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私ではなくキリストⅦ(東洋からの風の便りIV)

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。Ⅱコリント4:18

主が地の面に雨を降らせる日まで 壺の粉は尽きることなく 瓶の油はなくならない。

「アブラムは、妻と共に、すべての持ち物を携え、エジプトを出て再びネゲブ地方へ上った。ロトも一緒であった。アブラムは非常に多くの家畜や金銀を持っていた。ネゲブ地方から更に、ベテルに向かって旅を続け、ベテルとアイとの間の、以前に天幕を張った所まで来た。そこは、彼が最初に祭壇を築いて、主の御名を呼んだ場所であった。

アブラムと共に旅をしていたロトもまた、羊や牛の群れを飼い、たくさんの天幕を持っていた。その土地は、彼らが一緒に住むには十分ではなかった。彼らの財産が多すぎたから、一緒に住むことができなかったのである。

アブラムの家畜を飼う者たちと、ロトの家畜を飼う者たちとの間に争いが起きた。そのころ、その地方にはカナン人もペリジ人も住んでいた。

アブラムはロトに言った。「わたしたちは親類どうしだ。わたしとあなたの間ではもちろん、お互いの羊飼いの間でも争うのはやめよう。あなたの前には幾らでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう。」

ロトが目を上げて眺めると、ヨルダン川流域の低地一帯は、主がソドムとゴモラを滅ぼす前であったので、ツォアルに至るまで、主の園のように、エジプトの国のように、見渡すかぎりよく潤っていた。

ロトはヨルダン川流域の低地一帯を選んで、東へ移って行った。こうして彼らは、左右に別れた。アブラムはカナン地方に住み、ロトは低地の町々に住んだが、彼はソドムまで天幕を移した。ソドムの住民は邪悪で、主に対して多くの罪を犯していた。

主は、ロトが別れて行った後、アブラムに言われた。「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。


アブラムは天幕を移し、ヘブロンにあるマムレの樫の木のところに来て住み、そこに主のために祭壇を築いた。」(創世記 13:1-18)


* * *

検察庁の人事介入法案の今国会での強行採決は見送られたが、廃案になるまで予断を許さない状況にある。政府与党はあくまで秋の臨時国会で成立を目指すとしているからだ。

そこには、今回は国民がコロナ禍でステイホームしていたからこそ、この法案に対する反発も起きたのであり、緊急事態宣言が全国で解除されて、再び、経済活動が盛り上がり、多くの人々が労働に時間を費やせば、ツイッターなど投稿している暇もなくなるだろうから、この法案への反発も、あっけなく忘れ去れるだろうとの思惑が見て取れる。

要するに、そこまで国民は侮られているということだ。緊急事態宣言が解除されれば、「休ませてやったんだから、働け!」とばかりに、締めつけが強化される事業もあろうし、もしくは、倒産や解雇によって明日をも知れない立場になった人々は、もはや法案どころではなくなる、という考えがあるに違いない。

しかしながら、今回、安倍政権に対して多くの人々が抱いた嫌悪感・悪印象は、そう簡単には変わらないだろう。また、この先、コロナ禍で弱者が切り捨てられれば切り捨てられるほど、ますます政権与党に対する反発は強まるだろうと思う。

ところで、検察庁OBの迫力ある意見書もさることながら、以下の記事の解説も面白かった。

検察OB意見書が引用したジョン・ロックの訳者は安倍首相の大学時代の教授! しかも「無知で無恥」と安倍首相を徹底批判 (LITERA 2020.5.18)

今回、国会で政権与党が強行採決に及ぼうとしていた法案は、首相に対する刑事告発の動きに先手を打ったものだとも言われる。
 
桜を見る会巡り首相を刑事告発へ 弁護士ら500人以上(朝日新聞 2020.5.16)

窮地に追い込まれた安倍首相…法曹界500人に告発される危機(朝鮮日報 2020.5.18)

