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私ではなくキリストⅦ(東洋からの風の便りIV)

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。Ⅱコリント4:18

疎外されし者たちの復讐の哲学~抑圧された社会的弱者が弱さと傷によって絆(連帯)を結ぶ危険③~安倍政権と反安倍政権運動は同一化する~

これからここに述べる予測は、多くの人にとって聞きたくもなければ、支持もしがたい内容となるだろう。私自身が書きたい内容でもない。しかし、それでも警告のために書いておかねばならない。

それは、反安倍政権デモが間もなく安倍政権と同一化するだろうという予測である。人々が被害者意識と、傷と弱さによって連帯することには大きな危険性がつきもので、政権側と反政権側は一見正反対の陣営にいるように見えて、その怨念と怒りは親和性があるもので、容易に一つに結びつくだろうという予測をこれまでにも幾度か述べて来た。が、今、これから書くことはさらに踏み込んだ内容となる。
   
反政権デモの主張と私の考えとは多くの点で重なる部分があったので、8月30日が終わるまで、釈然としない気分で断言することを避けた。実際、この疑念を確かめるために、「緊急集会 『ぶっ壊せ!アベ安保法制』」なる集会の内容を自分で聞いてみたほどである。

しかしながら、この「ぶっ壊せ」という緊急集会のタイトルだけをとっても、何かしらただならぬ気配を感じていたことは確かである。むろん、集会の内容には物騒なものを感じさせる部分はほとんどなかったのだが。しかし、この集会を周知していた植草一秀氏の呼びかけが、次第にいつになく激しいものに変わっている点も注目された。以下は同氏のブログから。

安倍政権の経済政策と日経平均株価暴落
2015年8月25日 (火) から部分的に抜粋

金融情勢の分析は『金利・為替・株価特報』に譲ることとして、金融市場の環境変化で、安倍政権を取り巻く情勢が急変する点を見落とせない。

安倍晋三政権は9月中旬にも、戦争法案の参院強行採決を目論んでいると思われる。
日本の主権者の圧倒的多数が、戦争法案にに反対している。
そして、圧倒的多数の憲法学者が、戦争法案が憲法違反であると指摘している。
法治国家、立憲国家、民主主義を基本とするなら、安倍政権は戦争法案を取り下げるべきである。

これ以上の暴走を続けるなら、日本の主権者がいよいよ立ち上がり、体を張って、安倍政権を打倒する必要がある。
日本を暴政によって滅亡させてはならないのである。

株価は上昇したが、圧倒的多数の主権者の生活はまったく好転していない。
主権者が連帯して安倍政権を一気に退場させるべき時機(とき)が到来している。

「これ以上の暴走を続けるなら、日本の主権者がいよいよ立ち上がり、体を張って、安倍政権を打倒する必要がある」、「主権者が連帯して安倍政権を一気に退場させるべき」などと、いつになく行動的な文面が並んでいる。

植草氏の記事には過激なタイトルがつけられることも珍しくなく、政権批判も元来、鋭かったが、しかし、だからと言って、具体的に政権打倒の行動をここまで同氏が明確に是認することはなかったように記憶しているので驚いた。このような文面が現れた背後には、必ずや、この緊急集会を支える市民デモの影響があるだろうと考えられた。

「ぶっ壊せ!」のタイトルにも、その考えはよく表れている。もし違憲の法案を無理やり通そうとするなら、市民は力づくでも良いから、体を張ってこの体制を潰せと。むろん、過激なのはタイトルだけで、まだまだ集会は穏やかな雰囲気である。しかし、デモ翌日の報道のされ方を見て、この流れがどこへ向かっているのかがさらに明確になった気がする。

「フランス革命に近いことが起ころうとしている」安保反対の市民が国会前を埋め尽くす 弁護士ドットコムNEWS 2015年08月30日 16時07分 から抜粋

音楽家の坂本龍一さんは「政治状況ががけっぷちになって、日本人に憲法精神が根付いていることを示していただいた。フランス革命に近いことが今まさに起ころうとしている」と語っていた。


さすがにこの「フランス革命」という言葉はデモ賛成者側の多くの人々にさえ血なまぐさ過ぎると拒否感を呼び起こしたようである。しかしながら、翌日の報道記事にも、同じ趣旨のことが書かれている。

以下の朝日DIGITALの記事の題名にある「いつか教科書に載る景色」という言葉によっても、彼らが何を目指しているのか明確に理解できる。

「いつか教科書に載る景色」 国会前デモ、なぜ広がった
朝日新聞DIGITAL 後藤遼太 2015年8月31日05時10分

安全保障関連法案を審議している国会議事堂は30日、法案反対の声に包まれた。安倍政権の政策すべてに反対というわけではないという人もおり、デモ参加者は立場を超えて法案反対で足並みをそろえた。今後はデモが一過性に終わらず、投票を通じた政治参加につながるかも焦点になる。

