忍者ブログ

私ではなくキリストⅦ(東洋からの風の便りIV)

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。Ⅱコリント4:18

大いなるバビロンへの邁進~神なきヒューマニズムとしての弱者救済の思想の危険性~己の火をつけた火事を他人の罪に帰する~

猛暑の中バビロン化した社会について述べるのも気が進まないので、本当はもっと清々しい信仰の話題について書きたかったのだが、ひとまず元のテーマに戻ろう。

まずは、沖縄、辺野古基地建設問題からである。

植草一秀氏が、政府による辺野古の工事中断について、いよいよ翁長知事の動きが怪しくなってきたとの見方を示している。


埋立承認取り消さず国と協議に談合の気配充満
2015年8月10日 (月)


沖縄県名護市で安倍政権が推進している米軍基地建設に関連して、安倍政権は8月4日、移設に関する作業を8月10日から9月9日まで1カ月間中止して、沖縄県と集中的に協議すると発表した。

この日、沖縄県知事の翁長雄志氏は記者会見を行い、辺野古埋立工事の1ヵ月中断と引き換えに、「埋立承認取り消し」を公式に棚上げした。<略>

8月5日付琉球新報は、1面トップに
「辺野古1ヵ月停止」
の大見出しを打ち、
「県と国 合意」
のサブの見出しを付けて報道した。 まるで、沖縄県が国から大きな譲歩を勝ち取ったかのような報道だが、問題の本質を取り違えた、ミスリーディングな報道である。

問題の本質は、
翁長雄志知事が、
「辺野古に基地を造らせない」
という知事選公約を実行するのかどうかである。<略>

「辺野古に基地を造らせない」
という公約を実現しようというなら、いま何よりも重要なことは、辺野古基地の本体工事着手を阻止することだ。<略>

国は沖縄県と事前協議をしなければ、本体工事に着工することができない。
この「事前協議」のための協議書が沖縄県に提出された。
これを沖縄県が受け取ってしまうと、国は本体工事に着手する条件を得てしまうことになる。

翁長知事が国による本体工事着手を阻止するには、この事前協議書を受け取ってはならなかったのである。
そのためには何が必要だったのか。
答えは明白だ。
翁長氏が仲井真前知事が出した埋め立て承認を撤回ないし取り消すことが必要不可欠なのだ。<略>

しかし、翁長知事は、いまだに埋め立て承認を撤回ないし取り消ししていない。
そして、国が提出した事前協議書を受け取ってしまったのである。

今後、1ヵ月国が工事を中断しても、その後に本体工事に着手することを阻止する最大の防御策を、翁長氏は、自ら放棄したということになる。

1ヵ月間の工事中断は、安倍政権が戦争法案を押し通す際に、沖縄の基地問題で国民世論の批判を浴びることを避けたいために取られた策である。

安倍政権の安倍政権による安倍政権のための、「目くらまし」施策に過ぎない可能性が濃厚なのだ。
沖縄が喜ぶような話ではないのである。

むしろ、原発、戦争法案という二大問題が国民世論の批判に晒されているタイミングで、沖縄が埋め立て承認の取り消しを行うことが、安倍政権を攻略する最大のチャンスであると見るべきなのだ。


国による突然の工事中断を受けて、目前まで来ていた埋立承認取消の決定が先延ばしされ、それにより翁長知事の決断を通して彼の真意を見極めるタイミングも先延ばしとなった。

この工事の中止がなければ、第三者員会の報告を受けて、8月中には翁長知事が埋立承認取り消しをするかどうか結果が出る流れになっていた。

それが先延ばしになったのは、政府の延命策であると同時に、翁長氏自身の延命策でもある可能性が考えられる。

なぜなら、8月3日に翁長氏は「国は突然、何をするか分からない」と意味深な発言をしていたからだ。それまで政府は断固、着工を目指して強硬な姿勢で猪突猛進していた。が、工事中断前に政府の態度に何か急変があるかも知れないことをあらかじめ察知しているかのような台詞を翁長氏は述べた。


翁長知事 「承認」取り消しの意向示唆 NHKニュース 8月3日 16時14分
(早くも削除されているようなのでキャッシュから)

翁長知事 「承認」取り消しの意向示唆沖縄県の翁長知事は、3日発売された週刊誌でアメリカ軍普天間基地の移設計画を巡り、仲井真前知事が行った埋め立て承認の取り扱いについて「あとはタイミングだ」と述べ、承認を取り消す意向を示唆しました。

アメリカ軍普天間基地の移設計画を巡って沖縄県の翁長知事が設置した第三者委員会は先月、仲井真前知事が行った名護市辺野古沖の埋め立て承認について、「法律が求める要件を満たさず、かしがある」という報告をまとめています。これに関連し翁長知事は3日発売された週刊誌で、埋め立て承認の取り扱いについて「取り消し以外、方向性はないのではないか」と質問されたのに対し「そうですね。あとはタイミングですね」と述べ、仲井真前知事が行った埋め立て承認を取り消す意向を示唆しました。そのうえで翁長知事は取り消す場合の判断時期について「先を見越した話は一切できないが国は、突然、何をするか分からないので、じっくり横目でにらみながら即応態勢でやっていく」と述べ、政府の対応を見極めて判断する考えを示しました。

