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私ではなくキリストⅦ(東洋からの風の便りIV)

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。Ⅱコリント4:18

疎外されし者たちの復讐の哲学~抑圧された社会的弱者や被害者の内に神を見いだす危険~

「抑圧された弱者のクーデター」の構造は、ちなみに、ウクライナの政変にもあてはまる。むろん、ロシアとウクライナとの間では様々な抗争が行われて来たので、一概に、ロシアだけを弁護するつもりは私にはない。

だが、明らかに、現在のキエフ政権は正当なものではなく、その未来も決して明るいものとは言えない。ウクライナは言語的にも文化的にもロシアとルーツを同じくしており、そもそもロシアとは切っても切れない関係にある。ロシアと戦ってもウクライナは何ら利益を得ることがない。

にも関わらず、ウクライナは「ロシア=強者=悪者」、「ウクライナ=抑圧された弱者=善」とする作為的で浅はかな二項対立の図式に陥れられてしまい、選挙で選ばれた大統領を追放して、自ら兄弟国であるロシアに敵対するに至った。その結果、ウクライナの主要な産業は破壊されて今日に至っている。

この争いの伏線は何年間もかけて用意されたものであり、初めはウクライナの輝かしい自治、民主化運動に見せかけてのナショナリズムの動きとして始まった。

ウクライナの人々がオレンジ革命に沸いていた頃、まさかその結果が現在のようなものになるとは人々は考えてもいなかったろう。だが、ナショナリズムの形をした被害者意識が、現在の闘争へと結びついたのである。

それは、ウクライナを「長年、ロシアに抑圧されてきた被害者、弱者」とし、ロシアを「抑圧した強者=悪者」にすることで、脱ロシア化を成し遂げさえすれば、自分たちは解放されるという政治的な「弱者救済の思想(?)」がウクライナに広がった結果である。

しかし、これに先立って、ペンテコステ運動がウクライナに侵入していたことを私はすでに述べた。論理的には決して証明することはできない相関関係であるが、私はこの政治的な流れと宗教的な流れに何かしらの類似性もしくは共通点が見出せるのではないかと考えている。

それは、日本に目を移せば、このペンテコステ運動というものはどうにも、被害者意識を人に感染させるという効果があるような気がしてならないからだ。この運動は、関わった人々を「悲劇のヒーロー(ヒロイン)としての社会的弱者」や「被害者」に変えてしまう効果がもともとあるように思われてならない。

それは、キリスト教界に蔓延するカルト被害者運動を私が批判し始めてから、あまりにも多くの被害者意識に固まった信徒たちから壮絶な攻撃を受けたことによって生じた気づきでもあった。

むろん、カルト被害者の中にはそんな風に攻撃的でない人々の方がどちらかと言えば多い。だが、そういう人々でさえ、自らの傷ついた被害体験を否定されるようなことが起きると、反応が全く変わってしまうのである。

ある意味、被害者性や弱者性というものが、被害体験を通して人格の中核にまで入り込み、アイデンティティに深く浸透してしまっていることの危険性を感じる。仮に人生で短い期間、キリスト教界に関わっただけであっても、そこで受けた影響が、人格の中核にまで入り込み、生涯、「弱者性」、「被害者性」から抜けられず、これを売り物にしたり、自分を守るための隠れ蓑にしてそこに居直るという結果を生んでいくのである。

いわば、そのような「被害者性」を主張し続けている限り、人は自分で最も憎んでいるはずのカルト牧師と生涯、離れられない縁を結んでしまうことになるのだとも言える。「被害者性」という弱みと手を切らない限り、身体はキリスト教界を出ても、心はいつまでもそこから抜けられないのである。

私はこのような「弱者性」や「被害者性」なるものが、大変厄介な曲者であることをすでに幾度も述べて来た。結論から言えば、大きな被害体験を受けた人に私も同情しないわけではないが、人はいつか「被害者」であることをやめて、健全な自立した人格を取り戻さなければならない。それこそが目指すべき目標である。
 
だが、「被害者性」や「弱者性」を主張しながら、同時に「自立」を目指すということは不可能事だ。自分を一方的な被害者とみなし、加害者のみを責めながら、もしくは自分の被害体験のゆえに、人から同情を乞うという生き方を続けながら、真に自分の言動に完全な責任を負うことはできない。むしろ、そこには他人だけを悪者として責め、自分は責任を放棄するという非常に心地よい誘惑がある。

