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私ではなくキリストⅦ(東洋からの風の便りIV)

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。Ⅱコリント4:18

人の歩みは主によって確かにされる。主はその道を喜ばれる。

(―閑話休題―)

「ああ、あなたのその告白を聞いて私はとても安心しましたよ…」
ある兄弟がそう言ったのは、昨年の新年、私が帰国して後のことだった。

その少し前、暗雲垂れ込めるような国内情勢を避けるようにして、私は久方ぶりにモスクワに飛んだ。離陸までの間、飛行機の窓から青空の只中にくっきりと富士山が見え、それを見ながら、かつて私が自分の専門職に戻ったことをとても喜んでくれたある姉妹のことを思い出した。

とても活発で大胆にものを言う姉妹だった。よく知り合うまでは、彼女がどれほど繊細に心を込めて人を愛し、人に仕えることのできる姉妹であるか想像することさえできなかった。彼女を通して、私はどれほどはかり知れない恩恵を受けたか言い尽くせない。彼女は、本当に私を愛してくれた。私の場合、不思議なことに、新たなクリスチャンの交わりが生まれると、大抵、気前の良い誰かが現れて、その交わりの最も愛に満ちた部分を見せてくれて、その交わりにある最上の宝を惜しみなく分かち与えてくれるのだった。

彼女は、母のように年長だったのに、心を込めて私のような者に仕えてくれた。本当にそれは、仕えてくれたとしか言いようのないほど、へりくだった奉仕であった。彼女を通して、キリスト者の奉仕の精神とはいかなるものかを私は知った。彼女は目の前にいる人がどんな風貌をしているか、とか、権威ある人か、無名の若者か、などといったことには全く注意を払わず、いと小さき主の民に対しても、仕える姿勢を取り続けることによって、見えない神を喜ばせようとしていたのであり、天で得られる報酬だけをまっすぐに見つめていたように思う。

今、彼女は地上の労苦を解かれ、主にまみえる日まで、大好きな富士山の見える麓に眠っている。飛行機の窓から富士山を見ながら、彼女が背中を押してくれているように感じ、心強かった。

出発の少し前に、クレムリンで新年に開かれるヨールカ祭の記事を読んで、子供向けの祭りにも関わらず、私はこれを見られるだろうとの期待感を持った。かの地では友人が迎えてくれ、観劇したり、教会めぐりをしたり、美味しいものを食べたり、退屈する暇はなかった。

ロシア人は、長年、権力に虐げられて来た歴史を持つためか、人の心の感情の機微によく通じていて、合わせる術をよく知っている。ビジネスライクな関係では、それは打算的な立ち回りのうまさとなって発揮される場合もよくあるが、一旦、プライベートで仲良くなってしまうと、とても居心地の良い関係ができる。こちらが触れてほしくないと思っている話題には決して触れてこない。人の心に土足で踏み込んで来ることをしない。そして、全く異なる見解を持っている話題にも、口論にならずにうまく思いやりを持って臨む術を心得ている…。(むろん、これはインテリの場合である。)

新年のモスクワはどこへ行っても大行列だった。トレチャコフ美術館も、クレムリンの内覧もすべて…。国際機関に勤めていた友人は、「こんな行列は今まで見たことがない」と目をしばたたいていたが、「ちょっとここで待ってて」と即座に列をすりぬけると、窓口まで行って何かを交渉し、たちまち切符を手にして戻って来た。

「さあ、行こう」
「一体、どんな方法を使ったの?」
眼差しでそう問うた私に、友人も答えずに笑っている。
 
前から分かっていたことだが、その友人は無神論者だった。彼によると、ソ連崩壊はあるべきではなく、ソ連時代がずっと続いていた方が幸せだった、ということらしい。

そんな無神論者の友人と真面目なクリスチャンの私が、本来、話が合うはずがないのだが、上記した通り、合わせ上手のロシア人の一人として、会話でも文通でも、彼は一度たりとも私に議論をしかけて来るようなことがなかった。
しかも、彼とその仲間には、日本にいる時から、仕事で助けを求めたり、推薦状を書いてもらったり、かなり長い間、色々と世話になっていた。

友人たちは私にロシアに来るよう、再三に渡り、説得して来た。私のその気になって、現地の仕事に応募したりもしていた。メールでのこんなやり取りもあった。
「あの応募はどうなった?」
「うん、丁重にお断りされたわ」
「そりゃ、良かった。あそこは田舎過ぎる。実はぼくらも、きみにはあそこでの暮らしは絶対に無理だと思っていたんだよ・・・」

とにもかくにも、モスクワっ子の彼らはあらゆる機会をとらえてモスクワを宣伝し、いかにして私をモスクワに誘い出すかを常に念頭に置いていたようであった。
そんな考えが、私の中でひっくり返ったのが、新年の旅だった。