小雨の国会前。色とりどりの雨傘の間から学生団体の声が響き、労働組合や宗教団体ののぼり旗が林立した。老若男女が声を上げた。

 喧噪(けんそう)の中心に、学生団体「SEALDs(シールズ)」がいた。正式名称は「Students Emergency Action for Liberal Democracy-s」(自由と民主主義のための学生緊急行動)。憲法記念日の5月3日に、都内の大学生十数人が中心になって立ち上げた。彼らの声は、ツイッターなどを通じて拡散。毎週金曜日の抗議活動は、回が重なると人数が増えた。

 早稲田大1年の広内恒河(こうが)さん(19)は「いつか教科書に載る景色ですね」と漏らした。安保法案は「解釈改憲というプロセスが違憲」と思う。アベノミクスは「必要な施策」と肯定的だが、地元の岩手で総選挙前に街頭演説をした安倍晋三首相が、安保法制にあまり触れなかったのが疑問だった。「安保法案が後で出てきた。だますつもりだったんだ」と思い、7月から国会前に足を運んでいる。

 都内の弁護士の男性(77)は、「山積みの仕事」を放り出して、国会前に足を運んだ。「これだけの声を反映できない安保法案は、国民主権をないがしろにするものだ」と話す。

 60年安保闘争の光景が浮かぶ。学生仲間と腕を組み国会前を歩いた。「動員が多かったからね。今日は市民が自発的に集まっている。いい光景じゃないか。民主主義が定着したんだね」と目を細めた。


教科書に載るとはどういうことか? 歴史を塗り替えることのできる政治的勝者の立場に立つことを意味する。

1917年十月革命で臨時政府を打倒して成立したボリシェヴィキ政権は当時、ほとんど貴族からも知識人からも、長くは続かないだろうとみなされ、まともな政権としてはかえりみられていなかった。一般人は伝統的な生活が今日も明日も続くと思っており、何が始まったのかほとんど理解していなかった。ボリシェヴィキがクーデターを通して政権を奪取した後も、彼らが国会の片隅で引き起こしていたことが、まさか後の国家体制の歴史の中心的な出来事として、70年間もソビエト共産党史の中心に記載されるなど、当時をまさに生きていた人々でさえほとんど予想できなかった。さらに言うならば、レーニンの功績をスターリンがネコババし、その勝者の歴史でさえ時の権力者に都合よく書き換えられていくなど…。
 
「いつか教科書に載る」とは、それがいずれ新しい政権の成立の根拠として、公式な歴史となり、国家の歴史として刻まれるという意味を含んでいる。安倍政権が続く限り、30日のデモが教科書に載ることは決してないだろう。今回も、警察発表によれば、たかだか3万人規模の反対デモとして軽く受け流されただけであり、安倍政権は安倍政権で自分たちの好みの歴史教科書をすでに何とか国民に強制しようと様々な画策を行なっている最中である。

だから、「いつか教科書に載る」という言葉は、この安倍政権が消えて、新しく教科書を制定する勢力として、今回の反政権デモを組織した人々が名乗りを上げること、なかでもその中心的な役割を果たしたSEALDsがそれを成し遂げる意欲があることを意味している。そして、この人々が自分たちの歴史を中心に新しい教科書を制定するというのである。
 
しかし、記事をよく読んでみれば、このSEALDsメンバーは、安保法制そのものに反対なのではなく、単に「解釈改憲というプロセスが違憲」と考えているだけであることが分かる。アベノミクスにも相当な理解を示している。こうした考え方は多くの国民とはかなりの温度差があることだろう。だが、単なるデモ参加者にはそこまでのことは分からない。デモに出て反対を叫んでいれば、安保法制そのものに根本的に反対なのだろうと理解するだろう。

だが、必ずしもそうではないことが記事を読んで分かる。だからこそ、記事の冒頭にあるように、SEALDsは「投票を通じた政治参加」を促しているのである。それが国民投票なのか、それとも、選挙によるものなのか明示はされていないが、要するに、「制定のプロセスさえ違憲でなければ、安保法制そのものも違憲とはならない。正しい政治的手続きによってであれば、改憲も可能である」という主張だと理解できるのである。