 
翁長氏の上記の発言は、あたかも視聴者に向けて語っているように見せかけて、その実、日本政府に対する暗黙のメッセージを送っていたのではないかとの推測に立つと、とても理解しやすい。そう考えると、ダブルメッセージが込められていた可能性がある。

「日本政府殿、県側では第三者委員会の報告もあり、もうこれ以上、取消の決定のタイミングを先延ばしにできないところまで来てしまいました。このままでは、知事として今月中にも取消の決定を下さざるを得なくなります。そうすると、県民の意思が実現してしまいますがどうでしょう。お約束したように、私はあくまであなた様の対応を仰いでから決定を下すつもりでございます。そこで、お知らせしておきますが、もし今まで通りのガチンコ勝負で突き進むと、取消は避けられません。ですから、打ち合わせした一時休戦のタイミングは今しかないのではないでしょうか。」

つまり、これは承認取消のタイミングについて語っているように見せかけて、その実、取消を阻止するための政府の一時停戦戦略にゴーサインを出していた可能性があるように感じられる。

まさかそこまで深読みする必要はないだろうという人であっても、少なくとも、世論の反発を抑えるために、沖縄問題と安保法制の問題を同時にガチンコさせたくないという政府の思惑に、翁長知事が無抵抗に応じてしまったことは、政府によりチャンスを与えるだけで、安倍政権に対峙する政治家としてあるまじき譲歩であり、重大な裏切り行為の始まりなのではと批判にはうなずくだろう。


辺野古工事中断という変化球 翁長と官房長官、第二の仲井真か?
「世相を斬る」あいば達也氏

どうもキナ臭い。この情報に接した沖縄辺野古基地問題に興味のある方たちの多くが、背筋をザワッとさせたのではないだろうか?力と体力で有利な権力者と闘う時の王道は、けたぐり、はたき込み、飛んで出し投げ‥等、離れ業で勝負するものだが、翁長知事は、官邸側に一服の時間を与え、四つ相撲でじっくり勝負は、力の弱い方に有利であるわけがない。筆者には、安倍法制で非難轟々の上に、辺野古で、埋め立て取り消し訴訟でも起きようものなら、内閣支持率は軒並み低下して、20%台続出だっただけに、敵に塩を送った印象は拭えない。

政府(菅)は丁寧に説明する時間の確保であり、“辺野古しかあり得ない”という旗を振り続けているのだから、その大関横綱に、幕内力士が一歩でも相手に余裕を与えることは、得策とは言えない。植草氏の予言が当たってしまい、筆者は、お人好しのピエロとなる(笑)。しかし、翁長流の琉球人独特の王道をゆく粘り腰だと信じたいところだが、些か怪しい気配も出てきている。 (以下略)


今のままでは沖縄県民は裏切られる可能性が高いと私も考えるのは、そもそも社会的弱者の圧倒的な支持を味方に取り付けて正義の味方のように登場して来る指導者の存在そのものを大変、疑わしく感じているためであることはすでに述べた。

キリスト教界でもそうであったが、カルト被害者救済活動のような弱者救済運動のほとんどは人工的に作り出された運動であり、偽りの指導者の栄光を築き上げるために利用されるだけで、人々を真に解放することができない。被害者たちが口を揃えて言うことは、そうした指導者は決まって最初から彼らを裏切ってこっそり敵対勢力と背後で交渉し手を結んで弱者を売り渡していたということである。それがこのような救済運動のお決まりのパターンであると言って良い。そのような反対運動は敵対しているように見える双方の指導者が利益を分かち合って終わるための出来レースであり、真の解放に至らないことが約束済みなのである。

だから、真に自立するためには、特定の指導者を頼らず、弱さによる連帯をせず、それまでとは違った新しい方法で一人一人が立ち上がるしかないと私は考えている。そこで、この弱者救済の運動の盛り上がりが、人々をどこへ連れて行くのかについても、大きな疑惑を持って眺めている。

さらに、あいば氏は、安保法制を巡っては、米国の願いをかなえるために、官邸はもう後に引けないところまで来ているが、8月30日に予定されている反安倍政権大規模デモにおいて、政権と国民とが対峙し、この問題が大きな山場を迎えることに触れている。もし世論の反発に譲歩せざるを得なくなるとすれば、解散という形を取るしかないが、政治生命を考えると、その可能性は低い。長いが、一通り引用したい。


●8月30日は散歩ついでに議事堂散策 そして叫ぼう、安倍やめろ!