(たとえば、「ロシアが悪い、ウクライナは正しい」とか、「悪徳カルト牧師が悪い、被害者である私は可哀想だ」と叫んでさえいれば、国や自分の生活が良くなるかと言えば、そんなことは絶対にない。にも関わらず、そう叫ぶことによって、正しいことを主張している気になり、自分が人生で直面する問題に自分自身の意思で直面する力がますますなくなっていくのである。)

さらに、「被害者」を自称している限り、結局のところ、人は新たな「偽の救済者」につけこまれる隙を自ら作っているにも等しい。「私は被害者です」と主張している時点で、すでに救済を待っているのだとさえ言える。もちろん、神は救うことができる。癒すこともできる。だが、見えない神ご自身ではなく、目に見える人間に弱みを告白し、助けを求めると、容易に依存関係に陥ったり、利用される隙を与えてしまうのである。

同様に、私は病の中にある人々にも、信仰によって病と決別し、真の健康を神に求める必要性を語ったことがあったが、時にはそのために猛反撃にあったこともあった。病人への同情心がないからこそ、そのような「残酷な発言」ができるのだというわけである。そのような体験から、私は被害者や病人の中には、同情を得られなくなるくらいならば、いっそ健康も自立も要らないと考えている人々がいることを知った。

「弱者」や「被害者」を自称する人々の中には、自らの弱みが未来永劫、絶対に克服されてほしくないと願っている人々も一部存在するのだ。なぜなら、その弱みがあればこそ、彼らは自分を正義の担い手で、とても健気で美しい人々のように見せかけることができる。弱みがなくなってしまうと、同情票が集まらなくなるし、弱者同士の連帯の中に逃げ込むこともできなくなって、一切のハンディキャップなしに、他の人たちと同じ一般人として、一人前の責任を負わなくてはならなくなるからである。

真の自立に至るためには、人に助けを乞うたり、哀れみを乞うような弱みを持たずに、他人の助けに依存せずに、自分の言動のすべてに自分で責任を負うというハードルを越えなければならない。それは依存や、同情されることに慣れている人にとってはかなり厳しいことである。「弱者性」や「被害者性」と決別し、これらの都合の良いアイテムを手放すことは、ある人々にとっては非常に難しい選択なのである。だから、そのような人々は、たとえ口では自立を目指しているように述べても、弱みを自分の長所や美徳のように握りしめ、抑圧された過去を美化し、自分の全ての無責任行為を覆い隠す免罪符のように弱者性や被害者性を利用して、自分を守る正義の盾として振りかざすことの快適さを手放せない。そのようにして、本人がその弱みを美しいものとして握りしめ、歓迎していればこそ、「被害者性」や「弱者性」がアイデンティティの中核まで浸透して、その人の人格と結合してしまうという出来事が起きるのだと考えられる。

さて、話を戻そう。

最近、沖縄の問題に詳しい人と語り合う機会があったが、その人は沖縄県民がようやく自ら声を上げるようになったことを前向きに評価しており、翁長知事に大きな期待をかけていた。

確かに、沖縄県民が自ら声を上げ始めたことは評価に値すると言える。だが、私は残念ながら、決して現在の沖縄県民の展望に楽観的な未来を見出していない。それは、カルト被害者救済活動の最大の激戦区が沖縄なのだが、そこにいるクリスチャンたちが、未だに被害者運動から完全には脱却できていない現実からも推測できる。

カルト被害者らは、被害者を都合よく利用して自らの名声を築き上げようとしている偽りの指導者たちの悪質さをよく知っている。沖縄の被害者こそ、こうした指導者らによって、最も激しい争奪戦に巻き込まれて分断されて来たのである。にも関わらず、多くの人々がこうした偽りの指導者を公然と糾弾し、訣別することができないでいるのは、被害者同士が分断されて争わされることを避けたいと願っているためである。だから、多くの被害者は、カルト牧師を非難しても、被害者を利用して名声を築き上げている偽りのアンチカルト似非救済者を非難することがない。

だが、私は思う、カルトもアンチカルトも同一であることを真に理解し、この双方と決別し、誰にも頼らずに自ら立ち上がるという真の自立に至らないことには、沖縄県民のクリスチャンにも(むろん本土のクリスチャンにも)、決して本当の意味での解放はやって来ないだろうと。

そのことは政治的な局面にもあてはまるような気がする。沖縄県民から圧倒的な支持を受けている翁長知事に関して、植草一秀氏がかねてより記事において疑念を投げかけている。だが、抑圧された沖縄県民への同情が大きければ大きいほど、彼らに支持されている翁長知事に疑いを投げかける行為は、批判の対象となりかねない。「あなたは翁長知事を疑うことにより、沖縄県民をさらに分断することを狙っているのか」と。