それは楽しい旅行であり、ハプニングはなかった。かつて学んでいた頃から街は変わっていないように見えた。あたかも十年の別れの歳月などなかったかのように、私をアウトサイダーとしてでなく、身内のように受け入れてくれた。しかも、日本の都会に負けず劣らず、きれいになっていた。

それにも関わらず、行きと帰りでは、私の心境は全く変わっていた。日が経つにつれて、なぜそうなったのか、うまく言葉で説明することはできないのだが、私はロシアに救いを求めようとしていた自分の心の弱さを反省させられた。そして、これからは自分の外にあるいかなるものにも助けを求めずに、ただ神と私との力だけですべてを切り抜けなければならない、という確信へと導かれていった。

「もしほんとにきみがここに来て暮らしたいのなら、何か手立てを真剣に考えなくちゃね…」
滞在の最終日に至っても、友人は相変わらず、まるでそれが揺るぎない唯一の正解ででもあるかのように、確信をもって、モスクワ移住計画について私を説得するのだった。
むろん、帰国後も、親切な彼らはあれやこれやと手を尽くしてくれて、すんでのとこで、私は国を出る一歩手前まで来ていた・・・。

しかしながら、心の奥深いところでは、この新年の時点で、私はすでに彼らの提案にはもはや応じられないことを分かっていたのだ。懐かしい地下鉄の車両の中で、私は友人に言った。

「前にも言った通り、偶然なんてどこにもないのよ。すべては神様のはからいなの。今、私がどこに住んでいると思う? 日本で唯一、『神』が名前に入っている都道府県よ」
「なるほど」
「しかもね。その地区の名前は、『神の国から流れる生ける水の川々』という意味なの」
「ふーん、”речка из божественной страны" か…」
「でも、私はまだその川が流れるところを一度もはっきりとこの目で見ていないの・・・」

そう、唯一、全国で神の名をいただく県。ここへ来た時こそ、心躍らせたものだが、今となっては、我が家はそろそろ逃げ出したいと思うほどの古びた家屋に過ぎないし、心躍らせる何の要素が私を取り囲んでいるわけでもない。兄弟姉妹の中には「まだそこに住んでるの」と、蔑むように笑う心無い人たちさえもいた。生ける水の川どころか、荒れ地のようなこんな現在地をさっさと捨てて、新境地へ旅立つべきと考えたことは幾度あったか知れない。生活が豊かになったら、海と富士山の見える巨大ルーフバルコニーつきの高級マンションの最上階にでも移って、優雅な生活を満喫したい・・・。だが、私が諦めきれないのは、まだ主の御業を見てはいない、という思いがあったからだ。

主は確かに私を諸々の苦境から逃れさせ、新たな地境へと移して下さった。そうして、私はここへやって来たのだ。だが、私はまだ神の祝福に満ちた御業、その愛の深さ、高さ、広さをほとんど知らない。まだ何一つこの目ではっきりと見てはいないし、御業は始まってさえいないように思う・・・、なのに、今ここですべてを断念すれば、一体何のために私はここへ来たことになるのか・・・。

神はどんな状況からでも、新しいわざを成し遂げて下さることができる。足りないのはいつも人間の側の信仰だけだ。だから、住む場所を変えたり、仕事を変えたり、他国へ移住しさえすれば何か新しいことが起きるだろうという思いは、単なる現実逃避に過ぎないのだと心では分かっていた。それは選択肢がある、ということを自分に言い聞かせるためだけの無駄なチャレンジなのかも知れない。むしろ、それを実行すると、失うものがはかりしれず大きくなるだろうし、もうこの国には帰って来ないかも知れない。そんなことが果たして正解だと言えるだろうか。

もしその可能性が濃厚ならば、いっそ事を何重にもややこしくして、神の御心を求めてみようと私は思い立った。逃げ出すのは簡単だ、だが、最も困難に満ちた状況の中にあえてとどまり、そこで神がどう応答されるのか、切実な信仰を通して実験してみようと。

それから後、帰国後に友人たちが親切にも整えてくれた留学計画(許可もすべて取ってあった)を完全に放棄し、彼らの助言や助力を求めることを一切やめて、ただ主と私だけで歩みを始めた。それが昨年の歩みであった。
 
そんなわけで、昨年は、新年早々、私は半ば意気消沈しつつ帰国することになった。つつがなく楽しい旅だったにも関わらず、答えが見つからなかったという、悲しさとも悔しさとも表現しがたい思いが心にあった。
 
このような話を聞いて、ある兄弟は意外な共感を示した。
「よく分かりますよ。それを聞いて安心しましたよ…」

聞けば、その兄弟も、熱心なクリスチャンの交わりを求めて、はるばる外国まで出かけて行ったことがあったという。素晴らしい交わりと、目覚ましい主の御業があると期待して、神の民に出会うために出かけて行ったのだ。ところが、行ってみると、事前の受け入れの連絡にも関わらず、彼の居場所はそこになかった。失意のうちに帰国する飛行機の中で、「あなたは日本で主の民に仕えなさい」という主の御声を聞いたように思ったと、彼は言った。