以下のように、日刊ゲンダイが希望的観測記事を書いている。日刊ゲンダイは、最低限度の「道義」(人が踏み行うべき、正しい道)の欠片くらい、安倍晋三や日本会議の連中に存在しているに違いない、と云う前提で、記事を書いている。鈴木哲夫も、同様の視点で、60日ルールなんて、容易に使えないだろうと考えているようだ。しかし、筆者は、安倍や日本会議の連中に、「道義」への細い糸でも残っていると考えるのは、相当に虚しい願望なのだと思う。


ただ、参議院の特別委員会の鴻池祥肇委員長が、男気を出して、採決の延長を宣言したとして、60日ルールは、菅官房長官が「粛々と法に則った手続きを開始すると言うに違いない。参議院自民党議員の多くが、「鴻池委員長、せめて参議院は採決なしに持って行ってくれ」法案を決定したの衆議院議員と云う形に持って行きたいのは、参議院与党議員らの総意である。辺野古新基地も、ただ休み時間を官邸に与えた、翁長の裏切りなのか、王道を行きたがる虚栄心なのかどうか判別できないが、単に官邸にとって都合のいい、ブレイクタイムに過ぎない。

 「戦争法案反対」のシュプレヒコールに埋め尽くされた“10万人デモ”が、「30~50万人デモ」になっても、安倍と日本会議の連中は、「戦争法案」を60日ルールに乗せるだろう。そのくらい「理」に反した「無理」な法案であることは、百も承知だろう。しかし、閣議決定でクーデターを起こした政権が、ここで「道理」「道義」を感じたら、負けなのだ。安倍はこの際、日本会議に殺されるか、米軍に殺されるか、霞が関に殺されるか、いずれにせよ「戦争法案」の廃棄は、万死が待っている。しかし、通過させれば、殺される事態は回避できる。国民の側に、そこまでの暴力性はないからだ。そして、そのように安倍が考えても不思議ではないところまで、安倍は追い込まれている。

<略>ことが此処まで進むと、悪事を成し遂げる方が、理にかなうと云う矛盾が起きるのだが、電通方式と霞が関方式の混合部隊で推進した流れには、総理の生き死にに関わるレベルになっていると云う事だ。

<略>仮に、安倍晋三が廃案方向に舵を切る時は、再度の解散総選挙に打って出る道が残されている。これは、筆者はあるのでは、と思っている。自ら廃案を決定するのはヤバイ。それを逃れる方法は、解散総選挙しか残されていはずだ。<略>

そういう意味で、8月30日のデモは「反戦争法案」の集大成として、かなりの価値がある。どこかで、筆者も議事堂を囲むデモの一員になっているだろう。国家緊急権の発動と云う禁じ手まで行かないまでも、警察法による“緊急事態の布告”なんてしないだろうが、50万に位の規模になると、小便を漏らしながら、今の官邸ならやりかねない。或る意味で、10万人オーバーくらいで、充分な国民の意志表示になるだろう。その時は、安倍政権は立ち往生、ヤケクソを起こすよりは、解散権の行使に踏み切る可能性が一番ありそうだ。ただ、安倍の考えだから、この読みに自信はない(笑)。


現在の国民による反安倍政権大規模デモの広がりを見ていると、歴史上、国民にここまで憎まれた総理はいなかったかも知れないと思えて来る。霞が関にとっても連日のデモはそれなりに恐怖感を与えるであろう。だが、官邸はだからと言ってもはや退却できないところまで追い込まれているという見方には賛成だ。退路が断たれ、国民の巨大な反発との板挟みになる中で、政府はどのような選択に出るのか。

しかも、大規模デモの行方にも十分な注意が必要である。その理由は、この日本ではそうそう考えられることではないが、あらゆるデモには長期化し、やがて暴徒化して革命にまで発展するという危険性が完全にゼロとは言えないことと、あるいはデモが暴徒化した結果、弾圧されて、より一層、厳しい統制の口実を政府に与えるという二通りの危険性がつきものだからだ。前者は前者で不幸な未来を招くし、後者はただ政府の弾圧に口実を与えるだけに終わる。
 
今、最も重要な問題は、どのようにして国民が政権を奪還し、民意を反映できるものに変えていくかということにあろう。たとえ自民党以外の政党に政治経験が乏しかったとしても、現政権に代わりうる受け皿を用意する必要がある。軍国主義の復活を願っている日本会議の支配にこの国をだねることだけは、全くもって誰も了承しておらず、民意でないことは誰の目にも明白であろう。
 
だから、政権交代をすべて平和的手段で合法的に成し遂げるための準備を進めて行くことが必要である。その時、デモがその妨げになるのか、助けになるのか、これも注目される。21世紀なりのスマートな方法で、しかも、政敵の急所をつく戦略が必要となろう。繰り返しになるが、自民党の憲法改正案を見てもわかるように、政府が目指しているのは、国家が国民に対して無制限の権力を有する戒厳令下の国家である。だから、デモの暴徒化が万一起こった場合、それは政府による国民弾圧に格好の口実を与える。同時に、仮定の話だが、もし日比谷公園や議事堂前デモを革命に発展させたとしても、そんな方法では民主主義的政権はできないし、それでは現行の政府が目指しているのと同じ恐ろしい結果にしか行き着かないだろう。
 