しかし、そこには、カルト被害者救済活動と同じ構図があるように見えてならない。虐げられている社会的弱者を利用して、弱者の圧倒的な支持をとりつけさえすれば、弱者を救出するという美しい名目で、支援者は自分を正義の味方のように見せかけ、絶大な権力と名声を手にすることができる。その上、「被害者救済」の美名を盾に、自分に対する異論を封じ込め、反対者を排除することも可能なのだ。

翁長知事がどのような人物であるかという前に、すでにそのような合理的な疑いを排除し、異論を唱えさせない空気そのものが大変危険なものであると言える。少なくとも、地方政府のトップという要職にある以上、知事のすべての行動は市民から厳しく監視されて当然である。権力を持つ者であるがゆえに、常に合理的な疑いと批判にさらされなければならない。にも関わらず、「被害者救済」、「弱者救済」の美名のために、その合理的な疑いまでが排除されるようになる時、現時点では、まだ何も起こっていないように見えても、すでに十分に危険な状況が出来上がっているのだと言える。

繰り返すが、政治問題も被害者運動も同じであり、誰か優れた大衆指導者が現れて自分たちの問題を率先して身に引き受け、解決してくれるだろうという期待を完全に捨てない限り、そして、そういう大規模運動に頼らずに、自分たちの問題は自分たちで解決するという新たな方法を取らない限り、以前と同じ裏切り行為が繰り返されるのではないかと懸念されてならない。

最近、突然、安倍政権批判運動として浮上して来たSEALDsに関しても同様のことが言える。ホームページを見る限りでは、これはもともと大学の小さな集まりに過ぎないものであったように見えるし、その前身である特定秘密保護法に反対する有志の会(SASPL)であった頃にはまだそれほど多くの人々に知られてもいなかった。にも関わらず、短期間でのこの圧倒的な動員力は何だろう。多くの大人たちが、若者が反骨精神によって立ち上がったことに感動し、彼らのデモの「カッコよさ」に心打たれ、ひきつけられるようにして国会前に詰めかけている。

だが、どう考えても、この急速な流れには何かしら作為的なものを感じざるを得ない。そして、この運動の設立者の学生の一人である奥田愛基(あき)氏はバプテスト教会牧師の息子であるという。プロテスタントのキリスト教界は効果的な大衆伝道の技術を持っていることはすでに述べたので、おそらく、同氏は子供のころから教会でそれを学んで来たものと思われる。それを学生運動に転用することは難しいことではない。

だが、何度も述べて来たように、聖書のベクトルは決してそのような運動とは一致しないのだ。聖書の目指すベクトルは、ある特定の限定された時空間や、特定の人物のもとに大衆を「観客」として動員するという方向に向いていないからである。むしろ、そのような動きはにせ預言者、にせキリストの働きとして、バビロンに通じるものとして危険視されている。

「そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。」(マタイ24:4-5)
「そのとき、『そら、キリストがここにいる。』とか『そこにいる。』とか言う者があっても、信じてはいけません。にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。」(マタイ24:23-24)
 
さらに、大規模伝道の在り方だけでなく、権力の横暴に立ち向かうデモの精神そのものも、奥田氏は父親の牧師から学んだに違いないと思われる。そこで、SEALDs主催者の父親である日本バプテスト連盟東八幡キリスト教会の奥田知志牧師について調べていたところ、ふと、本棚に目をやると、家人がいつぞや私に送って来た同牧師の書物が偶然のように目に入った。

「もう、ひとりにさせない」、奥田知志著、いのちのことば社、2011年
 
見事なまでにタイムリーにこの牧師の本が手元にあったので開いてみた。未だキリスト教界に深い関わりのある家人の勧めてくる本はこれまでどれもこれも私の疑惑の対象となって来たが、この本も実に怪しげなタイトルである。

なぜかと言えば、これもまた聖書のベクトルとは真逆の意味を持つタイトルだからである。

ザミャーチンのアンチユートピア小説に『われら』というものがあるが、この著書のタイトルもそれに通じるものがある。「もう一人にはさせない(=もうあなたは一人ではなく、我々は一つである。私たちはみな連帯しており、孤独ではない)」と、タイトルは著者が「わたし」(単数)ではなく「我々」(複数)であることを告げている。

つまり、自分は孤独ではなく、一人ぼっちではない、我々は皆一緒なのだ、ということを宣言し、それをまるで悪夢に寝つかれない子供をあやす子守歌のように、自分を安心させる自己暗示の呪文のように言い聞かせているタイトルなのだ。
 
