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私ではなくキリストⅦ(東洋からの風の便りIV)

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。Ⅱコリント4:18

7.1クーデターと、主権在民を否定する自民党の憲法改正案について①

 いよいよ、昨年夏の集団的自衛権の行使容認を認めた安倍政権による閣議決定が、クーデターに相当することが世間の一般常識として浸透した。今まで気づかなかった多くの人々が、現政権が「羊の皮をかぶった狼」であり、日本国という家を内側から破壊する強盗であることに気づいて来たのだと言える。

だが、安倍氏の説明の自己矛盾や、現政権の物事の進め方のあまりの稚拙さに、非難の声を上げることが早くも馬鹿らしく感じられる人々も登場して来ているようだ。そんなことでは日本人は忘れっぽいと揶揄されるのも仕方がないであろう。

批判すべきは安倍氏個人や現政権ではなく、その背後にある理念である。この点を見間違えることが、最も議論をむなしいものとしてしまう。
 
今、必要なのは、彼らの目指している理念がどんなものであるかを明るみに出し、その計画を糾弾し、打破し、拒否することである。彼らには日本をどのように改造するかについて確たる目標がある。

この目的が実現された時に最も恐ろしい時代が来る。

憲法が改正されれば、やってくるのは真の独裁政治、基本的人権が憲法によっても保障されない恐怖政治であり、戒厳令下の統治である。

集団的自衛権を認め、総仕上げとして憲法を改正すれば、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団も設立できなかったカルト監視機構を国単位で認めるのと同じ恐ろしい状態が発生するのである。

これは事実上の国民から政府への無条件の白紙委任となる。その先に待っているのは、収奪と、密告と、粛清と、告訴や裁判が満ち溢れ、国民同士が敵対し、「お上」が絶大な権威を握って国民を脅かす疑心暗鬼に満ちた恐怖政治である。基本的人権などというものは、もはやないに等しい。

しかも、こうした理念の背後にあるのは、グノーシス主義である。

 「日の下に新しいことはない」と聖書の言うとおり、自民党の憲法改正案も、今の時代になって初めて登場して来たものではない。歴史を振り返れば、同様の恐ろしい案は何度も登場して来ていた。悪魔的計画というものは、どれもこれも基本理念が一致している。

だから、過去に学ぶことにより、私たちがこれから起きようとしていることが何であるかを知ることは十分に可能である。泥棒が来ると分かっている時に、「戸締り」をしない愚か者はいないが、今、本当に「戸締り」が必要なのは、他国の脅威に対してではないのだ。

すでに、日本国は玄関のカギを何度も壊されかけていることに気づく必要がある。それは他国からの攻撃によってではなく、この国を乗っ取った内なる政権によって内側からなされた破壊行為である。玄関のドアが壊れてしまえば、誰でも入り放題になるので、その結果、外敵の侵入ということも起こるかもしれないが、それは結果論に過ぎない。

繰り返すが、泥棒は国の外にいるのではなく、内側にいる人々によってこの国の基本理念が破壊されているのである。自民党の憲法改正案は、まさに日本のすべての個人の家の玄関のカギである主権在民、そして基本的人権の概念を決定的に破壊する行為となる。その蛮行を隠し、これを外敵の脅威にすりかえて責任転嫁するためにこそ、今、中国への脅威論がしきりに煽り立てられているだけである。

これから、複数回に分けて、この憲法改正草案がどれほど恐ろしいものであるかについて、書いていきたい。

自民党憲法改正草案全文 


「7・1クーデター」:

2015年7月22日  東京新聞


 何かが壊れた-。昨年七月一日に集団的自衛権の行使を認める閣議決定がなされたとき、そう感じた人も多いのではないか。私は当時、ある言論誌に「政治的なクーデターだ」と書いた。歴代内閣が憲法九条のもとではできないと約束してきたのに、「解釈改憲」により、それを破ったのだから…。

 ほぼ一年たって、憲法学者の石川健治東大教授と話をしたとき、それに及んだ。石川教授も「法学的にはクーデターだったと思っています」と語った。石川教授によれば、国民もしくは大本の規範は動かないまま、政府レベルで法秩序の連続性の破壊が起こった場合を、法学的にはクーデターという。

 「政府が国民なり外国に対して約束したことを破るためには、より上位の規範に則(のっと)った、ふさわしい手続きによるのでなければなりません。国民投票や、それに相当する手続きが必要だったはずです。それを普通の閣議決定で決めてしまいました。法学的には『法の破壊』がなされたといいます。クーデターとは『法の破壊』の一種なのです」

 自分が契約したのだから、自分が勝手に契約を破っていい-。そんな無法が契約社会で通用するはずがない。「合意は拘束する」というルールが破られたのだ。

 何かが壊れたと感じた、あの出来事は「7・1クーデター」と呼んでいいのではないだろうか。 (桐山桂一)


 <つづく>kenpoKaiakuLogo.jpg
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