弁護士や法曹界の500人もが、現職首相に対する告発状を提出するなど、前代未聞の事態だ。これまで解釈改憲など、禁じ手を使っては、法の趣旨を次々と捻じ曲げて来た安倍政権に対する危機感と反発が、これまでになく世論において高まったことそれ自体は歓迎すべきだ。

だが、次の記事を読む限り、首相が現職であり続ける限り、刑事裁判において起訴される見込みは薄いという。

ところで日本の首相は「弾劾」できるのか(Yahoo!ニュース板東太郎2019.12.19)

法曹界の人々は、当然ながらこういった事情は承知の上で、刑事告発に踏み切ったのであろうが、重要なのは、人数の多さではなく、どのくらいその訴えに勝算があるかだ。

感情論や、美的修辞だけでは、魑魅魍魎には勝てない。着実に退任までの道筋を思い描けるようでなければだめなのだ。しかも、今や行政と一体化したような首相をである。

首相は在職中でも、逮捕されること自体は有り得ると上記の記事は告げている。今回の告発は、世論の反発の高まりにより、首相を退任に追い込み、その後で、起訴へと持ち込みたい、という思惑に基づいてだろうか。

鍵を握っているのは、法曹界の人々ではなく、国民だ。首相を退任に追い込むほどの世論の動きがなければ、何事も始まらない。 喉元過ぎれば…では、この国は壊滅状態に陥る。国民は分断されないでいられるか。注目である。

* * *

コロナ禍が過ぎれば、労働市場においては、さらに厳しい淘汰が始まると筆者は見ている。奈落に向かって沈没している日本経済を立て直すことは、国民の総力を挙げたインパール作戦のようになるだろう。

第二次補正予算案に関連するニュースの中には、国民への再度の一律10万円の給付は含まれていない。かえって、企業への家賃補助、雇用調整助成金の引き上げと、企業に対する支援策だけが並ぶ。コロナ禍を生き残った企業だけを助けたい、という思惑が見て取れる。

さらに、二次補正予算案に組み込まれる予定というみなし失業の問題についても、あくまで雇用されている従業員だけが対象だという。

しかしながら、休業補償を給付金で支給するという形にすれば、あまりにも多くの問題が生じることが予想される。

1.政府から休業者への直接給付が行われる際、給与と給付金との二重取りの不正をどうやって防ぐのか対策がない(=不正の温床となる恐れ)。
2.雇用保険に加入していないアルバイトもオンライン申請可能という状況では、雇用もされてない架空の人物が請求することも可能となる(給付金目当ての詐欺的申請が殺到)。
3.そもそも雇用調整助成金を申請せず、雇用保険もなしに労働者を雇うような企業が、労働者から要望があったからと言って休業証明書をすんなり出してくれるのか(ブラック企業に雇用されている従業員は依然、対象外となる恐れ。)
4.企業から労働者に休業手当が払われた場合には税金と保険が控除されるが、給付として支給される場合には控除がないので、企業がまっとうに休業補償を行った場合よりも、給付金の方が多くもらえるという矛盾が生じかねない。
5.企業が助成金を申請したが、手続きが遅く、給付を受けるまでが長いので、その間に、労働者が先に休業給付金を受けとろうと申請し、事後になって清算が必要となるケース(これも二重取りのようなもの)に対策がない。
6.なぜ失業者には雇用保険や貸付制度しか用意せず、休業者だけには手厚い保護をするのか。緊急事態宣言が解除されるまでの期間については、失業者と休業者を同等に扱うべきであろう。 

すでに政府が用意している企業のコロナ対策としての雇用調整助成金においても、企業が助成金を懐に入れて従業員に渡さないなどの問題をどう解決するのかという対策がない。

その上、最も救済すべき弱者を見殺しにしたまま、またも新たに不正の温床となりかねない制度を創設するのか?