もしここでこれほどの反対運動の高まりがあったにも関わらず、それが一過性のお祭り騒ぎのような盛り上がりで終わってしまい、自民党政権を真に退陣に追い込むことに失敗すれば、以前よりもはるかに厳しい言論統制を伴う冬の時代がその後に到来するかもしれないことを国民は覚悟しなければならない。退路がないのは政権も国民も同じである。現政権が長ひけば長引くほど、弾圧と反発がいたちごっこのように繰り返され、嘘と陰謀もより深化し、反対も地下運動化したりして、ただ政情不安定な国へ転落していくことにもなりかねない。
 
政権を早期に断固、国民の手に奪還し、民意を反映さける仕組みを作ることがどんなに重要であるかは説明できない。もしそれに失敗すれば、その間に敵はさらに強化する。一度退陣した安倍政権が、民主党政権後に二度目に政権にかえり咲いた時には前よりも強硬になっていたように、また、かつての学生運動の失敗が大学当局の硬化や、大学の自治のさらなる死滅をもたらしたように、中途半端な反対はかえって政敵を強化するものであることを覚えておくべきだろう。善意の説得など通じる相手ではない。民意をいかにくじき、いかに自由を求める人々の自主的な運動を人工的なものにすり替え、人々を欺いて運動を潰して行くかについては、長年に渡り、戦略が編み出されて来た。どうしようもないほどに稚拙な議論の繰り返しにより真面目な人々を意気阻喪させるのも戦略の一つである。議論するように見せかけて時間が許す限り話を引き伸ばし、騙し、はぐらかし、あるいは脅しつけるのが向こうの狙いである。

それでも、憲法の平和主義を掲げるならば、卑劣な方法にも最後まで平和的手段で立ち向かわなければならない。それにより、完全に政敵に打ち勝ち、新たな体制を形作るところまで辿りつかなければならないのだ。悪魔は手段を選ぶ必要がないので常に戦略にことかかないものだが、立ち向かう側はどうなのか? 単に義憤だけを武器として反対を叫ぶのでなく、目的に至るまでの道筋が見えているのだろうか?




話が変わるようだが、今日から川内原発再稼働だという。広島と長崎の原爆投下の悲しい記念日の直後、8月11日午前11時に再稼働というのがまさか偶然のはずもあるまい。原爆投下と原発再稼働は一見、無関係なように見えて、背後に宗主国から属国への恐るべきジェノサイドの悪意があることを、私はこの日付を見ても感じざるを得ない。

「マスコミに載らない海外記事」に長崎への原爆投下について興味深い記事が掲載されている。読んでしばらく、言葉を失ってしまった。これほどあからさまに原爆投下を「キリスト教徒によるキリスト教徒の殺害」という構図でとらえた論説をこれまでに読んだことがなかったからだ。原爆投下が終戦に役立たなかったことや、人体実験であったことなども詳細に書かれているが、今は一部のみ引用させていただく。


「長崎原爆投下70周年 : 教会と国家にとって歓迎されざる真実」

Dr. Gary G. Kohls Global Research

2015年8月4日

70年前、(19458月9日) 全員キリスト教徒の爆撃機乗組員が、“ファットマン”、プルトニウム原爆を、日本の長崎に投下し、何万人もの無辜の一般市民を瞬時に殲滅させたが、彼等の中でも不釣り合いなほど多数が日本人キリスト教徒だった。この爆発は、更に、キリスト教徒以外の無数の犠牲者達に、爆発や、とてつもない熱や、放射能によって致命傷を負わせた。

1945年、アメリカは、世界でも最もキリスト教徒の国(つまり、目には目をという報復の支持者で、他国を軍事的、経済的に搾取するアメリカを教会が支持し、山上の垂訓として教えられているイエスの倫理を、心から、教えたり、忠実に守ったりしそこねている国を、キリスト教と呼べるとすればだが)だった。

皮肉なことに、午前11:02に、浦上天主堂上空で原爆が爆発するまで、長崎は、日本最大のキリスト教都市だった浦上天主堂は、東アジア最大のキリスト教大聖堂だった。

<中略>

キリストの名において、キリスト教徒を殺害するキリスト教徒

9300メートル上空から確認可能な、長崎に二つしかない陸標の一つ(もう一つは、連合諸国の海上封鎖の為、原材料も不足していた、三菱の兵器工場複合体)である巨大な天主堂が、ファット・マン原爆の爆心地となったのは皮肉の極みだ。

午前11:02、木曜朝ミサのさなか、何百人もの長崎キリスト教徒はゆだり、蒸発し、炭化し、あるいは天主堂上空500メートルで爆発した、焼けつく放射能の火の玉へと消えた。間もなくきのこ雲から降った黒い雨が、多数の長崎の神道信者、仏教徒やキリスト教徒の入り交じった亡骸を包んだ。長崎の黒い雨の神学的含意は、あらゆる宗派の神学者達の心をひるませるに違いない。