それは一見、同情に満ちているようでありながら、結局、聖書の目指す方向性とは真逆なのである。聖書を見れば、歴代預言者も、信仰者も、常に一人で旅立って行った。誰からも理解されず、嘲笑や蔑みしか受けられない中で、神だけを信じて、人からの理解や同情をあてにせず、まだ見ぬ都へ向かって孤独に旅立って行ったのである。
 
それに引き換え、神に最も憎まれる堕落・腐敗した一大教会であるバビロンは言う、「私は女王の座についている者であり、やもめではないから、悲しみを知らない」(黙示18:7)と。つまり、真の教会であるエクレシアが象徴的な意味では、常にやもめのように孤独で、理解を得られず、一人であるのに対し、バビロンは常に複数であって、孤独を知らないのである。

(そして、私はこの「孤独ではない」というバビロンのつぶやきを、被害者性や弱者性を軸にした弱者同士の連帯の中にも見いだすのである。)
 
さて、上記の著書を開くと、奥田氏が青年期に、釜ヶ崎のホームレスの人々の限界状況を目撃したことにより、キリスト教の牧師になることを決意したくだりが目に入る。
 
関西学院大学の神学部に在学していたかつての二十歳の奥田青年は、未来の年越し派遣村よりもさらに悲惨な釜ヶ崎の現状に心を刺し貫かれる。そして、それが彼の生涯を左右する「原体験」になっていく。

「一九八五年、労働者派遣法が成立する。当時釜ヶ崎では、この法案に反対の声があがっていた。法律は、専門職に限って派遣を認めるという内容だったので、建築現場の日雇労働者には直接関係ないように思われた。しかし釜ヶ崎のおやじさんたちには、いわば「認識論的特権」のようなものがあって、敏感にその法律の危険性を察知していた。当時の日雇労働組合が配布していたチラシに、「全国寄せ場化」という言葉があったことを覚えている。残念ながらこの直観は的中し、一九九九年派遣法は自由化され、非正規雇用問題は全国を席巻した。「景気の安全弁」は、現在では派遣労働者に対して使われている言葉だが、八〇年代以前から寄せ場の労働者は、まさに景気の安全弁として利用されていた。

「日雇殺すにゃ刃物はいらぬ。雨の三日も降ればよい。」重層的下請け構造が生み出す、無責任で不安定な雇用は、釜ヶ崎の労働者を常に危険と死にさらしていた。実際、多くの人々が路上でいのちを落としていた。当時市内の行路死者数は、二〇〇人を超えていたと思う。

冬場、越年越冬の闘いが始まる。年末年始の最も寒い時期、仕事にあぶれた多くの労働者が路上に投げ出される。極寒の公園の片隅で野宿する人々は、常に死と隣り合わせの状態に置かれていた。センターに一夜の寝場所を求めて数百人が並ぶ。当時は、地区内にシェルターはなく、センターの軒下にふたり一組となって布団に入る。小さな布団を分け合い眠る。靴もジャンパーも着たまま。

 翌早朝、私は皆を起こして回り、起きた人から仕事を探して動き出す。
 ある日のこと、起きてこない人がいるので様子を見に行った。すでに相方は起きて、どこかに行ってしまっていた。「おじさん、もう朝ですよ」と声をかけるが応答がない。慌てて布団を剥ぐ。すでに亡くなっていた。それが現実だった。

 冬の雨は大敵だ。雪なら払い落とせもするが、雨は全身に染み込み体温を奪う。寒さをしのぐために酒を飲み眠る。そこへ容赦なく雨が降り続く。ある晩、公園で人が倒れていると聞き、リヤカーを持って雨のなか出かけた。水溜りのようになった公園の片隅、倒れ込むように眠っているおやじさんに、「大丈夫ですか」と声をかける。応答なし、数人がかりでリヤカーに乗せる。寒さのため、体が固まった格好のまま持ち上げられたおやじさん。その全身から雨が滴となってしたたり落ちる。その滴が公園の薄暗い水銀灯に照らされ、不気味に光っていた。

 二十歳の私には、大きな衝撃であった。「この現実は何なんだ。」それまでの「常識」の一切が、崩れ落ちていった。「平和で平等な社会」はそこにはなく、人間が労働力として使い捨てにされていく、歪んだ社会の現実があった。ただ、それは釜ヶ崎だけの問題ではなく、まさしく日本社会そのものの問題だった。大学生である自分が問われたことを思い出す。」(同上、pp.20-22)