こうした施策を見ている限り、政府は、労働人口しか「生きた人間」と見ていないのではないかと見られる。倒産した企業は補償の対象外。失業した国民も補償の対象外。働けなくなった人々は、死者と同じで、国家のお荷物として見られ、ただ政府に税金をおさめるために働き続ける余力が残っている人々だけが、「生きた人間」として換算され、支援の対象とされる。

このような考えは、まさに強い企業と、強い労働者だけを勝ち残らせるためのインパール作戦としか見えない。

しかし、それも 日本型雇用における過酷な就職戦争が行き着くところまで行き着いた結果なのだ。

もちろん、その作戦では、強い者も含めて、誰一人生き残ることはできない。ムラ社会としての側面が会社から消え去る代わりに、過去な成果主義による競争が始まるだけだ。

コロナ禍が始まった頃、首相が第三次大戦を口にしたことを覚えているだろうか。過去の東京オリンピックも、日中戦争がきっかけとなり、幻に終わったが、今始まっているのは、誰が労働市場において最後まで淘汰されずに生き延びるかという過酷な見えない戦争であるように思われる。

政府は「お国のために働く者だけに価値がある」として、強い者だけを強め、弱い者を搾取して犠牲にしながら、誰も生き残れない戦争を展開しているようにしか見えない。そこにあるのは、強い者だけが生き延びるに値するという淘汰の思想である。

そんな中で、私たちが目指すべき目的は何か。

アウシュヴィッツのガス室行きの列車をできるだけ早いうちに降りることだろう。

収容所の前で、「右」「左」と言われねばならない立場を抜け出ることだ。

アウシュヴィッツでも、労働に値しないと見なされた人々は、ただちにガス室送りとなったが、労働に値すると言われた人々も、誰一人、「自由」など手にしなかったのである。

自由とは、囚人労働を終えること、アウシュヴィッツの外に釈放されることにこそあった。

労働すなわち「密室」なのである。

* * *

最近、筆者は自分よりも弱い者に対しては、自分の持っている武器を行使しないことに決めた。

武士は刀を使うためでなく、使わないために携帯している。

ある人が「裁判という伝家の宝刀を使えないのは苦しい。まるで債務者が神様になっている」と、愚痴をこぼした。

それを思い出し、筆者も、筆者にとっての「債権回収」を行うに当たり、自分にとって最も価値ある武器を封印することに決めた。手元に竹槍しかなくとも、そういう武器しか持っていない相手には、同じ武器しか使わないことに決めたのである。

だが、その竹槍も、ゴリアテを倒したダビデの石つぶてのように、神が信仰によって強めて下さる。

筆者はある時期まで、法律を尊重し、法律の守り手である裁判所にも、非常な敬意を持ち、そこにこそ、筆者のために行使されるべき最後のなけなしの正義が眠っているように考えていた。

もちろん、そういう側面は、裁判所には大いにあるだろう。裁判を受ける権利は誰でも持っているし、裁判所は追い詰められた市民のために正しい裁きをなすべきである。

だが、筆者は、自分のための最後の静かな一区画が法廷の中に保たれなくなり、法廷の外に立って扉を叩くという立ち位置に置かれたのを機に、地上のいかなる場所であろうと、そこが筆者のために残された最後の神聖な場所であるかのような考えを捨てた。

そして、地上の裁判所に対して持っていた思い入れを、天の法廷に取り変えるため、手放すこととしたのである。

それに伴い、地上のすべての場所は、そこを占めたいと考えている人々に譲ることにした。

そうこうしているうちに、コロナウィルスが従来の口頭弁論のあり方も変えてしまった。2025年には、紛争当事者は裁判所へ足を運ぶ必要さえなくなるという発表もある。

それを聞くと、ますます、この地上では、家であろうと、法廷であろうと、職場であろうと、教会であろうと、他のいかなる場所であろうと、大勢の人々が一か所に集まり合うことで、自己同一性を確認し、同じ思いを共有し、言葉を述べあって、互いを確認するというコミュニケーションが、終わりを迎えつつあると感じた。