長崎キリスト教信者の死者数

大半の長崎のキリスト教徒は、爆破から生き残れなかった。ゆるしの告解に出席していた全員を含め、6,000人が即死した。12,000人の教会員のうち、8,500人が原爆の結果として亡くなった。他の多くの人々も極めて致死的な全く新しい病気になった。放射能疾患だ。
近隣にあった三つの女子修道院と、キリスト教女学校が、黒煙となって消滅するか、炭の塊と化した。何万人もの無辜のキリスト教信者ではない人々も即死し、更に多くの人々が、致命傷を負ったり、治療もできないほど負傷したりした。犠牲者の子孫の中には致命的なプルトニウムや、原爆が生み出した他の放射性同位元素によって引き起こされる、継代悪性腫瘍や、免疫不全を患っている。

ここで、本記事の重要点の一つをあげよう。日本の帝国主義政権が、200年間にわたる迫害でできなかったことを(日本キリスト教の破壊)、アメリカのキリスト教徒は、数秒でなし遂げたのだ。

第二次世界大戦以来の数十年間で、キリスト教が、ゆっくりと復興した今でも、日本人教会信者数は、総人口のわずか1%というものでしかなく、キリスト教礼拝への平均出席者は、わずか30人と報じられている。戦争末期における長崎の絶滅が、一時は活気に満ちていた教会を、損なってしまったことは確実だ。 (以下略)


読んでいて空恐ろしい感覚になってくる。まさか、まさか、特別にクリスチャンに狙いを定めるために長崎を選んだというのではあるまい? 

2009年当時、すでに述べたように、私の知っている限り、キリスト教界からエクソダスせよと呼びかけに応じて、キリスト教界の腐敗と手を切り、真理に基づく真の自由な信仰と交わりを求めるクリスチャンが出現していた。こうしたクリスチャンが当時は多数、各地に存在し、それぞれに真の信仰を求めて模索し、連帯も生まれていたのである。

だが、こうした真の信仰を求める人々の気運の盛り上がりは、ペンテコステ運動など米国からもたらされた異常なキリスト教運動に染まった(自称)クリスチャンたちの嘘や、裏切りや、告発や、偽の被害者救済活動などによって、あらぬ方向へ誘導され、打撃を受け、壊滅させられていった。

クリスチャンが本気で神に向かい、自由になろうと模索する度に、宗主国を発信源とする何らかの影響力により、自称クリスチャンによるクリスチャンへの迫害がもたらされ、真に神に向かう人々が意気阻喪させられ、その試みが壊滅させられてい ったのである。その有様が、あたかも原爆投下という歴史上の出来事にまで重なって見えるようであった。、

そんなこんなの出来事のせいもあってか、日本の総人口の1%に過ぎない教会は、まるで共産主義国にある見せかけの教会と同じように、すっかり生気の抜けた、毒にも薬にもならない見かけ倒しの代物として、申し訳程度に存続しているに過ぎない。そんな生気の抜けた偽物しか残さない、いや、戦争さえも是とする宗主国公認の偽りの教会しか残さないことが、きっと宗主国の望み通りの公式路線だったのであろう。一体、米国のキリスト教とは何なのだろうかと思わされる。クリスチャンを名乗る人々が、聖書に背き、生きた信仰者を焼き殺してでも、真に自主的に活動する自由な教会が生まれる前に、教会とクリスチャンを絶滅させようとする、理解しがたい憎悪、怨念の繰り返しがあることを感じざるを得ない。これは以下で書くネロの精神にも何かしらつながるように思われる。

だが、同時に、日本の読者から大ひんしゅくを買ったというWSJの「原爆投下を神に感謝」にもよく表れているように、実は米国にも、このような暴挙に対する無意識の良心の疼きがずっと存在してきたのだと言える。上記の記事は罪悪感の裏返しである。たとえ無意識であるにせよ、拭い去れない罪悪感に苛まれていればこそ、こんなに年月が経っても、彼らは自ら引き起こした悪夢を忘れることができず、何とか理由をつけては、自分たちは正しいことをしたのだと自分に言い聞かせ続けねば、心が落ち着かず、この日をやり過ごせないのであろう。自らの罪悪感から目を背け、これを弱い者の罪に転嫁し、自分たちの罪を正当化するために、核の脅威でいつまでも日本を脅し続けることが宗主国の願いなのであり、再稼働もその延長線上にあるものではないかと思われてならない。

私は考えるのだが、原発推進•再稼働政策は、まさか日本政府だけが独自に決めた政策ではあるまい。大体、日本政府が独自に決めた政策など果たしてあるものかどうか。3.11以後も原発を日本の基本電源にしようとする日本の原発推進政策は、日本政府だけの願いというより、そもそも米国の強い要請なのではないだろうか。巷でよく言われているように、米国のみならず、ロシアも新興国を中心に原発輸出に積極姿勢であるが、原発推進は、大国が新興国などを属国支配する際に欠かせない手段なのだと見るのが自然ではないかと思う。

