。そして、自立するためには、個人がきちんとその代償を払って、自分の問題を自分で考え、どう解決すべきか、決めていくことができるかどうかがすべての鍵となる。実際のところ、この国の命運を決めているのは首相ではなく官僚でもなく、国民なのである。国民が自立していないからこそ、このような現状が生まれている。日本人一人一人に本当に自立する気があるのかどうか、代価を払ってそれを追い求め続ける意思があるかどうか、それがこの国の命運を決める。常に長い物にまかれることで自分を殺してその陰に隠れようとし、自分では何も考えないで常に誰かに物事を決めてもらい、自分の問題を常に誰かに解決してもらいたいという願望とさよならできなければ、これまでと大差ないか、これまで以上の暗黒の未来が待っているのみだろう。

 それはクリスチャンについても同じである。多くの信仰者は「キリスト教界からエクソダスせよ」という呼びかけに共感し、一旦は、教会を離れることを真剣に考えた。キリストご自身以外に庇護者を持たず、真に自立して歩むことを一度は決めた。ところが、ほとんどの人たちは、キリスト教界を離れて、ただ自分一人で神を仰いで自立した信仰生活を構築する力がなく、それを獲得するまでの困難に耐える覚悟もなく、失敗と、居場所を失うことや、孤立して嘲笑されることを恐れたので、まだ温もりをとどめている胎内のような「その出て来たところ」へちゃっかりと逆戻って行き、まるでキリスト教界を離れようと考えたことなど一度もなかったかのように、前よりもさらに従順な羊となってしまった。

 誰しも初めから完全な自立を成し遂げるのは無理である。それは闘いぬいて徐々に獲得して行くものでしかない。最初から試行錯誤の苦労なしに、失敗なしに歩みを進めるなどほとんど誰にとっても無理な相談である。だが、たとえ困難に突き当たっても、目指していた自立に真に到達するまで、決してあきらめないことのできる人が多少なりともいれば、この国は速やかに変わるだろうと私は思う。

 ロシアの話題に戻ると、Dr.Lukeがプーチン氏や三島由紀夫を礼賛していたことを思い出すにつけても、こうしたことの背後にある思想について、いずれ記事を書かねばならないと思う。

 最後に、天皇の責任について。これまで、日本の学校での歴史の授業などにおいては、「先の大戦は軍部の独走によって引き起こされた」と言われるのが定説で、昭和天皇の戦争責任論はほとんど言及されることがなかった。ところが、多くの公開されている資料によると、昭和天皇は決して軍部にそそのかされたわけではなく、自らの意志と統率力によって積極的に戦争を望み、積極的に戦争を導いたのだということが明らかになっている。

 さらに、戦争責任だけでなく、敗戦後の日米安保体制の構築にも、昭和天皇が強い影響を果たしたする産経新聞の記事について、天木直人氏のブログから転載する。天木氏の主張は、(たとえば、翁長知事をほぼ無条件に擁護している点など、私には必ずしも賛同しかねる部分もあるが、)少なくとも、天皇が昭和史に担った負の責任について、多くの日本人がこれまでと違ってタブーと思わずに言及し始めたという目覚ましい変化を示す証拠の一つである。

新党憲法九条 天木直人のブログ 
いまさら「日米安保体制を望んだ昭和天皇」を強調する産経新聞
 
 きのう7月19日の産経新聞が国民必読の大スクープ記事を掲載した。

 その記事の要旨は、鈴木九萬という外交官の日記の発見によって証明された、戦後の日米安保体制構築に及ぼした昭和天皇の強い影響力だ

 遺族や親族のもとに保管されていた鈴木氏の日記から分かった事は何か。

 それは「戦力を保持しない日本の安全保障は駐留米軍に委ねるべきであると最初に打ち出した」いわゆる芦田メモが米国にわたっていた事がこの日記で明らかにされたことだ。

 なぜ、このことが重要なのか。

 芦田外相の下で作られたこの芦田メモは、1947年9月につくられ、戦後の日米安保体制の原型とされている。

 すなわち、独立後の日本の安全保障は米国との特別二国間協定より米国に委ね、日本の基地を米軍に提供するのが「最良の手段」と位置付けたメモだ。

 このメモが当時終戦連絡横浜事務局長であった鈴木氏からアイケルバーガー米陸軍中将(マッカーサーにつぐ占領軍ナンバー2)に私信として手渡されていたことはわかっていたが、それが米国政府にどう活用されていたかはこれまで確認されず、研究者の間でも米国政府要人には見せなかったのではないかという見方が定説だったという。

 ところが鈴木日記でマイケルバーガー中将が、「自分は日本の将来の安全保障を扱ったその文書を大いに活用した」と述べ、アイゼンハワー参謀総長(のち米国大統領)らに伝えていた可能性があることがわかったというのだ。

 そして産経新聞のその記事は次のように続ける。

 昭和天皇はマッカーサーとの会見で、駐留米軍で日本を共産主義から守ってくれと頼み、戦力の不保持を謳った憲法9条と国連が日本を守るのだと逆にマッカーサーから諭されたと言われている。

 その昭和天皇は、米国が沖縄および他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望し、そのことが米国の利益になり、日本を保護することになる、という考えを示した(いわゆる天皇メッセージ)

 アイケルバーガー中将は、共産主義勢力に対する日本の治安維持能力に危機感を抱き、マッカーサー元帥の安保構想に批判的だった。

 そのアイケルバーガーが1948年7月に離任・帰国する際、戦後初の外国人の賓客として昭和天皇に皇居で午餐に招待されている.

  この昭和天皇の安全保障観は、豊下楢彦教授の名著「日米安保条約の成立ー吉田外交と天皇外交」(岩波新書)で書かれた吉田茂の天皇外交への恭順と見事に照合する。

 吉田茂もまた芦田と同じく外務官僚だった。

 もういいだろう。

 この産経新聞の大スクープ記事がいわんとするところは、戦後の日本の安全保障体制は昭和天皇と外務官僚によってつくられ、米国にそれを要望してできた国策であるという事だ。

 なぜ産経新聞はこのタイミングでこのようなスクープ記事を大きく掲載したのか。

 それは安倍首相の掲げる日米同盟強化も、集団的自衛権行使容認も、安保法制案の採決も、昭和天皇の外交以来の国策であるということだ。

 それに反する者は国賊であるといわんばかりなのだ。

 しかし、時代は変わった。

 昭和天皇から明仁天皇の時代となり、国民の意識も、国際情勢も、米国の影響力も、なにもかも大きく変わった。

 いまこそ日本の安全保障政策も、歴史の大きな流れを読み間違えることなく、正しく変わらなければいけない時である(了)


 

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