あの衝立で囲まれた小さな一区画――それが筆者と地上の法廷との最後の接点のであり、そこで宣言された宣告――それが、おそらく地上における筆者と法廷との最後の出会いだったのではないか。

それ以後、目で見て、耳で聞き、感覚的に相手を確かめることにより、物事の真相を見極めようとする手法が、徐々に廃れて行っただけでなく、ついには中止(消滅)にまで追い込まれたのだ。

だが、それはとても良いことである。

裁判官はしょせん人間であって、神ではない。地上の裁きに100%の正しさは有り得ない。不完全と分かっているものの中にとどまっていれば、それはやがて「密室」化する。

あの時に一堂に会した人々が掴みかけた何かの完成、神聖で厳かな争いの終結宣言――本当は、その時、すべてが終わっていたのである。

そんなこともあって、終わっているはずのものを引き延ばそうとしても、無駄なのだ。それはつまり、人間と人間とが一堂に会し、互いに目で見えるところでコミュニケーションを取り合い、五感によって、真実を確かめ、それに至ろうという考えは、すべて終わったことを意味する。

筆者は、追い詰められていた時には、ほんのわずかでも、自分に助けの手を差し伸べてくれる人間には、多大なる感謝の言葉を述べて、恩義を感じたものだが、決して、その人自身や、その出来事が起きた場所に、正しさがあるわけではない。

見える帰属先によすがを見いだす生き方そのものを、放棄する頃合である。

アブラハムはロトと土地を分けたとき、肥沃なソドムの土地をロトに譲って、自分は残された土地を所有した。

アブラハムはロトに対して目上の立場にあったにも関わらず、自分が得をする選択をしなかった。

このことはキリスト者の生き方において、極めて重大なことであるように思われる。

自分が損をするように振る舞えば良いと言うのではない。

アブラハムは、神ご自身がそうであるように、他人の心の自由を尊重し、決してそれを妨げる行動をしなかった。また、他人の意思を曲げて、人を押しのけてまで、自分がこの世における富を得て、自分が有利になるよう行動することがなかった。

アブラハムは、ソドムの地を失った時点で、この世においては、敗北者に見えたかも知れない。

だが、神は、地上の富の代わりに、天の莫大な富をアブラハムのために約束しておられることを、ロトが去った後で、彼に告げられた。

神は、アブラハムが地上の富に目を留めなかったことを良しとされたに違いない。

(しかも、アブラハムはこの世において決して貧しい人ではなかったことを考えれば、神はアブラハムにこの世の富を与えなかったわけでなく、彼はこの世の不正によって得られた富に関心を払わなかったのである。)
 
だから、筆者は、この地上のいかなる場所をも占拠しないし、そこが自分の居場所だとも言わない。地上を占拠したいと思う人々がいれば、それを妨げるつもりはないし、押しのけられた時、戦って居場所を取り返そうともしない。

また、他人に対して優越を誇らない。たとえ自分が正しいと分かっているときでも、その結論を他人に押しつけることはしない。「どうぞあなたはあなたのやり方でやって下さい」と言って、そこを静かに退くだけだ。

肉においてならば、筆者にも、誇れるものはある。戦えば、武器になるものはあるだろう。だが、それを誇示せず、行使せず、むしろ、役に立ちそうな武器をことごとく捨てて、人間の目からは無防備に見える状態で、相手の意思に任せよう。

アブラハムは、ソドムがやがて滅びることを、その当時は、知らなかったであろうが、それは決定事項であったと筆者は思う。

他人を押しのけて、その人が本来、手に出来たものを奪い取っても、それが、末永く祝福をもたらすことは決してない。まして神の人から奪い取ったものが、役立つことはない。

ロトは聖書において「義人」と呼ばれてはいるが、アブラハムに対する態度、また、ソドムに天幕を移して住んだこと、ソドムからの脱出の仕方などを考えれば、アブラハムに匹敵する信仰があったとは思えない。