 私はこれまで、カルトや異端の教会に入信したり、その後、脱会後にも、カルト被害者救済活動に生涯を捧げたりする人々、または、牧師になって他の人々を救済することを生涯の職業とすような人々には、何かしらの共通する「原体験」があるのではないかという推測を以下で述べてきた。

 それはつまり、幼い頃、もしくは青年期に、その人自身が巨悪の犠牲とされるか、もしくはそのような痛ましい現場を目撃させられたことにより、自分は巨悪による犠牲を食い止めることができなかったという無念、無力感が心に焼き付けられ、それが強烈な原体験となって、巨悪の犠牲にされる人間を救わなければならないという使命感や、救済の思想へと結びついていくのではないかという推論である。

 そのような精神的土壌を持った人は、世直しや人類救済を唱えているカルトに極めて惹かれやすい心を持っており、また、脱会後も、キリスト教の牧師になるなどして、依然として、同じような発想に基づいて救済活動を延々と続けていく傾向が見られる。

 だが、そのような救済は、本当は過去の原体験によって傷ついた自分の痛みを癒すために行われているものであり、真の意味で他者の救済ではない可能性がある。傷ついた自分の心を過去にさかのぼって癒せないので、その代償行為として、絶え間なく他者を救済し続けなければ落ち着かないという強迫反復に駆り立てられているだけである可能性がある。もしそうだとすれば、それは自己救済の試みであって、他者の救済ではない。そして、そのような強迫反復に支配される親に育てられた子供も、同様の思いに支配されて、カルトに入信したり、もしくは何らかの世直し的な救済事業に飛び込んでいく傾向があることもすでに述べた。

 奥田牧師の場合、彼が釜ヶ崎で目撃した悲惨な光景は、同氏の「原体験」として生涯を左右することになる。その限界状況は、一体、神が存在しているならば、なぜこのような理不尽や悲惨がありうるのかという、神への疑問、神への怒り、不満へと結びついていく。

「何人もの人々が路上でいのちを落としていく。生きている人も、人間としての尊厳を剥ぎ取られ続けている現実。そんな彼らの前で祈ることは、むなしく思えた

「神がおられるのなら、なぜこんなひどい現実を放置されるのか?」「そもそも神などおられるのか?」「神は、どこにおられるのか?」それが二十歳の私の正直な問いであった。絶望的な現実は、「神不在」を証明しているかのように私には思えた。信仰が揺らぎ、希望も愛も揺らいでいった。その私の底なしのむなしさは、怒りに転化されていった。人民パトロール(労働者と一緒になってデモをする)に参加し、襲いかかる機動隊に怒りをぶつける。しかし、満たされることはなかった。「信仰」に空いた穴は、さらに大きく深くなっていった。」(pp.22-23)

 釜ヶ崎の現実は、将来の牧師の心に「神はどこにおられるのか。どうしてこの現状を放置しておられるのか」という巨大な疑問を生じさせた。これに対し、奥田氏はどのような形で答えを得たのだろうか。同氏は大学の授業でユダヤ人作家エリ・ヴィーゼルの『夜』を紹介されて読む。

「ヴィーゼル自身は、ユダヤ教の信仰に立ってこの小説を描いている。しかし当時の私にとっては、十字架の神、イエス・キリストを理解するうえで、しかも釜ヶ崎に象徴される現実の世界のなかで神を理解するうえで、大きな示唆を与えてくれた本だった。」(pp.23-24)


 そして、同氏はヴィーゼルの著書の中から、アウシュヴィッツ強制収容所で発電所を破壊した罪のゆえに三人のユダヤ人が大勢の見物人の前で見せしめに処刑されるくだりを紹介する。三人のうち一人はまだ子供で、絞首刑にされてから息絶えるまで三十分以上もの時間が経過せねばならなかった。その残酷な場面を目撃していたヴィーゼルの後ろで、「神様はどこだ、どこにおられるのだ?」と幾度も問う人がいる。ヴィーゼルは心の中でその問いに答える声を聞く、「神はここにおられる、ここにいて、絞首台に吊るされておられるのだ」と。

 私はこのような思想は、キリスト教の教えに反することを再三にわたって述べて来た。解放神学や、サンダー・シングを分析した時にも、これと同様の見解がそこにあることを述べて、それはキリストの十字架の正しい理解ではないことを示してきた。

 つまり、そこには、キリストを「抑圧された罪人らの神」として描き、キリストの十字架を罪人らの破滅に同化させることによって、神を人間の方に引き寄せ、聖である方を我々人間と同じ罪人のレベルにまで引きずりおろし、神を罪人に同化させてしまおうとする巧妙な試みが行われていることを示した。