私がここに来たときも同様であった。多くの人たちは未だ勘違いしている。私は意気揚々と以前の居住地を捨てて、活発で楽しいクリスチャンの交わりに参加するために、この地へ移住して来たのだと。だが、実際はそんな単純なものではなかった。

この地へ来る少し前、ネット越しに展開されていたクリスチャンの楽しい交わりのイベントは、そこへ加わりたいと言う思いよりも、心を刺し貫かれるような痛みと虚しさを私に感じさせた。それゆえ、彼らの近くへ来ても、会うことに大きなためらいを感じ、なかなかその交わりへ出向こうとはしなかった。実際に、後に彼らと会っても、結局、帰って来たのは拒絶以外にはなかったのだが。

「ここの礼拝は盛り上がりはすごくて、まるで美味しい食事のように口当たりは良いけれど、いざ、礼拝を終えて帰宅すると、まるでお腹の中が砂利でいっぱいになったような言い知れない虚しさを覚えるんですよね」

そんな言葉を、臆面もなくリーダーに向かって告げた私は、さぞかし彼を内心では怒らせたことだろう。そのクリスチャンたちは、自分たちの礼拝に誇りを持ち、それを神との神聖な交流の場だと信じていたからだ。私から見ると、交霊術の現場のように情緒的で混乱しすぎる「聖なる」礼拝をけなした(穢した?)という「罪」により、彼らからかえってきた仕打ちはまるでひどいものであった。
 
いずれにせよ、人が何を言おうと、それは私が求めていたものとは確かに違うことが判明した。その結論を得るためだけに、傷つこうと、失望しようと、私はどうしても確かめずにいられなかったのである。きっと兄弟も同じような思いで外国まで出向いたのであろう。たとえ拒絶されるためだけであっても。それを通してしか、真に自分が求めているものが何であるか、人には知る術がない場合もあるのだ。
 
モスクワ滞在も何かしら似たような印象を私に呼び起こした。だが、私は親切にしてくれた友人の心中を傷つけることを良しとせず、詳細は告げずに笑顔で手を振って別れた。

そのようなことがあって、ようやく、神は他でもないこの私といつも共にいて下さるのだから、どこの地に足を置いていようと関係なく、これ以上、人の目に魅力的に映るものを追いかけるのは一切やめようと私は決意した。何があろうと、ただ一人で黙って主に向かうのだ、誰にも助けを求めることなく―。

友人たちは残念そうではあったが、決して本当には諦めていない様子で言った。
「なんだかんだ言っても、きみは必ず、遅かれ早かれ、モスクワに来ることになる、ぼくらはそう信じているよ。」

多分、彼らは今もそう信じていることだろう。彼らはソ連時代に幼少期を過ごし、今もソ連時代を生きている人々である。資本主義下のロシアであっても、彼らは二重の国を生きているのだ・・・。だから、その招きの中には、単なるお国自慢や同情の枠組みを超えた、何かしらイデオロギー的な呼び声が含まれているのだという予感を私は禁じ得ない。多分、それには応えてはいけないし、深くも知らない方がいいのだろう、私の神はただお一人だから・・・。

その後、ある仕事に応募するために、ロシア語の課題を出さねばならなくなったが、私はそれまでのように彼らに応援を頼まず、チェックなしで提出することに決めた。あえて実験してみることにした。神がおられるなら、必ず、神ご自身が私を助けて下さるはずだと。肉なる人の助けを求める必要はもうこれ以上ない・・・。「あなたのロシア語にはいつも感嘆を禁じ得ません」と、作家の友人がお世辞でなく言ってくれたことを思い出し、勇気を奮い起こした。
 
かつて大学入試の面接で、私はこんなことを言っていたのを覚えている。「私は言語というものの本質を知りたいんです。特に、神の言葉とは何なのか、それを知りたいと思っているんです。」
教官たちが、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてそれを聞いていたのを思い出す。よくそんな志望動機を、面接官が理解して入学を許したものだ。

だが、多分、その頃から今に至るまで、私の探求は変わらないのだ。それは、偽りでなく、見せかけでもない、正真正銘の、真実な言葉に至りつきたいという私の心の消せない願望である。真実だけを知りたいと切に求める心の探求を通して、私は他ならぬ神ご自身のみもとへ招かれ、御言葉なる方の真実の中に招き入れられた。今や世人からの理解が伴わなくとも、その御言葉なる方を深く知りたいという願いが、すべてにまさる願いなのである。

「人の歩みは主によって確かにされる。
主はその道を喜ばれる。」(詩編37:23)

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