そういうわけで、筆者は、アウシュヴィッツの前で「あなたは労働に値しない」と宣告されれば、「そうですか」としか答えないことに決めた。

「あなたはひ弱だし、他にもいろいろと欠点があって、我々の求めている基準値に到底、達し得ません。あなたは我々の求めているノルマを果たせません。あなたが我々の仲間になろうとしても、無駄です。あなたは我々に合いません。考え方が全く違います。ここにいても、あなたが苦しいだけだ。去りなさい・・・」

筆者は心の中で静かに答える。

「そうですね、私はあなた方が求めている高すぎるノルマや基準に、到底、達しないことは確かです。あなた方の求めているような成功と豊かさに、私は値しないし、それを模索するための力にもなれないのでしょう。

でも、私は知っています、あなたがたが運営しているのは、収容所であって、自由な家ではないと。どんなにそこに長く暮らしても、あなたがたが吹聴している豊かさにも、自由にも至り着くことはないと。私にはそこに入るために必要な罪状も刑期ももともとありません。だから、私があなたたちと一緒にいられないのは当然なのです。私には天の家に入るための別の住民票があります。ですから、私にふさわしい場所へ行きましょう・・・」

人が自分で自分を贖うための終わりなき苦役に救いはなく、自由も、成功も、豊かさもない。人類の負債が負い切れないほど重いからこそ、そこでは、働けば働くほどますます負債は重くなっていくだけなのだ。

筆者には、そんな果てしない負債を担わなければならない義務がない。

筆者の仕事は天の債権の回収である。

だが、その「債権」は、あくまで天で発行された債権だから、それを行使するためには、この世で最も弱い武器を使うのが一番なのだ。最大の債務者すなわちサタンは、まるでこの世の神のように横柄に振る舞っている。彼はどんな禁じ手でも使えるし、どんなに卑劣な武器でも行使できる。

彼は圧倒的な権威を振りかざして、私たちを威圧し、私たちに一切の口答えを許さず、有無を言わさず、恐怖によって従わせようとする。

だが、筆者は、そういう手段を使うことなく、あくまで最も弱い武器で勝負することに決めた。それはその戦いが筆者のものではなく、天におられる神のものであることが分かるためにだ。

もしも私たちが地上にある何かに固執するならば、それが人であれ、物であれ、場所であれ、お金であれ、それらはすべて私たちを閉じ込める「密室」と化すだろう。

ロトは振り向いて言う、「本当ですか。本当にこの地を私に譲ってくれるんですか。あなたは私にチャンスを与えてくれるんですね、ありがとう。きっとここに豊かな城を築いてみせますよ」

そして、ソドムへ向かって意気揚々と歩き去る。

筆者は、残された場所で、天の星を見上げる。ロトの選んだ町は神の目に適わない。いつか、ソドムとゴモラへの裁きの時が来るのは分かっている。だが、重要なのはそれではない。

私たちが目指している天のふるさとだ。

この世が何度、滅びても、尽きることのない永遠の命。私たちが自己の労働によって稼ぎ出すのではなく、恵みによって与えられる命。

今、この手にしているものがどんなに小さく、みすぼらしく思えても、神はそれを祝福して用いることができる。

だから、地上から目を離して、天に目を上げなさい。上にあるものを見なさい。あなたのために
約束された豊かな土地が、数えきれなほどの収穫が見えて来るだろう。

「主を憎む者が主に屈服し
 この運命が永劫に続くように。
 主は民を最良の小麦で養ってくださる。
「わたしは岩から蜜を滴らせて
 あなたがを飽かせるであろう。」」(詩編81:16-17)

主が地の面に雨を降らせる日まで
 壺の粉は尽きることなく
 瓶の油はなくならない。」(列王記上17:14)

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