 すなわち、罪がないにも関わらず、罪人の身代わりとして十字架にかかられたところに、キリストの叫びがある。だが、それは罪ある人間の叫びとは種類が異なるものなのである。どんなに無垢に見える子供であっても、人はみな罪を負っており、それゆえ、悪魔の支配するこの世で翻弄されており、罪の結果としての滅びは免れられない。神の前にはそれを理不尽だと主張することはできない。滅びから脱するためには、十字架の贖いが必要なのであり、神の救いなくして、人がどんなに理不尽を主張しても、破滅の運命を変えることはできないし、滅びゆく人間が残酷な死を遂げたからと言って、その死をもって他人の罪を贖うこともできない。

 しかし、キリストは罪ある人間とは異なり、罪なくして人類の身代わりとして十字架にかかられた。そこにキリストの叫びがある。従って、キリストの十字架上の叫びは、この世において、自らの罪のゆえに混乱や破滅に直面している人間の叫びとは種類が異なり、両者を一緒くたにすることは決してできないのである。まして、罪人らの死を何か尊い犠牲や、贖いであるかのように主張することはできない。

 だが、サンダー・シングや解放神学のような思想では、人はみな生まれながらに罪人であるという点を無視して、罪人の破滅にキリストの十字架を重ね合わせることによって、生まれながらの罪人に憐れみを施し、人の破滅は罪の結果であるという聖書の事実を覆い隠してしまう。そして、神は罪人を憐れむがゆえに、十字架を通して自ら罪人に同化したのだと主張して、神を罪人のレベルにまで引き下げ、逆に罪人をキリストのレベルに引き上げる。そして最終的に、理不尽に苦しめられているように見える社会的弱者の中に神を見ることができるのだという結論に至りつくのである。

 このようにして、キリストの十字架を罪人の悲惨な死に重ね合わせると、キリストの十字架からは人類の罪の贖いのための身代わりの死、悪魔を打ち破った神の正義の判決という意味が消えてしまう。むしろ、キリストの十字架は、罪人の当然の死や破滅と何ら変わりなかったことになり、それは神の不当判決であり、理不尽の極みだったということになる。

 そうすると、必然的に、罪なきキリストを罪人と同じように罰した神は理不尽だったという結論に至り、十字架から罪の贖いや、救いとしての意味が消え去ってしまう。残るのは、ただ神の不当判決、絶望であり、十字架は罪人への同情にはなり得ても、悪魔に対する勝利ではなくなってしまう。そして、信仰を持たない罪人の死をキリストの十字架上の死と重ね合わせ、生まれながらの罪人の中に「神」を見いだすことにより、結局、人は十字架の贖いを経なくても生まれながらに神を宿しているのだという結論(グノーシス主義)に至るのである。

 ヴィーゼルは奥田氏自身が述べているようにユダヤ教徒であるから、神の御子としてのキリストを認めておらず、十字架の贖いも信じてはいない。そこで、ヴィーゼル氏の見解を、キリスト教徒が取り入れるのは極めて問題があるし、危険である。にも関わらず、キリストへの信仰を持たないユダヤ教徒の神の概念を、そのまま自分の見解に取り入れていることを見ても、奥田氏はあたかもキリストの十字架を語っているようでありながら、実際には、聖書とは全く異質かつ正反対の思想を述べていることが分かる。だが、このことについては後でもっと詳しく述べることにして、今は奥田氏の著書に戻りたい。

「「神様は、どこだ。どこにおられるのだ」は、まさに当時の私の問いであった。ヴィーゼルは、アウシュビッツという地獄でそう問うたのだ。そして、最後の最後でヴィーゼルは、それでも神の存在を宣言したと私には思えた。「神はあの子と共に絞首台に吊るされておられる。」―神の場所が示されていた。「地獄としか言いようのない収容所の絞首台に、なお神がおられると言うことができるなら、まだ希望はあるのかもしれない。」私にはそう思えたのだ。

ヴィーゼルのこの告白は、何らかの客観的事実を示すものではないだろう。現実は地獄のままだったろう。救いはなかったのだ。しかし……。そうであるがゆえに、ヴィーゼルは神の存在をそのロープの先に告白したのだと思う。いや、彼は告白せざるを得なかったのだろう。


 十字架の主イエス・キリストを思う。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか)」。この絶叫は、神の居場所を私たちに告げている。キリストは十字架において、神なき絶望のただ中におられたと聖書は告白する。到底、神とは結びつかない現実。栄光もない、豊かさもない、平和もない。そのような十字架のキリストを告白する。そもそも聖書の信仰とは、このようなものだ。