これでは真の意味での自民党のイデオロギーへの反対には到底ならない。むしろ、プロセスには反対しながらも、根本的な理念には賛成しているのだとさえ言える。このようなSEALDsの主張を以前から知っている人々が、SEALDsは安保法制と憲法改正のために国民投票へ誘導しようとしていると警告して来たのである。これに「ぶっ壊せ!」的な気運が加わると、場合によると、「非民主主義的な手続きへの怒り」をバネに、安倍政権の打倒(=革命)が成就してしまい、SEALDsを含む反政権デモ側に権力が委譲してしまう可能性さえある。

どうやってまだ立候補の可能性もない彼らが「歴史教科書を塗り替える」のか? それが可能となるのは、安保法制が強行採決された後のことである。強行採決されれば、人々の怒りは沸点に達する。その時が政権打倒の最高のチャンスである。

だが、仮に革命成就となったとしても、怖いのは、その後である。仮に安倍政権が打倒されたとしても、日本を属国化している勢力が、この国を警察国家に変えようとしているその筋書きは何ら変わらない事実を見るべきである。そして、SEALDsメンバーも、民主主義的な手続きに則りさえすれば、(自民党草案に沿った)憲法改正も可能と考えているのであれば、安倍政権が打倒されてみたところで、今度は、国民投票等々の”民主主義的”手続きを通して、やはり同じ結論へ向かって事が進むだろう可能性は大いに考えられるのである。さらに、仮に国民投票が行われてみたところで、その結果がどうあれ、その国民の意思も裏切られる可能性が十分にあることはギリシアの例ですでに証明済である。そうなると、安倍政権の打倒も、これに代わる政権の成立も、投票も、すべてが同じ結論へ至りつくための壮大なフェイクということになる。

ちなみに、「緊急(非常)」という言葉も、革命政党が好んで使用する用語である。

この「緊急」という言葉は、悪名高いソビエト政権の秘密警察の母体である反革命・サボタージュ取締全ロシア非常委員会(Всероссийская чрезвычайная комиссия по борьбе с контрреволюцией и саботажем)に使われた「非常」と同じ単語である。(英訳すれば、"The All-Russian Emergency Commission for Combating Counter-Revolution and Sabotage"となる。)

いわゆる「チェーカー」と呼ばれるこの非常委員会は、反革命とサボタージュと闘うという緊急行動のために1917年12月に設立されたことになっているが、その発想はすでに革命以前からレーニンによって『国家と革命』の中に明確に記されていた。

それは、革命成就の暁には、反革命的な非労働者階級(ブルジョアジー)を抑圧するために、臨時的な抑圧機関が必要になるという発想であった。それは国家の一部として機能しなければならない。だが、やがて反革命者もサボタージュ者も抑圧されていなくなり、ブルジョアジーが根絶され、勤労一般大衆だけが残り、その民衆も理想的な人々に変身を遂げた暁には、もはや緊急行動も必要ないので、この抑圧機関は無用のものとなり、廃止される予定とされていた。だからこそ、これは常設の委員会ではなく、臨時的な「非常委員会」なのである。

しかし、決して現実の歴史はそのような予想のもとに進まなかった。反革命とサボタージュとの闘いというアクションは決して「緊急」の必要性では終わらなかったのである。

レーニンはブルジョアジーの抑圧は少数者の抑圧であるから、流血も最小限に抑えられるだろうと予想していた。従って、この抑圧機関は必要最小限度の抑圧を行うだけであり、その役目を終えれば速やかに廃止される最小限度の必要悪であると。だが、そんなわけには終わらなかったのである。ブルジョアジーの抑圧と言いながら、結局、その抑圧の斧は一般勤労大衆に無差別に降りかかった。

人間を外的強制力によって変えようとする試みの最も恐ろしい危険性がここにある。圧倒的大多数の人々(99%)を抑圧から解放するという美名を掲げて、1%を抑圧・排斥することを肯定する思想は、なぜだか一種の動かしがたい歴史の法則性、もしくは霊的法則性とでも呼ぶべき絶対的な原則が働いて、必ず途中で、99%の抑圧・排斥へと転じるのである。つまり、1%の血を流すことを肯定する思想は、必ず99%の血を流すことへと結びつくのである。こうして「緊急」が「通常」となり抑圧が「常態化」し、血の川は当初考えていたように最小限度ではおさまらず、海のように流れることになってしまうのである。

つまり、安倍政権を力によって打倒することを肯定する思想は、必ずや、残りの99%を抑圧する思想に結びつくのである。そこに力による政権打倒の思想のすべての恐怖と忌まわしさの根源がある。

そして、このような革命思想の根底にグノーシス主義という決まった型があることについて、なぜそれが人間抑圧へと結びつくのか、次回以降に具体例を検討しつつ述べて行く予定である。
 
 

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