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私ではなくキリストⅦ(東洋からの風の便りIV)

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。Ⅱコリント4:18

キリスト教界からエクソダスした人々~ペンテコステ運動からの離反 KFCを離れた信徒たち~②


最近、KFCを離れたクリスチャンと語り合う機会があった。
「私をそんなに見くびらないで(あんな集会に何があっても戻ったりしないから)」との返答に少し驚いた。同時に、その返答は嬉しくもあった。

ああ、クリスチャンたちの認識が変わってきているな、と感じたからだ。
もはや、奇跡やら、癒しといった超自然的な目覚ましい働きばかりを求めて、目立つリーダーの派手な説教のもとへ、多くの人たちの群がる大規模集会へと人々が駆けつけるということがなくなって来たのだ。
 
むろん、ペンテコステ運動の宣伝は依然として盛んだが、同時に、ペンテコステ系の集会があらゆる場所で引き起こして来た無秩序と混乱も、人々に広く知れ渡ってしまった。聖霊の働きと銘打って、やたら尋常ならぬ超自然現象を売り物とし、人々がひれ伏したり、泣き叫んだり、異言だと言っては誰にも分からない言葉を叫んだり…、とにかくペンテコステ系の教会はどこも無秩序と混乱ばかりを引き起こしているのはなぜなのか。それはあの集会、この集会、あの教団だけがおかしいのではなく、この運動自体がもともとおかしかったからではないのか、私はそう考えている。

ペンテコステ運動は最初から弱者救済の社会運動、大衆運動の側面を持っていた。20世紀、社会からも教会からもいわば打ち捨てられた、病院に行く余裕もないほどに貧しい労働者家庭やホームレスの病める人々を現場で癒すというその奇跡的な業が、大衆を強くひきつけた。

また、しるし・不思議・奇跡、聖霊のバプテスマや異言といった目に見える超自然現象を強調するその教えは、難解な教義を理解するための知性を必要としなかった。そこで、貧しくて教会には行けず、行ったとしても牧師の説教が分からない、高い教育を受けていない人々をも、十分に魅了するだけの要素を多分に備えていた。

だが、そのように社会的弱者をひきつける魅力とは裏腹に、目に見えないパンであるキリストの十字架の贖いへの理解よりも、「しるし・不思議・奇跡」という「目に見えるパン」を売り物としたこの運動はそもそもの初めから大きく誤っていたのではないかと思われてならない。
 
解放神学の誤りについて語った時にも述べたことだが、ペンテコステ運動についても同様に、こうした大衆運動、特に社会から打ち捨てられた弱者の救済をことさらに強調して登場して来る新種の福音の偽りと危険性について、この先、検証が必要ではないかという気がしてならない。

だが、それはともかく、もはや時代はそういう弱者救済を掲げる大規模な大衆運動を求めてはいないのを感じる。これは大量生産・大量消費の大衆社会の終焉をも意味するかもしれないが、人々はもっと個人的なニーズに沿った深い満足を求めているように見える。

話を戻せば、KFCにいる人々は、自分たちは以前とは見違えるように変わった、などと主張しているらしいが、もうそんな言葉に心惑わされるほど、私たちは未熟者ではなくなった。ペンテコステ系の教会はそういうお涙頂戴の劇的な回心の物語がいつも大好きだ。やれヤクザが回心して牧師になったとか、統一教会の脱会者が牧師になって救済活動に従事しているとか、そういう劇的な回心の物語で満ち溢れている。過去が悪ければ悪いほど、ますますそれを材料として回心の大きさを誇示し、人々の心をひきつける手法だ。

KFCにしても同じである。だが、私の関心はそういう目に見える人物の回心の物語にはない。

もしもあなた方の回心が本物だというならば、あなた方がこれまで傷つけて来た人々の名を列挙して謝罪すれば良い。それができず、自分が過去に犯した過ちを公言することさえできない人々が「自分は変わった」などと言っても、愚か者の他、誰も信じる者はいないだろう。
 
あなたたちはそうしていつまでも自分だけを主役として舞台で回心の演技をしていれば良いが、もはやそのような「自分病」に注目するほど人々は愚かではない。

人は生長するものであり、子供の頃に使った遊具が、大人になれば不要になるように、いつまでも小学校一年生の担任に教わり続けるのが無理であるように、信仰生活において出会うものも、何もかも単なる通過点に過ぎず、段階に応じて人は自分にふさわしい交わりを得て行く。

一時は、解放的な福音を宣べ伝え、多くの人々の支持を集めたKFC。その中で学んだことがあったこと自体を私は否定しない。だが、彼らの役目はもう明らかに終わった。ある姉妹が以前に言っていたことを思い出す、KFCはとうに役目を終えていたのに、引き際を間違えたから、どんどん異常になって行ったのだと。

以前、Sさんへの手紙を公開したので、昨年夏に私がDr.Luke宛に送った最後の手紙もここに公開しておく。趣旨は同じであるが、多少、表現は変えた。

さようなら。存在しないユートピアのようなお子様の国。人は生長して大人になるものだ。あなた方の夢見ている何の責任も伴わずに自分たちがいつまでも主役になれる空想の世界にこれ以上、お付き合いすることは馬鹿らし過ぎて、できそうにもない。

夢見ても絶対にやって来ることのない聖霊派のリバイバルを信じて、自分たちは世界を救ってやる救済者だと思い込んで生きることはできない。必要なのは、そんな風に大言壮語して自分たちの活動にスポットライトを当てて常に非日常ばかりを追い求め、自己陶酔に生きることではなく、地に足をつけて、人として健全で責任の伴うごく普通の生活を静かに送って行くことではないか。だから、あなた方とはとうに違った方向へ向かって、私たちはすでに歩き出している…。行く先が見えずとも、あなた方の目指す目に見える都ではなく、見えない都を目指して歩き続けることが使命であると私は確信している。

<つづく>
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