宗主国は属国に対して、クリーンで安全なエネルギー政策のために技術を提供すると謳って、国内では世論が背を向け不採算部門となっているような産業技術を新興国に高く売りつける。莫大なコストのかかる巨大なプロジェクトは、引き受けた企業をそれに依存させて意のままに操ることができる点でも支配の手段になりうる。さらにそれは暗黙の「核のボタン」としての役割をも果たしてくれるのだから、宗主国は、原発輸出を成し遂げれば、受け入れた国の生殺与奪の権を握ったも同然である。むろん、日本政府もこれを他の国にやりたいのである。

日本の原発輸出、なぜ推進するの?
THE PAGE 2014.04.25 09:00 から抜粋

日本の原発メーカー各社は、もともと米国企業からの技術導入で事業をスタートさせていますこのうち、三菱はウェスチングハウス社から、東芝と日立は、GE(ゼネラル・エレクトリック)社からそれぞれ技術提供を受けました。現在では米国メーカーと日本メーカーの力関係はほぼ対等となり、東芝は逆にウェスチングハウスを買収するまでになっています。日米には、三菱、東芝ウェスチングハウスグループ、日立、GEの4大メーカーが存在しているわけですが、これにフランスのアレバ社を含めた5社が世界の原発市場における主な事業者となっています。

最近では、ウェスチングハウスから技術提供を受けた韓国メーカーや、ロシアのメーカーがかなりの安値で市場に参入してきています。GEは原発の輸出にそれほど積極的ではありませんから、日本勢と韓国勢、そしてロシア勢が主に受注を争う状況となっています。


このように見ると、原発再稼働はまさか電力供給のために不可欠な措置などではなく、いつでも宗主国が属国にジェノサイドを実行できるぞという脅しなのだと見る方がはるかに自然で納得が行く。そのような脅しと悪意が真の目的でなければ、なぜ電力不足という仮初めの大義名分さえ存在しない時に、これほどまでに故意に民意を踏みにじってまでそれを強行する必要があろうか。これは日本国民の尊厳をわざと傷つけ、貶め、悪しきものと手を切って自由になろうとする人々の心をくじき、意気阻喪させ、心理的に疲弊させ、いつまでも核の恐怖の中に閉じ込めるために行なわれている心理作戦であり、さらにそこには、今更、戦時中の過去の恨みつらみを述べるなよという暗黙の脅しも込められているように感じられる。少なくとも、電力不足という大義名分さえ消失しているのだから、いい加減、再稼働の真の目的は、電力供給などには全くないということに気づくべきだろう。

ここで少しオウム真理教の事件を思い出してみたい。オウムが省庁制を取っていたことを覚えておられるだろうか。また、野菜栽培に使う農薬の製造だと言ってサリン工場を作っていたことを覚えておられるだろうか。両者の製造過程は途中までよく似ていたので、平和利用に見せかけて教団はサリン製造に従事していたのだ。

それから世紀をまたいで、もし当時、あのカルト団体の背後にいた勢力が今も存続していると仮定すれば、その勢力は学ばなかったろうか。わざわざ世間に怪しまれるような新興宗教団体を新しく作り、教祖の下に疑似政府を作るという二度手間に比べれば、本物の霞が関を乗っ取って望む人物を首相に据えた方が話がはるかに早いのにと。農薬に見せかけてちっぽけなサリン工場を作るよりも、平和なエネルギー政策に見せかけて原発を推進する方がはるかに効率が良く、プルトニウムは平和利用と言いながら、いざという時に核兵器の製造にも転用できるので、それがあるだけで核保有に近づく。地下鉄でサリンをまくという小規模な事件のために犯罪者として人生を投げ打ち、教団そのものもその事件で終焉を迎えるという愚かさに比べれば、政府の公式の施策として、「食べて応援」を大々的に推進することで汚染を全国に流布し、特に首都の企業や霞が関には念入りに被災地直産の食材を送りつけておけば、誰からも非難されず、合法的に望みを成し遂げられる。宗教団体に見せかけて外国で武器を非合法に買い付ける危険を冒すことに比べれば、政府を通して正式に武器取引ができるように法改正した方がはるかに効率が良いだろう。

つまり、かつて破壊的カルト団体が人の目を盗んでこっそり準備していたことを、今や政府を乗っ取った日本会議(やその背後にある勢力)が白昼堂々、政府を動かして合法的に公に行っているのだと思えば、非常に分かりやすい。

その上、中国脅威論だの、ロシア脅威論だのと、新たな「脅威」が追加されていくが、お聞きしますが、あなた方が本当に目指しているのは、結局、自国民を敵として殲滅するための人工的なハルマゲドンではないのでしょうね? 米国が中心となって「レフト・ビハインド」の物語を具現化する予定でないでしょうね?