 「信じよう。」そうとしか言いようがなかった。「神様がおられる」という確信を得たのでも、その証拠をつかんだのでもない。私にとって現実は混迷を極めていた。神々しい神の姿を思わせる現実はなかった。神を見いだせない私には、「神などいない」と言うことのほうが、よほど「自然で人間的」だった。

 しかし信仰とは、自然でもなければ、人間的でもない営みなのだ。まさに、キリスト信仰とは、断念と服従によって担保される。「神はいない」、「希望はない」――そういういわば、「自然な結論、納得できる結論」はあきらめた。いや、それを認め生きていく勇気が、私にはなかったのかもしれない。

 神が愛であり、希望であり、和解であり、平和であるとするならば、もしその神がおられないなら、愛も、希望も、赦しも、和解も、平和もこの世にはなくなってしまう。正直私には、それが耐えられなかった。はなはだ不遜な言い方ではあるが、「それでは困る」と思った。「そんな現実だからこそ、神はいてもらわないと困る。」当時の私の正直な思いはそうだった。釜ヶ崎の現実は、二十歳すぎの私にとって、そう言わざるを得ないほど厳しいものであったのだ。

 私は、大学三年で牧師になろうと決めた。現実が好転したわけでも、何かそう思わせる「神がかりな事態」が起きたのでもない。現実は一切変わらず、「神はどこにおられるのか」との私の問いは、すでに日常化していた。

 「神はどこだ。どこにおられるのだ。」こんなことを考えている人間が、牧師になることなどできるのか。しかし結局のところ、私が牧師になったのは、生涯を通じてこの問いの答えを探すためである、としか言いようがない。それが、牧師になった理由なのだ。答えは今もはっきりはしない。しかし、混迷がさらに深まる今日の社会において、「神はおられる。いてもらわないと困る」という思いはますます深まり、「神を探す」日々はより忙しくなっている。

 牧師というものは、何かを悟った人ではないだろう。もちろん、すでに神を見いだしている人でもない。信徒も牧師も厳しい現実のなかでもがいており、ただ聖書を頼りに神を探しているのだろう。「神はどこにおられる。」それは、私たちの人生そのものの問いであり叫びなのだ。生きている限りこの問いを、問い続けなければならない。<略>
 
 私にとって牧師とは、この問いを問い続け、神を探し続ける仕事なのだと思っている。また所詮、そんな仕事なのだろうとあきらめてもいる。牧師だから神がわかるとか、見えているなどあり得ない。だから平穏でもない。そもそも世界が平穏でないのに、牧師やキリスト者だけが平穏であること自体あり得ないことだ。「神不在と思われる絶望的な現実であるゆえに、神はいなければならない。」そう告白しつつ、私はきょうも探し回っているのだ。」(pp.26-29)

 読めば読むほどに驚きを隠せない告白である。つまり、奥田氏は、神を見いだしたから牧師になったのではなく、神を見いだせないから牧師になったのだと述べているのである。牧師という職業は、彼にとって、神を探すという哲学的探究を生涯にわたって続けるための試みだというのである。

 この無常感はまるで仏教の修行僧のようではないか。仏陀は死後もまだ修行中なのだというが、この牧師も、生きているうちに神を見いだすことはきっとないものと思われる。(時折、あちらこちらに神を見いだすことがあると述べてはいるが。)

 そもそも、聖書における神とはそのようなものではない。パウロは書いている、

「私は、あなたがたのために神からゆだねられた務めに従って、教会に仕える者となりました。神のことばを余すところなく伝えるためです。これは、多くの世代にわたって隠されていて、いま神の聖とたちに現された奥義なのです。神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。

 この奥義とは、あなた方の中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」(コロサイ1:25-27)

「だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。」(Ⅰヨハネ4:15)

 キリスト教界の用語では、これを「内住のキリスト」と呼ぶ。どんなに無垢に見える人々でも、どんなに理不尽に苦しめられている社会的弱者であっても、御子の十字架の贖いを信じていない生まれながらの罪人の内に神はおられない。聖なる方は罪と同居することはできないからだ。だが、自分の罪の身代わりとしてのキリストの十字架の贖いを信じ、受け入れた者は、もはや罪赦されて神のものとなり、生まれながらの罪人である自分自身に死に、神に対して生きるようになるので、内に聖霊を通してキリストが住まわれる。