首相の好きな火事のたとえを聞くたびに、思い起こされるのは皇帝ネロの所業である。ネロはローマ帝国による最初のキリスト教徒の大迫害を行った。64年、ローマで大火が起こった。それがどういう原因による火事であったのか、果たして、よく言われるように、ネロが大火をつまらない詩を作るための生きた題材にするために自分で火をつけたのか、あるいは、他の理由から、皇帝自身が謀略として火を放ったのか、原因は定かではない。いずれにせよ、皇帝は出火原因をキリスト教徒の罪になすりつけることに決めた。そこで、クリスチャンに対する大々的なネガティヴ・キャンペーンを行い、それまで世間に知られていなかったキリスト教徒の信仰生活について事実をゆがめた偽の情報を流布し、クリスチャンは人間の生き血を吸い、生肉を食らう野獣のごとき人々であるとの偏見を世間に植えつけ、非クリスチャンの敵愾心を呼び起こし、密告を助長した。ネロは捕らえたキリスト教徒を十分な裁判なしに死刑に処し、猛獣の餌にしたり、十字架にかけたり、松明代わりに燃やすという残酷な方法で処刑した。この大迫害により、使徒ペテロ、パウロも殉教したのだと言われている。

今、何かしら、キリスト教徒を生きたまま焼き殺したネロの精神が、時代を超えてよみがえり、いや、今日まで連綿と続いて、様々な事象の背後に見え隠れしているように思われてならない。政府が真の脅威とみなしているのが、中国やロシアということはあるまい。政府はこの国民をこそ最大の脅威とみなし、粛清することを真の目的としているように思われてならない。なぜなら、国民は政府の罪を知っているからだ。むろん、米国についても同じである。彼らが真に排除したいのは、まさか口で唱えているような「外敵」の脅威ではあるまい。真の目的は、それを口実にして自国民を抑圧し、迫害し、決して自由にさせないことにあるのだ。民意をくじき、わざと大勢の人の嫌がることばかりやって、精神的に疲弊させることも戦略の一つなのである。

もし黙って見ていれば、今、あたかも国外に敵がいるかのように叫んでいる人々が、いずれ何かの事件を起こすために自分の手で最初の火をつけるだろう。そのようにして先の大戦も始まったわけだ。その後、火が燃え上がり、もはや火事を制しきれなくなった彼らは、自ら犯した罪を弱い者に転嫁するために、必ず銃口を国民の胸に向けて来る日が来るだろう。そんなことが起きると分かっていて、誰が成就を許すことができると思いますか。

「もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。

 しもべは主人にまさるものではない、とわたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害します。もし彼らがわたしのことばを守ったなら、あなたがたのことばをも守ります。

 しかし彼らは、わたしの名のゆえに、あなたがたに対してそれらのことをみな行ないます。それは彼らがわたしを遣わした方を知らないからです。<略>

 私を憎んでいる者は、わたしの父をも憎んでいるのです。

 もしわたしが、ほかのだれも行なったことのないわざを、彼らの間で行わなかったのなら、彼らには罪がなかったでしょう。しかし今、彼らはわたしをも、わたしの父をも見て、そのうえで憎んだのです。
 これは、『彼らは理由なしにわたしを憎んだ。』と彼らの律法に書かれていることばが成就するためなのです。」(ヨハネ15:18-25)
 



さて、今日は最後に、歴史の教訓として、ユーロマイダンの実例を少し振り返って終わりたい。

以下の記事でウクライナの政変に少しだけ触れた。かの地では長年かけて「自分たちはロシアに抑圧されて苦しめられてきた被害者であり、弱者だ」という思想が広がった結果、脱ロシア化を成し遂げ、ヨーロッパに接近さえすれば、あらゆる問題が解決に向かい、自分たちが解放されるかのような誤った思想が流布されてきた。だが、こうした脱ロシア化の運動は、本当は、ウクライナの民主化や自立のために起こされたのではなく、彼らを前より悪いさらなる隷従へと導くために、周到に用意されたクーデターへの布石であった。

2013年11月末、キエフでヤヌコーヴィチ政権に反対する市民の大規模デモが始まった。少なくとも、当初は、マイダンの市民デモは平和的なものであった。デモが暴徒化し、マイダンが火に包まれるほどの混乱に至るまでの間、約1か月近くが経過している。この暴徒化は(米欧の支援を受けて)平和なデモ隊の中に計画的に送り込まれたプロ市民、特にナチスと酷似したシンボルを公然と掲げるウクライナ社会民族党を前身とする「スヴォボーダ」などネオナチ極右政党による計画的な仕業だと言われている。いつどのようにデモを煽って暴徒化し、政府の庁舎を占拠すべきか、事前に作戦行動の手順を定めたメモが発見されたという情報もあった。

暴徒化したデモ隊により政府の庁舎が占拠されたのは、2014年1月に入ってからのことである。たとえば、ウクライナ農業政策食糧省の庁舎は、同省のプレスリリースによると、2014年1月24日にデモ隊に占拠された。同月30日に暴徒は破壊した庁舎を明け渡したが、それは単に建物が解放されただけのことであって、本当の占拠、つまり、ネオナチ極右政党支持者らによる政権の奪取というクーデターはほぼ完了していたと見られる。

   

左:農業政策食糧省の庁舎 右:デモ隊により占拠され、破壊された同省の庁舎
(写真の出典はウクライナ農業政策食糧省のサイトより)

というのも、同省のサイトによると、翌2月26日にはまだプリシャジニュク農相が食糧危機問題についてインタビューに答えているが、その翌日の27日には、何の前触れもなく、突然、シュヴァイク氏が農相に就任したとのニュースが発表される。そこには、新大臣就任の理由として、ウクライナ中央議会の決定という他、何の説明もなかった。

   
左:プリシャジニュク氏(元農業政策食糧相) 右:後任のシュヴァイク氏
(出典は同上)
 
インテリらしいプリシャジニュク氏の風貌に比べ、シュヴイク氏はとても政治家には見えず、どちらかと言えば粗野で、大学卒業間近の学生ような幼い顔立ちに驚かされるが、シュヴァイク氏は経歴の上でも、民間の法律事務所の経営等があるのみで、「スヴォボーダ」党での活動以外に、政治家らしい活動歴が全くなかった。農業政策に従事した経験など一切ない。どこからどう見ても、受勲者でもある熟練した前任者を押しのけて、いきなり農相に抜擢されるにふさわしい人物ではなかった。

(さすがにシュヴァイク氏に農相はつとまらなかったのだろう。Wikipedia によると、その後、同氏は2014年7月に500人以上の農民に辞任を求める運動を起こされた上、早くも同年12月で辞任。今夏には在任中の収賄の容疑で刑事告訴された。)

だから、こうしたことはどんなに普通のニュースのように同省のプレスリリースに発表されていようと、読者には、前大臣の首がすげかえられた時点で、同省の歴史の連続性は絶たれ、省全体が全く違う政治勢力に乗っ取られたのだと分かる。ほどなくして、同省のホームページからロシア語版も消えて、ウクライナ語のみとなった。

同じ頃、ウクライナ中央議会に何が起きていたかを見てみると、議長ルィバク氏は、旧暦のクリスマス休暇中の1月8日にはまだヤヌコーヴィチ大統領や、アザロフ首相らと共にペチェルスカ修道院を参拝していた(写真左下)。デモの高まりの中でも、同月半ばまでは議会はほぼ通常通りの仕事をしていた様子が見受けられる。

マイダンの民主化運動に見せかけたネオナチ極右政権のクーデターが完成したのは2月22日、中央議会議長ルィバク氏が辞任(21日)、トゥルチノフ氏が議長に就任し、「(ヤヌコーヴィチ)政権は恥ずべき終焉を迎えた」と宣言。以下の写真で、元議長のルィバク氏の風貌と、どう見てもマフィアにしか見えないトゥルチノフ氏をよく見比べてほしい。

Wikipediaによると、ルィバク氏は、21日にユーロマイダン支持者によって暴行を受け、車に向かって銃で発砲されており、22日にはマイダンの暴徒を逃れてヤヌコーヴィチ大統領がキエフを脱出した。28日にはアザロフ首相も辞任。

この時に発表された法令等を細かく見ていないが、すでに22日の時点で、ファシズムの犯罪を否定したり、それを正当化する意見表明を行うことに対し責任を問うウクライナ刑法の規定を廃止する改正法案が議会に出されていたことも注目に値する。
    
  
写真上 下左)元中央議会議長ルィバク氏 右下)トゥルチノフ氏
(写真の出典:ウクライナ中央議会のサイト

アザロフ元首相の後任となったヤツェニューク氏についても、あまりにも若く、とてもではないが熟練した政治家という風貌ではない。アザロフ元首相に比べると、まるで教師と生徒のようである。こういう人々がたった2ヶ月程度のデモと政変の結果、政権トップの座に就くことができたのは、決して彼らの功績によるのではなかった。まるで人形劇である。だが、その2ヶ月程度で起きた政変のために国が内戦状態に陥ったのである。この結果をもたらすために、彼らとそれを背後で支える勢力は、長年かけてウクライナ人の中でロシアへの嫌悪感を煽り、「ウクライナはロシアに虐げられた弱者」であると主張する偽の人工的な民主化運動を育て上げ、ウクライナの支配勢力をすげかえる政変のために利用したのである。

Wikipediaのヤツェニューク氏の経歴では、彼がかねてからライス氏やオバマ氏など米国政府要人と密接なつながりがあったことが隠し立てなく誇示されている。

  

写真左:アザロフ元首相 Wikipediaより 右)ヤツェニューク首相 AFPニュースより

 
(写真 ヤツェニューク氏と米国との密接なつながり Wikipediaより)

PR