 これをパウロは指し示して、「信仰者の中に住まわれるキリストこそ、私たちにとっての栄光の望みである」と説明している。また、内に住まわれるキリストを通して、「自分のうちに力強く働くキリストの力」(コロサイ1:29)があることも示している。

 ところが、キリスト教界でさえ認めている「内住のキリスト」について、奥田氏の著書には、記述がない。この著書には、神は信仰を通して信じる者一人一人の内に力強く住まわれ、信仰を通して共に働かれるのだという記述が全くと言っていいほどない。それどころか、奥田牧師は神を絶えず自分の「内側」ではなく「外側」に探し続け、そして、未だ見いだせないと告白している。何ということであろうか。教会まで牧会している奥田氏が神を見つけるとしたら、それは自分の霊のうちに聖霊を通して住まわれるキリストではなく、自分の外にいて虐げられて理不尽に破滅に瀕している社会的弱者のうちに見出すというのである。

 また、奥田氏は「…信仰とは、自然でもなければ、人間的でもない営みなのだ。まさに、キリスト信仰とは、断念と服従によって担保される。」と、これまた極めて消極的で絶望的な、反聖書的な言葉を述べている。なんとキリストへの信仰は「断念と服従」によって担保されるという。

 だが、信仰とは何かということは、へブル人への手紙の中に明確に書いてある。

 「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(ヘブル11:1)

 どこにも「断念」とか「服従」とかいう言葉は出てこない。むしろ、信仰は未来に向かっての希望であり、今現在、望んでいる事柄を未来に向かって力強く「保証する」ものである。従って、信仰とは、同牧師が言うような「断念」とは真逆のものである。

 また、同牧師の言う「服従」とは一体何なのだろうか。

 次の文章を読めば、同牧師が服従させられているのは、釜ヶ崎という限界状況で遭遇した「神はどこにおられるのか」という理不尽な状況下における人類の究極の悲痛な叫びであると分かる。 

「私の釜ヶ崎での活動は、大学院卒業まで続いた。西南学院神学部を経て、一九九〇年、現在の日本バプテスト連盟東八幡キリスト教会牧師に就任した。今、私は初任地で二十二年目の春を迎えている。釜ヶ崎での出会いから与えられた問いに、今も「服従」させられ続けている。結果、ホームレス支援活動から抜けられない。そして、牧師として教会に集う人々と共に、また路上に生きる人々と共に、「ご自身を隠す神」を探し続けている。「わが神、何ゆえ私を捨てたか」との叫び絶えぬ現場のただなかにこそ、十字架の神がおられることを信じて。」p.34)

 これはものすごい逆説である。カルバリーチャペルに関する記事でも、同様のパラドックスについて書いたが、それ以上のパラドックスがあるように思う。竹井牧師も、幸薄い幼少期を過ごし、世の中や大人を信じられなくなり、その絶望から死後の世界のユートピアとしての「ひょうたん島」を制作し、やがて聖霊派の牧師になって、セカンド・チャンスという死後の世界に宣べ伝えられる福音や、(おそらく絶対にやって来ることはないであろう地上天国としての)リバイバルを提唱していることを述べた。

 奥田氏も同様に、神を信じて救われているからこそ、また、神を近くに知って、希望に溢れているからこそ、牧師になったのではなく、実際には、その逆なのだという。誰よりも神を見いだせず、誰よりも神に受け入れられておらず、救われた平安もなく、むしろ、「わが神、何ゆえ私を捨てたのですか」と、神に見捨てられた究極の絶望の叫びを魂から捨てることができないために、この悲痛な叫びを通して、今も神を模索しているというのである。そして、この叫びを共有するために、打ち捨てられた社会的弱者のもとを訪れ続けているというのである。そして、内住のキリストではなく、むしろ、社会的弱者の中に神を見いだそうとしているのである。

 これは神に救われた平安とは真逆のものであり、その根底に流れるのは、自分を見捨てた神に対する不満であり、怒りであり、恨みであると言える。だからこそ、弱者救済の思想は危険なのだ。一見、それは同情や憐れみに満ちた活動のように見えるが、その根底には、「疎外された者たちの復讐の哲学」としてのグノーシス主義が潜んでおり、真の信仰なくして、神の介入なくして、神なきヒューマニズムを掲げて、生まれながらの人類が生まれながらの人類を救済しようとする思想が横たわっている場合がある。そのような思想は必ず、罪の贖いとしてのキリストの十字架の意義を否定し、むしろ、生まれながらの罪人の中に積極的に「神」を見いだすという結論に至るのである。

<つづく>

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